
ライフリストの300種以降を薄れていく記憶を頼りにその時の感動を思いつくままに書き始める。2005,07,30
一 鳥 一 史
あの時あの鳥との出会いの感動が今甦る
300 ボナパルトカモメ 86,09,上旬、多摩川河口
九月の第一週日曜日は恒例の松戸市主催の多摩川河口探鳥会だ。日陰がなく暑い観察会だ。春とは異なる繁殖を終えた鳥や幼鳥の地味な羽根は初心者には難しすぎるだろう。私は第一回目の観察会は春のゴールデンウイーク前の四月最終の日曜日だったから繁殖羽根の美しい鮮やかな赤茶系だった。もしも、秋の観察会が第一回目だったら今のように感動してバードウオッチングを続けていたかどうかは分らない。ボナパルトカモメは観察会の次の週に再度多摩川河口を訪れて観察したように記憶している。ユリカモメのようにスマートなカモメだった。いすゞ自動車工場の裏の水門のある場所でカモメは河口から中州の方に飛んだ。この頃はライフリストにはあまり拘ってないので初記録を何度も見損ねたような気がする。
301 クビワキンクロ 1987,01,上旬 上野不忍池
クビワキンクロは他のカモに混じって公園内で餌を貰っていた。独特のくちばしと羽の色から簡単に識別が出来た。かなり近くに近寄ってくるので800mmや400mmでは長すぎたのを覚えている。この個体は毎冬に10年近くも同じ場所に来ていた。全国各地からこのカモを見に多くのバーダーやカメラマンを呼び寄せた人気者だ。カモも10年も生きることを知らされた物である。その後♂♀が関東近辺に出現するのは彼のDNAを受け継いだ子孫なのだろうか。
302 ムジセッカ 1987,05,上旬 粟島航路汽船内
現在の地に引っ越したのは1981,05,06だ。既に埼玉県支部が設立されていた。粟島を訪れた初めてのときフエリーの中で渡りの途中に疲れて止まっている一羽の地味な小鳥が一羽いた。ベテランがムジセッカと教えてくれた。粟島はこの後に春、秋に数え切れないほど訪れる事になった。それから何年か後になんどもムジセッカとカラフトムジセッカに出会えることになる。
303 アシナガシギ 1987,08、 東大島河川干潟 2004,08,24 涸沼近くの駒場
バードウオッチングを始めてから直ぐにキャノンFD400mmF4.5とケンコーテレプラス2倍を使用していた。フィルムはネガから始めたが直ぐにポジに変わった。画質に納得できないのでキャノンからニコンに変えて、F3と800mmF8を使用し始めた。一年ほど経過して800mmF5.6が発売になり直ぐに発注した。フィルムはKR、ISO64を使用していた。富士フィルムのプロビア100の発売まではKRだけを使用していた。アシナガシギが出ているときはカメラとレンズを持っていったのだけれど小雨が降っていて新品のレンズを雨に濡らすことは出来ずにアシナガシギにレンズを向けることは無かった。あれから17年が経過した2004,08,25に茨城県涸沼近くの駒場の休耕田に出現した。水の入った田んぼにアシナガシギはいた。距離は100m以上。カメラマン、バーダーはデジスコを構える。順光の場所にも移動するというのでその場所で待つ事にした。携帯で飛び立ったことを知らせてくる。こちらには飛んでこない。アシナガシギはどこかに飛び去った。この時も有名カメラマンが相当数来ていた。
304 シベリアオオハシシギ 多摩川河口 1987,09,上旬 出島 2001,04,22
定例松戸市主催の観察会である。いすゞ自動車裏の中洲でシベリアオオハシシギが干潟で盛んに長い嘴を干潟の砂地に差し込んで餌を食べていた。そして14年後の出島で夏羽の個体に出会うことになった。タンボの畦で休み時々餌を捕り始めていた。800mmでテレコンをつけて写したと図鑑に記載してある。
305 アカハシハジロ 小田原酒匂川 1988,01,01 九州1995,01,14 長良川1996,02,11
正月早々に松戸市主催の観察会の講師をしていたO氏と二人で酒匂川にでかけた。川にはヒドリガモ他が浮いていた。お目当てのカモは水草を食べていたように思う。暫くすると下流に飛び去ってしまった。その後、ミカヅキシマアジを見に行ったついでに立ち寄り二度目の対面。ここも距離は遠かった。きれいなオスの個体だった。九州に松戸市観察会の講師の熊谷さんと四人でツルを見に出かけた。ついでの池で若オスがいた。
306 ノハラツグミ 伊勢原市 88,02,14
小田急線とバスを乗り継いで目的地山間部のタンボに到着した。沢山のバーダーガ来ていた。あちこちでお茶を飲みながらおにぎりを食べながら見ている。ワームで餌付されていた。人を恐れず2-3mまで近寄ってきた。400mmでも近すぎたように覚えている。あのふわふわした飛び方はいまでも忘れることは無い。その後、浦和や印旛沼に出現しているが行ってはいない。
307 カラムクドリ 印西町 1988,04,,25
印旛沼酒直水門側のタンボの中の大木についていた。丁度、田植えの時期でタンボにシギチが入っていた。木の葉が繁っていて良く見えないが確かにカラムクドリだ。近くのタンボにコモンシギがでていると話していたのを覚えている。
308 マダラチュウヒ♂ 渡良瀬 1988,07,下旬
夏の葦原はマダラチユウヒがでるのだ。この年には初めてのいすゞのビックホーン2300ディーゼルターボに乗っていた。渡良瀬の土手には多くの全国からのカメラマン、バーダーが来た。マダラチユウヒは時々葦原の上を低く飛び回っていた。豊橋在住の写真家Yさんが来ていたのが印象的だった。Yさんは郷里が同じ大先輩だと知ったのはつい昨年2004,04春の舳倉島だった。その後も大雪山旭岳の駐車場でお会いした。いろいろな情報に感謝している。
309 ヒバリシギ 伊豆沼 1988,11,20
埼玉県生態系保護協会南埼葛支部初代支部長の頃に仲間の皆さんと伊豆沼にご一緒した。夜行一泊の雁行を見るためだ。沼の葦原に小さなシギが一羽いた。これがヒバリシギかと思った。その後も浮島他で何度も出会うことができた。
310 アネハヅル 茨城町 1988,11,23
稲刈りの終えたタンボに看板が立っていた。珍しい鳥がいるから驚かせないようにしてください。と書いてある。ツルはイナゴやバッタなどの昆虫を食べているようだ。人を恐れないから篭脱けだろうといううわさがもっぱらだった。いつもそうだが篭脱けだという人が居る。篭脱けは記録にもならないと思う人もいるようだ。篭脱けは普通は羽が汚れているのだ。それこそ800mmも400mmもいらない。バカチョンで風景を撮るように簡単なのだ。確か次の年の年賀状はアネハヅルの大アップの写真だった。
311 ハマヒバリ 流山市 1988,12,11 松戸・三郷 2001,02,24
松戸市主催の八柱霊園観察会は厳寒の季節だ。この頃は今よりも非常に寒かった。今ではドカジャンを着用するような寒さはこの辺ではほんの一時期だけである。当時、使用していた観察会用の衣類は処分して持っていない。寒い朝、霊園内をジョウビタキやルリビタキ、キクイタダキなどの小鳥を観察してから昼食を近くのファミレスで済ませてから公民館で講師の熊谷先生の国内外のスライドを観賞するのが恒例だった。常連の参加者からハマヒバリらしい小鳥を見かけたとの情報を得て現場に行った。確かにハマヒバリだ。その後、県内外から多くのバーダーが全国から来た。山形の有名なカメラマンとは二度目のご対面となった。その後松戸・三郷にも出現した。どちらも四月まで越冬していた。行動範囲は結構広いので会えないで帰るバーダーもいたようだ。
312 イワミセキレイ 狭山市 1988,12,17
ハマヒバリの翌週はイワミセキレイだ。近くのおばさんがワームで餌付けしていると新聞に載った。駅の近くの広場と水路を歩き回っていた。誰も来ている人は居なかった。あまり人気が無いのだろうか。その後情報は何度かあったが、いまだ二度目のご対面には至ってない。今年2005,05中旬の春は舳倉島に出たが会えなかった。
313 キバシリ 日光 1989,07,01
鳥を見始めてから日光、軽井沢はお気に入りの探鳥地になっている。家族や夫婦、友達、鳥仲間と毎年出かけている。見たい鳥だが機会が無かった。いわゆるついてない鳥のひとつだ。光徳の民宿か旅館がホテルになった。ここの温泉は湯元からパイプラインで源泉を引いているのだ。白濁していて体が温まるし露天風呂は冬の雪の中なら最高の風情が楽しめる。ここに泊まり、近くを朝探して温泉に入り朝ごはんを食べてから午前中だけ鳥見して帰るのが恒例だ。そしてホテルの近くのカバの木に見慣れない鳥がいた。それはキバシリだ。大木をくるくる回りながら上り下りをしていた。戦場ヶ原の木道は土日やGW・夏休みなどは避けたほうがいい。子供たちのハイキングですれ違うのが大変である。挨拶もそこそこなら嬉しいが100-200人もいたら大変だ。引率の先生も考えた方がいいと思うのだが。鳥仲間と散策するには最高のコースだ。
314 カラシラサギ 波崎 1989,08,12
コサギの嘴を黄色にしたらカラシラサギだ。足が太く私が観察したのは海岸だけである。対馬、石垣など。今日現在は三番瀬に四羽がいると有名HPに載っていた。最近はあちこちに出現して珍鳥らしくなくなってしまったようだ。冬羽は地味だが繁殖期の夏羽はとても綺麗だ。
315 コグンカンドリ 銚子 1989,08,09
この頃の波崎は工事中で干潟が沢山あった。バーダーも八月になると集まって来た。多分台風が銚子に上陸した年のような気がする。いろいろな海鳥が銚子に出現した。コグンカンドリもそのときの一種類だ。河口にシギチが安心して立ち寄っていける干潟をほんの少しだけでも造成してくれたら良いのにと最近思うようになった。シギチは半島などの飛び出ている地形に立ち寄ることが多いように思う。
316 ミユビシギ 波崎 1989,09,15
ミユビシギは外海の海岸でないと見られない。越冬するミユビシギは数百にもなる。波の押し寄せる砂浜を早足で歩くさまを見ていると飽きることはない。600mmを構えて携帯イスに腰掛けているとかなり側まで来てくれる。シギチ撮影のイロハだ。満潮前からそこに座っていると向こうからどんどん近づいてくる。止まることが少ないからなかなか良いカットが写せない。修行が足りないのだ。
317 アメリカウズラシギ 秋が瀬 1989,10,10
彩の湖はまだ工事中だった。近くまでいすずビッグホーン四駆で行き、そこから歩いて工事中の干潟に入った。シギチの渡りがそろそろ終盤の時期だった。確かに縦斑は胸で切れていた。翌年も波崎でご対面することができた。暑い中、対岸にはブラインドが見えた。多分、当時から有名なカメラマンのような気がした。
318 コスズガモ 上野不忍池 1989,01,06
上野公園はいろいろな珍鳥が出る。アカハジロ、クビワキンクロなど初めて見たところだ。公園のカモは近くて良い。野生のカモはハンターに狙われている。彼らはどこが安全かよく分っているのだ。だから危険を冒してまで郊外に行くのは大変なのだ。少しばかりの餌付けでどうのこうのと言う前に全ての野生の鳥は禁猟にすべきではないのか。最近は餌付けをもっともな顔をして悪・悪・悪ときめつけている。世界を広く見たほうが良い。全ての野生はあるがままに。ちょっとだけでも敵対するDNAがある以上は仲良くなれない。鳥も人も。コスズガモも他のカモと同様にパンクズに餌付けされていた。
319 ナベヅル 320 クロズル 出水 1989,02,10
この時期はツルたちの北帰行を始める春一番が吹く頃だ。ツアーに参加した。初めての九州行きだ。全てのツルは初めての種類だ。クロはやや白くて、ナベは黒っぽい。交雑種のナベクロは中間だ。タンボの一角に水が張られている。小形のトラックで雑穀などを畦に撒いている。又野末春さんは有名人だ。ツルが集まる。朝焼け夕焼けのツルの飛行は絵になる。フイルムが何本あっても不足する。近くにはツリスガラ、ホシムクドリ、コクマルガラス、ミヤマガラスなどがいた。
321 マナヅル 出水 1989,02,10
マナヅルはとても気品が感じられる。ツルの仲間は家族で行動している。両親と子供で普通は三羽か四羽だ。親たちは愛の絆を確めるかのようによくダンスをしながら一声・二声・三声・鳴き交わすのだ。ここでソデグロヅルに会ったのは1995,01,15だ。1991,01,01は中国のポーヤンフー、藩陽湖でソデグロヅルの大群とノガンの越冬を見た。寒いところだった。持って行ったもの全てを着込んで寝たが寒くて熟睡できなかった。帰りは雪になった。列車の旅でタウナギ、ヒシの実など食べたのを思い出した。
322 ツリスガラ 323 コクマルガラス 出水 1989,02,11
ツリスガラは葦原の中で集団で移動しながらメジロのようなチィーチィーというような声で鳴いていた。その後球磨川河口や地元の江戸川の庄和町で観察する事が出来た。コクマルガラスはミヤマガラスの集団と一緒に田んぼにいた。暗色型、淡色型、中間型が観察された。95,01,15に二度目の時も淡色型がいた。97,11,16には越谷市のタンボで淡色型が観察されている。
324 ヤマショウビン 325ムラサキサギ 対馬 1989,05,03
初めての対馬は楽しかった。ヤマショウビンの出る場所は決まっていた。薮の中の小さな道を進んでいく。距離は50mか100mぐらいだと思う。800mmで撮影した感動は今でも忘れていない。その後、飛島と舳倉島2005,05で再会した。ムラサキサギはどこで見たか記憶が無い。その後
石垣島93,03,15と奄美大島95,03の湿地での観察記録が残っている。本州での記録もあるようだ。
326 マミジロキビタキ、327キマユツメナガセキレイ、328マミジロタヒバリ 対馬89,05
マミジロキビタキの鮮やかなレモンイエロウは忘れがたい。シマアオジの色とも微妙に異なる。その後、飛島でも観察している。側のタンボにはツメナガセキレイがいた。その後、何度も離島で観察する普通種になっている。特に夏の道東では多く観察できる。畑でマミジロタヒバリが多数群れていた。これらも毎年離島では常連になっている。
329 アカガシラサギ 三郷市 1990,05,23
三郷市の自宅から八潮市の会社までは三郷IC近くのタンボを通るのが一番の近道だ。少し早めに出かけては鳥を観ながらの通勤だ。田植えが始まる時期に、近くの農家の竹藪はサギのコロニーがあった。コサギ、アマサギ、チュウ、ダイサギ、ゴイサギが営巣していた。いつものタンボに夏羽のアカガシラサギがいた。車の中からだと5mまで近寄ってきた。800mmでは頭だけしか写らない。翌日は恩師の熊谷さんをJR三郷駅から案内した。次の日もJR新三郷から歩いて見に来たと言っていた。その後、秋の粟島で冬羽を観察している。地元のマイフィールドで初記録は何物にも変えがたい感動である。
330 カラフトアオアシシギ 1990,09,24 波崎
シギチの最盛期が過ぎた頃にビッグニュースが飛び込んできた。現地に着くと直ぐにそれらしいシギが干潟にいた。チョーチョーチョーという悲しげなアオアシシギとは全く異なり、ケッ、ケッと鳴き、足は黄色。羽裏は白いので簡単に識別できた。
331 イスカ、332 ベニヒワ 1990,10,21 粟島
ツアーで粟島に出かけた時である。イスカは何年か毎に渡来する。その年は当たり年だ。松の木、電線などどこにでも止まっていた。マヒワも同様に年毎に変動する。その中にベニヒワが混じるのは寒くなってからだ。マヒワの大群の中にベニヒワがいる。ほとんどが♀だ。良く見ると♂もいるのだ。その後ベニヒワを見たくて11月の粟島に何度かでかけたがなかなかベニヒワには会えない。渡りの群に出会った者は離島の旅は病みつきになってしまう。小豆畑にウグイス、キクイタダキ、マヒワ、ルリビタキ、エゾビタキ、サメビタキなどがあちこちにいる。
春秋の粟島には何度出かけたか数え切れない。昔の良い想い出は二度と経験できないのだろうか。年々、鳥が少なくなっているのは事実ではある。鳥は少なくても初めて見る時の感動は誰でも共通なものだ。2005,08,02記
333 ミツユビカモメ 銚子 1991,02,02
松戸市の鳥の観察会の師匠と仲間で銚子に出かけた。カモメ、ウミウ、シノリガモなどを観察した。漁港の堤防には大群のカモメだ。その中にミツユビカモメがいた。この時期は完全な冬羽だ。今年、羅臼でホェールウオッチング観光船に乗った。フルマカモメが海面に沢山浮いている。夏羽のミツユビカモメが飛んでいた。
334 ツクシガモ 波崎 1991,02,02
帰りに波崎港に立ち寄った。新港にツクシガモが浮かんでいた。その後、93,03谷津干潟、95,01出水、2000,01一色町で観察している。
335 サバクヒタキ 仙台 1991,02,10
ビッグホーンイルムシャスポーツ1800ジーゼルターボは二台目の四駆だ。買ったばかりの車で実家の福島県楢葉町(浜通、いわき市の二つ北よりの小さな町)を経由して仙台まで出かけた。三郷市から実家まで240km、そこから仙台まで150km。今は常磐高速道路が隣町の広野まで200km。終点の富岡まではもうひとつ先のICだ。雨が降っていた。広瀬側の建築資材置き場の荒地にサバクヒタキはいた。近くの喫茶店には関東からのバーダーが沢山来ていたのを思い出す。その後、荒川に何度か出現している。越冬期間が長く春先には囀っていた。
336 サンカノゴイ印西町 337 メリケンキアシシギ松岸 1991,05,05
鳥の師匠、熊谷さんと車ででかけた。鳥見行きはいつも朝が早い。早朝の印旛沼にはサンカノゴイが飛び交っていた。メリケンキアシシギは干潮時に干潟に来る。お弁当を食べながら待っていた。ピッピッピッという声が聞こえた。廃船に止まるメリケンキアシシギがいた。
338 ヒメウズラシギ 波崎 1991,09,01
この時期はよく波崎に出かけていた。シギチの好きなバーダーもいつも来ていた。だから初めての鳥でも親切に教えてくれる。海辺の干潟は日陰がなく暑い。だから日傘と水筒の水は必需品だ。それと干潟に丸出しではさすがにシギチは近づいてはくれない。そこで、日よけのスダレを一枚立てるだけでもブラインドになるのだ。これを思いついた方はすばらしい。これから干潟などで長時間撮影する時はスダレ1.2-1.8mをL字に加工する。屏風のように立てられるように工夫すると良いね。少しの風には耐えられるような工夫が必要だね。どうぞお試しあれ。
339 クロハラアジサシ 霞ヶ浦 1991,03,18
霞ヶ浦はクロハラアジサシの越冬地になっている。非常に遠い竹棒に10羽以上のクロハラアジサシが止まっていた。この時も熊谷さんと一緒の鳥見だった。
340 ツメナガホオジロ 粟島 1991,10,18
何度行っても飽きない粟島。いつもの民宿なおやに泊まる。学校の裏で畑に一番近い民宿だ。
ヘリーポートの畑の小道にツメナガホオジロはいた。当時は島にJAがあって離島で純粋の種を採るための野菜類を栽培していた。バーダーが多かった時期にタンボへ通じる道を閉鎖するなどバーダーへの風当たりが強くなっていた。珍鳥を求めて畑を踏み荒らす非常識人も現れた頃でもある。今はJAも無くなり、畑も村民に解放されている。村民は皆親切で働き者だ。広大な畑は荒地になり鳥が観察しにくくなった。それでも同じ時期にはいつもと同じ顔なじみのバーダーと一緒になる。村おこしの乙姫の湯はいつも利用している。地方に行ったらあまりけちけちしないで施設を利用した方が良い。地元のお土産も必ず買うことにしている。たいしたものではないが、地元産のワカメは柔らかくて誰にあげても喜んでもらえるのだ。粟島は何度も出てくるので同じことを何度も書くかもしれない。
341 オオモズ 粟島 1992,10,17
松戸市の熊谷さんがいつも旅程を作ってくれる。各自の時間に合わせて金、土、日、月の四日間のうち参加できる日に自由参加する。最長三泊四日、最短一泊二日は私など現役組だ。本来なら一番すいている平日だけにしたいところだが、現役組の為、土日を入れてくれるのだ。本当に誰にでも好かれる最高のバーダーだった。その生き方を少しでもまねたいと思いながらも足元にも及ばない。これから先もそうだろう。オオモズは畑の西側にいた。若鳥で少し茶色味を帯びていた。その後も粟島で何度か再会している。島のおばちゃんたちは親切だ。畑の側で小豆や大豆などの豆類を乾している。鳥見のおばさんたちが美味しそうねーと褒めると島のおばちゃんは持ってケーと言って少ししかない豆をほんの少しだけくれる。断らない鳥見のおばちゃんたちもすごいなー。遠慮も恥じも無いんだからね。全くしょうがねーなー。先生も笑っていたなー。
333 ミツユビカモメ 銚子 1991,02,02
松戸市の鳥の観察会の師匠と仲間で銚子に出かけた。カモメ、ウミウ、シノリガモなどを観察した。漁港の堤防には大群のカモメだ。その中にミツユビカモメがいた。この時期は完全な冬羽だ。今年、羅臼でホェールウオッチング観光船に乗った。フルマカモメが海面に沢山浮いている。夏羽のミツユビカモメが飛んでいた。
334 ツクシガモ 波崎 1991,02,02
帰りに波崎港に立ち寄った。新港にツクシガモが浮かんでいた。その後、93,03谷津干潟、95,01出水、2000,01一色町で観察している。
335 サバクヒタキ 仙台 1991,02,10
ビッグホーンイルムシャスポーツ1800ジーゼルターボは二台目の四駆だ。買ったばかりの車で実家の福島県楢葉町(浜通、いわき市の二つ北よりの小さな町)を経由して仙台まで出かけた。三郷市から実家まで240km、そこから仙台まで150km。今は常磐高速道路が隣町の広野まで200km。終点の富岡まではもうひとつ先のICだ。雨が降っていた。広瀬側の建築資材置き場の荒地にサバクヒタキはいた。近くの喫茶店には関東からのバーダーが沢山来ていたのを思い出す。その後、荒川に何度か出現している。越冬期間が長く春先には囀っていた。
336 サンカノゴイ印西町 337 メリケンキアシシギ松岸 1991,05,05
鳥の師匠、熊谷さんと車ででかけた。鳥見行きはいつも朝が早い。早朝の印旛沼にはサンカノゴイが飛び交っていた。メリケンキアシシギは干潮時に干潟に来る。お弁当を食べながら待っていた。ピッピッピッという声が聞こえた。廃船に止まるメリケンキアシシギがいた。
338 ヒメウズラシギ 波崎 1991,09,01
この時期はよく波崎に出かけていた。シギチの好きなバーダーもいつも来ていた。だから初めての鳥でも親切に教えてくれる。海辺の干潟は日陰がなく暑い。だから日傘と水筒の水は必需品だ。それと干潟に丸出しではさすがにシギチは近づいてはくれない。そこで、日よけのスダレを一枚立てるだけでもブラインドになるのだ。これを思いついた方はすばらしい。これから干潟などで長時間撮影する時はスダレ1.2-1.8mをL字に加工する。屏風のように立てられるように工夫すると良いね。少しの風には耐えられるような工夫が必要だね。どうぞお試しあれ。
339 クロハラアジサシ 霞ヶ浦 1991,03,18
霞ヶ浦はクロハラアジサシの越冬地になっている。非常に遠い竹棒に10羽以上のクロハラアジサシが止まっていた。この時も熊谷さんと一緒の鳥見だった。
340 ツメナガホオジロ 粟島 1991,10,18
何度行っても飽きない粟島。いつもの民宿なおやに泊まる。学校の裏で畑に一番近い民宿だ。ヘリーポートの畑の小道にツメナガホオジロはいた。当時は島にJAがあって離島で純粋の種を採るための野菜類を栽培していた。バーダーが多かった時期にタンボへ通じる道を閉鎖するなどバーダーへの風当たりが強くなっていた。珍鳥を求めて畑を踏み荒らす非常識人も現れた頃でもある。今はJAも無くなり、畑も村民に解放されている。村民は皆親切で働き者だ。広大な畑は荒地になり鳥が観察しにくくなった。それでも同じ時期にはいつもと同じ顔なじみのバーダーと一緒になる。村おこしの乙姫の湯はいつも利用している。地方に行ったらあまりけちけちしないで施設を利用した方が良い。地元のお土産も必ず買うことにしている。たいしたものではないが、地元産のワカメは柔らかくて誰にあげても喜んでもらえるのだ。粟島は何度も出てくるので同じことを何度も書くかもしれない。
341 オオモズ 粟島 1992,10,17
松戸市の熊谷さんがいつも旅程を作ってくれる。各自の時間に合わせて金、土、日、月の四日間のうち参加できる日に自由参加する。最長三泊四日、最短一泊二日は私など現役組だ。本来なら一番すいている平日だけにしたいところだが、現役組の為、土日を入れてくれるのだ。本当に誰にでも好かれる最高のバーダーだった。その生き方を少しでもまねたいと思いながらも足元にも及ばない。これから先もそうだろう。オオモズは畑の西側にいた。若鳥で少し茶色味を帯びていた。その後も粟島で何度か再会している。島のおばちゃんたちは親切だ。畑の側で小豆や大豆などの豆類を乾している。鳥見のおばさんたちが美味しそうねーと褒めると島のおばちゃんは持ってケーと言って少ししかない豆をほんの少しだけくれる。断らない鳥見のおばちゃんたちもすごいなー。遠慮も恥じも無いんだからね。全くしょうがねーなー。先生も笑っていたなー。
342 クロウタドリ 343 ホシムクドリ 344 ハッカチョウ 345オオハッカ
与那国島 1993,03,12
石垣島・与那国島・西表島・石垣島の四島巡り初めての探鳥ツアーだ。石垣島から与那国島へはプロペラ機だ。800mmとカメラを入れたザックの大きさがひっかかった。そして、すったもんだの挙句機内預かりとなって何とか携帯することができた。与那国島は日本ではない。そんな印象さえ受ける島だった。水牛が水溜りにいる。アマサギが付いている。これまでに出かけたことがあるスリランカやインドネシア・バリ島などによく似た田園風景である。この時期は渡りの最盛期だ。山とタンボの間の畦道で待っているとクロウタドリが畦に出てきた。以前に上海などの公園で何度も見ているから直ぐに識別できた。舳倉島などの離島での記録が多い。ゴミ捨て場はどこでも珍鳥の宝庫になっている。この島でもホシムクドリ、ハッカチョウ、オオハッカがついていた。当時はオオハッカなどかごぬけだとか言われていた。今では誰も疑う人はいなくなった。ホシムクは九州・出水、母島、舳倉でも会っている。ハッカチョウ、オオハッカチョウは与那国島の常連だ。
346 カンムリワシ、347 オオクイナ 348 ズグロミゾゴイ 349 ツルクイナ
西表島 1993,03,13
西表島から石垣島に戻り、高速船で西表島に入る。この時期には既に田植えが終わっている。道路そばの電柱や枯れ木にカンムリワシがあちこちに止まっていた。ズグロミゾゴイは豚舎牛舎などの薄暗い場所に立っている。時々ミミズなどを探してゆっくりと移動する。その後石垣島のコンビニに立ち寄ったとき直ぐ側の芝生でミミズを食べていた。この島でゴイサギみたいに普通種だ。オオクイナは車で移動中に交通事故により道路にいた。未だ暖かかった。たった今車と衝突したようだった。もう一度ゆっくりと見てみたい鳥だ。民家の庭にはシロハラクイナが普通にいる。そんな中にツルクイナが潜んでいた。
350 キンバト 石垣島 1993,03,14
有名な家の庭にはキンバトが餌を食べに来る。菓子折り一箱もって軒下の10人ほどでじっと待っていると。キンバトは直ぐに飛んできた。ストロボは厳禁だ。森の中は真っ暗だった。フイルムカメラではみんなぶれていた。デジタルカメラでもう一度写してみたいと思う。
351 シロハラホオジロ 粟島 1993,05,02
島びらきはいつも5月1日だ。この日は村中で祭りになる。魚貝類の炭火焼。わっぱ煮。などなどごちそうがいっぱいだ。この時期はフエリーもお客さんで満杯だ。高速船もフル回転する。島中も鳥だらけになる。港の芝生、学校の校庭、畑、海岸、ヘリーポトの畑、島を取り巻く道路などはどこでも探鳥地になる。いつもの民宿なおやはお気に入りの宿だ。神社の前の八重桜は淡いピンクでこの時期に満開になる。側の民家にシロハラホオジロがいた。正面からの印象はプロレスラーだ。誰かが言っていた。五本白と。なるほどと思う。その後、飛島や舳倉島で何度か再会した。島の特産、磯ダコは島民があちこちで磯にでて竹ざおで釣っている。磯だことジャガイモの煮物は大好物だ。タコを硬くならないように煮付けるのはちょっとしたノウハウが必要なのだ。勿論、タコ飯も美味しい。朝からイカサシが食べれるので魚好きにはたまらないのだ。2005,08,05記。
352 オオメダイチドリ 銚子市 1993,09,15
銚子港の少し先の方が工事中だった頃に適度な干潟が出来ていた。そこには色々な珍鳥がよく出現していた。本命のオオチドリかコバシチドリは出なかったがオオメダイチドリが出てくれた。この鳥は秋の早い時期、真夏の頃に渡ってくる。独特の嘴と足の長さから識別することができるのだが、南の方の与那国島では良く似たチドリが出現して論争になっている。
353 ヒメハジロ 1994,03,21 厚岸湾
初めての道東冬の鳥見旅だ。釧路空港からレンタカーに分乗してポイントを見て周った。厚岸湾でははるか遠くにヒメハジロが浮いていた。厚岸湾をぐるりと周って覗いてみるがどこでも遠かった。その後、涸沼に何度か出現して近くで見ることができた。
354 コオリガモ 花咲港 1994,03,21
港を見ながら車で移動する。花咲港にはアオアオナーと鳴きながら港に浮かんでいた。今年の道東では野付けで夏羽の♂が観察された。
355 オオワシ 野付 1994,03,21
この時期の野付けは雪はほとんど残ってない。半島に入るとオオモズがいた。ナラワラを過ぎてトドワラを過ぎ車止めまで行き歩いた。海岸にはオオワシが止まっていた。近いうちに羅臼の流氷とオオワシを見たいと思っている。
356 タンチョウ 風蓮湖 1994,03,21
この時期になるとタンチョウは繁殖地にペアで移動している。ここでもペアが見ることができた。風蓮湖の長い砂州を延々と歩いていくと奥の方にはタンチヨウがいる。ハマナスの咲く砂州には色々な自然がある。マガモが繁殖しエゾシカが遊んでいる。キタキツネはどこでも見られる。
357 ハシブトガラ 風蓮湖 1994,03,21
初めて宿泊した民宿の直ぐ側にハシブトガラがいた。今年は春国岱の木道で営巣していた。
358 コアカゲラ 1994,03,21 川湯温泉 359 エゾライチョウ 川湯 1994,03,21
車での移動途中にエゾライチヨウ、コアカゲラが観察できた。コアカゲラは普通の小鳥のようにつる状の枝に止まっていた。
360 ヤマゲラ 1994,03,21 川湯
ここは有名温泉地だ。多くのハクチョウが越冬している。雪の残っている林にアカゲラ、ミヤマカケスそしてヤマゲラがいた。
361 チシマウガラス 1994,03,17 根室
納沙布岬の岩礁にウミアイサ、ウミウ、チシマウガラスがいた。初めての地は新しい鳥との出会いが多い。2005,08,08記録。
362 オオハシシギ 出島 1994,04,29
オオハシシギはついてない鳥のひとつだった。大宮市郊外の用水路で越冬しているとの情報で出かけてみたが会えなかった。そして出島に通うことになってから度々会うことになった。この時期のオオハシシギは夏羽になりつつあり、レンガ色になっている。その後は定例探鳥会の古利根川やその他で何度も会うことになった。
363 オオヨシゴイ 浮島 1994,06,05
この時期に浮島に行くのが楽しい。ヨシゴイ、オオヨシゴイ、コジュリン、コヨシキリなどが楽しめる。オオヨシゴイはもう見られなくなってしまったらしいのだが、有名HPに載る事はない。
364 ヘラサギ 福岡県 1994,01,14
出水の鶴たちを見に行く事になり、新幹線始発に乗る。レンタカーで初めに立ち寄ったところでヘラサギ、クロツラヘラサギの混群がいた。中州に十数羽が餌を採り、羽繕い、寝るなどが一度に見られた。クロツラは見れるがただヘラサギは数は少ないようだ。
365 カササギ 福岡県 1994,01,14
鹿児島に向かう途中の学校の校庭でカササギの群をみた。勝ちガラスとか言われてかちかちかちと鳴くという。この鳥はとにかく九州に行かないと見れないのだ。関西の人が越谷のシラコバトを見たがるのと同じだろう。
366 カラフトワシ 1994,01,15 川 内市
ここの個体は10年も越冬していたらしい。我々が見たのは幼鳥だ。成鳥を見てみたいと思う。
367 オオズグロカモメ 1994,01,15 球磨川河口
球磨川河口の葦原にツリスガラが群れていた。河口から堤防にあがる。満潮だ。潮が引き始めるとカモメがどこからともなく集まってきた。だんだんと干潟が現れてきた。そんな中にひときわ大きなズグロカモメがいた。
368 ソデグロヅル 出水 1994,01,16
マナヅル、ナベヅル、クロヅルの中にたった一羽のソデグロヅルがいた。中国のポーヤン湖の越冬地で見た大群は今でも覚えている。真っ白い体は直ぐに見つかった。
369 ミヤマシトド 1994,02,11 秋が瀬
足輪のついたミヤマシトドは葦原とタンボで餌を採っていた。だんだんと餌づけされてかなりの側まで寄って来たらしい。その後、粟島で見たときの感動は今でも思い出す。一度、見た鳥は二度目は直ぐに識別できるのが嬉しい。コスタリカへの途中でカリフォルニア経由での地でもスズメのようにいた。
370 アリスイ 草加公園 1994,03,05
見たいみたいと思っていた普通種がやっと近くで越冬してくれた。あれから10年も過ぎてしまった。アリスイは木の根元に下りて枯葉をどかして盛んに地面をほじっていた。近くの木の根元を見るとあちこちの根本が同じようになっていた。ここでみてからは流山、飛島などで声も聞く事ができた。モズの声と同じだ。道東では繁殖していた。
371 リュウキュウヨシゴイ 1994,03,21 石垣島
二度目の沖縄行きだった。一度は見たいと思いながらも見ることが出来なかった。そしてサトウキビの畑のようなところで出てきてくれた。2005,08,11記録。
372 チャキンチョウ 飛島 1995,05,04
何度目の飛島鳥見旅たかは不明だ。フェリーを降りると何てこと無い草地にチャキンチョウがいた。勿論、図鑑には載っていない。またまた籠抜けの話になった。300mm最短で画面いっぱいに撮れたことを覚えている。飛島を訪れるたびにそこの草地を覗いてみるようになっていた。初夏の飛島はイカが美味しい。朝からサシミが付いてくる。なんといっても一日に二度三度と島を回れたのが良かった。今ではお気に入りのポイントで待ちの鳥見になってしまった。初めの日はそれでも一周はしている。
373 コウライウグイス 秋が瀬 1995,06,03
ゴールデンウイークが過ぎると秋が瀬にコウライウグイスが来て営巣する。何年か続いていた。松戸市の鳥仲間と立科に鳥見に行くついでに寄ってみた。カメラマン、バーダーが沢山集まっていた。あの黄色い姿は見違えることは無い。その後、粟島の杉林で飛び去るのをちらりと見ることができた。それ以前にもタイかマレーシアの鳥見の時に見たことがある。
374 カラフトムジセッカ 飛島 1995,10,08
秋の飛島・粟島ではムジセッカ、カラフトムジセッカがよくでる。草の繁った薮でチャッチャッチャッ、とウグイスよりも小声で鳴くのはムジセッカ。タッタッタツと鳴くのはカラフトムジセッカだ。姿は体の色、嘴の太さ、それと声から識別は容易にできる。
375 ハシブトアジサシ 多摩川河口 1995,10,15
多摩川河口のシギチの最盛期は過ぎていた。多分情報を貰って出かけたのだろう。ほとんど記憶に残っていない鳥のひとつだ。波崎に出ることが多いのでもう一度、確めてみたい。
376 レンカク 1995,11,04 天竜川河口
レンカクは憧れの鳥のひとつだ。足が長い、尾が長い、色が美しい、鳴き声の響きがいいなどは憧れの鳥だろう。レンカクは河口の睡蓮かヒシの池にいると言う。早朝、車を飛ばした。堤防から少し入ると池が見えた。バーダーの車がある。バーダー、カメラマンがいる。多分、鳥は90%以上の確率でいると思った。カメラをセットして近づいた。豊橋の有名カメラマン他がそれぞれのポジションで構えていた。レンカクは池を早足で歩きながら餌を食べていた。時々飛びながら移動した。かなり側まで近づいてくる。この時期は既に冬羽になっていた。残念。それから5年後にスリランカで睡蓮池にレンカクは美しいゴールド色の首で出迎えてくれた。
377 アオシギ 1995,01,21 奥日光湯滝
ジシギは地味だが大好きな鳥だ。アオシギが見たくて冬の軽井沢の林道を何度も訪れた。そして、湯滝にいるよとの情報が入った。この時期はクロスカントリーのシーズンだ。俺は海育ちだからスキーもスケートもできない。福島の浜通りは東京と同じで雪は積もらないのだ。川で遊び海で泳いだから泳ぎは子供のころから遊ぶ為の必須条件だった。それで今でも健康管理のつもりでスポクラで泳いでいる。アオシギは湯滝から外れた沢すじにいた。ちらりと飛び去る姿を見た。それ以来、雪の積もる前の11月頃に何度も出てかけてアオシギを見ている。調子に乗って近づき過ぎて飛ばしてしまったこともある。アオシギは必ずもとの場所へ戻ってくるのだ。クサシギもそういう習性があるようだ。
今年もアオシギを見て露天風呂に入りたいものだ。
378 メジロガモ 1995,01,28 長良川
ミカヅキシマアジが木曽川にでた。緊急のツアーが組まれた。ところがミカヅキシマアジは不在だ。ついでの鳥見でメジロガモとご対面だった。メジロガモは柏の葉公園にもでてくれた。この時は近くて人も少なく良いカットが撮れた。
379 ミカヅキシマアジ 木曽川 1995,02,11
カモは落ち着いて場所が定まった。松戸市の仲間たちと一泊で出かけた。いつものように早朝四時出発だ。都内の渋滞を避けるための手段である。カモはトモエガモなどの群の中にいた。顔に三日月模様がなんともご愛嬌だった。浜松のビジネスホテルに宿泊した。御前崎でコクガンを見て、大井川河口でオジロワシを見た。その時たまたまコキアシシギも観察されて皆大喜びだった。帰りに釜あげしらすを買ったのを覚えている。
380 ルリカケス 381 アマミヤマシギ 奄美大島 1996,03,23
奄美大島ではオオトラツグミ(新種かもしれない)、アマミヤマシギ、ルリカケス、アカヒゲを見た。
ルリカケスは民家の戸袋に営巣していた。この辺のムクドリのようだ。ナイトツアーでは林道を歩くアマミヤマシギを見た。アカヒゲはどこかの公園で声と姿が確認できた。奄美は会社に就職して沖縄返還直後に同僚達と奄美・石垣・竹富・本島を船旅で出かけた。二十代はマラソンをやっていたので泡盛を飲んだ翌朝は朝飯前に10-20km走ったのを思い出す。今では10分走ったら心臓麻痺でぶっ倒れてしまいそうだ。だから絶対に走らない。
381 オガワコマドリ 1996,4,21 印旛沼
絶対見たい鳥だった。印旛沼に出ているとの情報だ。サンカノゴイやオオセッカが見られるところだ。出かけてみるとバーダーが並んでいた。カメラマンも並んでいる。湿地の葦原を地上すれすれに歩いてきた。すごい。図鑑通りだ。こんな配色の鳥が見られるなんて。素晴しい。写真は撮ったかどうかは記憶に無い。2005,08,17記録。
382 カラアカハラ 粟島 1996,10,11
この年も恒例の秋の粟島行きだ。神社の前の小さな畑は竹藪に囲まれている。そんな小道は珍鳥の宝庫だ。この年は、たしか彫金師のNakataniさんがカラアカハラを見つけて教えてくれた。その後、2004に横浜の小さな公園で越冬していた。出かけてみたが見ることは出来なかった。次の年の春に粟島の校庭でしっかりと見ることができた。次の年は舳倉島で何羽もの個体を観察した。成鳥推す若鳥など微妙に異なる色だった。この年は豊橋のYamagataさんやVTRのSさんと知り合いになった。
383 タカサゴモズ 横浜市大黒ふ頭 1996,11,24
埠頭へはブリッジから螺旋道路を下っていく。一部工事中だ。近くは海釣り公園になっていた。週末は家族連れで賑わっていた。モズは街路樹を移動しながらバーダーやカメラマンを100人以上も引き連れてあちこちを飛び回っていた。だから見るのが精一杯だ。それから数日が経過した。そして、モズは公園の花壇に餌付けされていた。カメラマンが超望遠レンズを構えている。モズは餌を食べに来る。シャッターが響いた。
384 オオホシハジロ 多摩川下流
大きな工場裏の河川にオオホシハジロが来ていると松戸市のItoさんからの情報だった。鳥は遠かったが他のホシハジロとは嘴の形が明らかに違っていた。何年も前に涸沼に複数個体が出現した。しかし見つけることができなかった。その後も霞ヶ浦に何度か出現した。
385 コシャクシギ 富士見市 1997,10,17
秋が瀬はコシャクシギの渡来地として知られていた。ただし、旅鳥のため情報は土日に入り、次の週末まではとどまる事は無かった。だから、対馬かどこかで見るしかないのかと思っていた。この年はムナグロの群に混じって相当期間留まっていた。日曜日はバーダーやカメラマンが県内外から大勢来ていた。現役の時には情報だけ聞いて行けなかった事が数え切れないほどだ。今では情報待ちだ。なかなか珍鳥は来ない。来ないから珍鳥だ。ボーダーレスの時代だから国境に拘らない方が良いと思う。
見たい鳥はそこに行けば見ることが出きる時代だ。さあ、あちこちに出かけましょう。日本経済の活性化にも貢献できるよ。だって鳥には国境が無いから迷ってやって来るものね。
386 サバンナシトド・クサチヒメドリ 伊奈町 1998,04,04
伊奈町の田圃の畦にサバンナシトドはいた。あちこち飛び回っていた。そして何時間も観察しているとお気に入りの場所があることに気づいた。用水路のコンクリート面に雑草の種子が落ちている場所が餌場だった。そこで待っているとシトドはやって来た。しかし、直ぐに水路に入ってしまうのだ。出入りの時が撮影のチャンスだ。近くの遊水地にはシマアジの♂の成鳥がいた。一箇所で二度美味しかった一日だった。こんなこともたまには良いだろう。
387 ハシグロヒタキ 函南町 1999,10,11
松戸市の恩師熊谷さんからの情報だ。先生は既にリタイヤして鳥見生活だから平日に行ってきたと教えて頂いた。週末の土曜日に東名高速道路を沼津ICまでそれから少し引き返した。田圃の中の畑に鳥はいた。長い足で早足で歩いた。コオロギを食べていた。大きな畑だから思い思いの場所でカメラを構えた。そして、あまり人が居ない西側で待つことにした。畑を行き来しているからどこでもチャンスはある。逆光だけ避ければいいのだ。少し高台になった畑はバックが抜けて好都合だ。そして鳥は来た。コオロギを食べてくれた。このワンチャンスで何とか撮影できた。後からの話ではオオタカが捕食したと聞いた。レンカクもオオタカに捕食されたと聞いている。
388 ハイイロペリカン 涸沼 1999,01,16
正月明けに出かけてみた。遠くに逆光のペリカンがいた。時々空高く舞い上がり遠くに行く。そして戻ってくる。何度か繰り返した。飛んでいく先を定めているかのようだ。飛んでいるペリカンは動きが穏かだから撮影し易い。
389 チシマシギ 小櫃川河口 1999,02,21
この鳥を見たくて銚子まで何度もでかけた。あしか島がポイントだという。銚子灯台の直ぐ側だ。何度も出かけてはハマシギだけだった。温暖化で越冬地が北上したのだろうか。そしてチャンスが来た。アクアラインの手前で降りて河口の葦原に行く。干潟ははるか遠い。ハマシギの中に黒く目立つ鳥がいた。それがチシマシギだった。ここでも懐かしい顔に出会うことができた。それだけにこの鳥は姿を現さないのだ。
390 ヒメクビワカモメ 谷津干潟 1999,11,27
カモメが出ているとの情報だ。ユリカモメに混じっていた。お腹がほんのりとピンク色ただ。高校に近い方にカモメが来てくれた。その後、波崎にも出ている。可愛いカモメだ。
391 クビワコウテンシ 一色町 2000,01,03
近くにオジロビタキの♂、サバクヒタキ♂が出ていた。一泊で出かけた。クビワコウテンシは大きな畑にいた。あし早に歩いて餌を食べていた。ここも各地からのバーダーが大勢いた。午後からは安城市のオジロビタキを見てきた。引き返して吉良温泉に宿泊した。次の朝はクビワコウテンシを見て撮って。早々に引き上げた。このときは近くにツクシガモ♂がいた。2005,08,18記録。
392 カラフトムシクイ 川崎市 2000,03,04
ムシクイの珍鳥、キマユムシクイは粟島、飛島で何度か見ていた。カラフトムシクイの情報があり電車とバスを乗り継いで公園に向かった。紅梅が咲き、トラフズクが越冬していた。公園内には数十人のカメラマンとバーダーがいた。林の梢にメジロよりも小さなカラフトムシクイは複雑な声で鳴きながらひらひらと身軽に移動しながら虫を捕っていた。この時期にニコンDを初めてフイールドで見た。パソコン持参で自慢の画像を公開していた。テジタル一眼のはしりの頃だった。価格は100万円ぐらいだろう。会社に勤務していた頃にカラーマッチングという技法をコンピュータでシミュレーションできるのだ。超大手N塗料会社はビルなど環境色彩を既存の風景に溶け込ませて違和感の無い色彩に仕上げるシミュレーションを行う。その為には町の風景をデジタル画像で取り込むのだ。そこで使用していたのがニコンのデジタルカメラだった。後で価格を調べたら180万円ぐらいだった。あれから10年くらいだろうか、デジタルは物凄い進歩と価格破壊が起こっている。まだまだ進歩するデジタル。カラフトムシクイはやっとの思いで一二枚写したように覚えている。
393 オオチドリ 浮島 2000,09,24
オオチドリの渡来地として与那国島が有名だ。3月の頃に数羽から十数羽が渡来する。この時期は夏羽になっている。一度は行きたいと思っている。オオチドリが浮島にいると情報を草加市の綱さんから頂いた。早速、出かけてみた。広大な田圃の中に畑がある。そこはブロッコリーの苗が植えてある。ムナグロに混じってオオチドリの若鳥はいた。畦道でじっとしているとムナグロとオオチドリは近づいてきた。同じように何度も繰り返していた。鉾田の知人Kさんとも再会してとても嬉しかった。オオチドリは右目が怪我をしているようだ。無事に越冬地に向かったのだろうか。足、嘴、羽など怪我をした鳥たちを見ると心が痛むのは私だけではないだろう。自然とは全ての生き物に不平等のような気がする。
394 ケアシノスリ 2001,12,02 利根川坂東大橋
この時期は奥日光にアオシギを見に行っていた。帰りはいつも午前中だ。そして、ついでにケアシノスリを見に行く事にした。既に昼を過ぎていた。土手の上から見ると河川敷のなかに大きな枯れ木がある。みている人に情報を聞く。今はどこかに飛んでいった。飛んでくるとあの木に止まるよ。その周囲はカメラマンがぐるりと取り囲んでいた。見るからにプロらしき人もちらほらいた。そして、情報の通りに飛んできて木に止まった。カメラマンなど全く気にしていなかった。カメラをセットして慌てて走った。空抜きになるが。羽繕い、伸びなど本当に驚いた。餌付けもされていないのに何でこの場所に止まるのだろうか。他にもあるだろうに。バーダーは土手から、カメラマンは木の周りに取り付いて思い思いの鳥見・鳥撮りだった。家に着くと真っ暗だった。おまけに越谷あたりで道に迷ってしまった。今はカーナビでどこでも心配ない。行き場所が分ればどこでもOKだ。
395 オオマシコ 軽井沢 2002,01,02
オオマシコは長野県のペンションが有名だ。その年により渡来数が激減したり来ない事もある。そして、軽井沢小鳥の森にも越冬している事を知った。そして、雪の中に餌付けされていると言う。毎年、親孝行の家族旅行をしていた。軽井沢、日光、蓼科、山中湖など会社の保養所に母を連れて行っていた。母も七十歳を過ぎると体力も衰えてきた。そして、この年が同行する最後の年になった。塩壷温泉に宿泊してロビーから見える餌台のカラ類やリスなどを見て楽しんでいた。小鳥の森を歩いていくと数人のカメラマンがいた。そして、オオマシコの♂♀、若い個体などいろいろな色合いのオオマシコがいた。雪の上のオオマシコはなんとも言えないほどの鮮やかな朱色だ。帰りには有名ジャム屋で瓶詰めを買い、隣の店で自家製の野沢菜漬けを買うのが恒例だ。そして、荻野屋の釜飯は夕ご飯に買って帰る。最近はあまり買う事は少なくなった。もっと美味しいものがあるからだ。
396 ワライカモメ 京浜島 2002,09,15
休日だが家にいた。そして、松戸市のITOさんから電話が入った。京浜島にいると。慌てて出かけてみたが、首都高速道路は大渋滞。やっとの思いで現地に到着した。普段なら入れない工事現場だ。今日は工事はお休み。港のような入り江に行くと浮きのようなところにワライカモメが止まっていた。確か、この時はデジスコデビューだった。今、HPで有名なNさんがいた。手作りのデジスコで綺麗な写真を撮られている。私のはただのニコンフィールドスコープにアダプターを取り付けただけのものだから写したけれどもブレブレの画像だ。それでもライフリストのプラスだった。この鳥は確か静岡の方にも出ていたが行く事は無かった。ITOさんは熱心で普段からあちこちに出かけている。そして、ニコンからキャノンに乗り換えた。最近、ホームシアターをセットしたからといって招待して頂いた。CDとバワーポイントで100インチの画面は大迫力がある。海外もニュウカレドニア、スリランカ以来ご一緒していないからそろそろ行きたいね。2005,08,20三郷市花火祭りの日、今日は鳥仲間が5人が花火を見に来る。
397 オオカラモズ 坂東大橋 2003,02,28
前の年のクリスマスの日に役員に今期で辞任したいと決意を話していた。既に来期の人事構想が始まる時期でもあった。そして年が明けて社内にも公開され次期の人事が確定した。六月末の株主総会まではなにがあるか分らない。会社とはそういうところだから気をしき締めていかねばならなかった。幸いにして最後の決算は黒字になっていた。なんだ、こんなはずでは無かったのに。でも決意した事は実行あるのみ。通い続けた34年の会社だ。自分で選んで決めた会社だった。バブル前は週刊誌を賑わすほどの賃金、労働条件だった。いつも草加市、埼玉県ではトップクラスだった。バブル後はそれが仇となってしまった。それでも企業は存続していく使命がある。そんな会社にお世話になった。
そして、初めて休暇をとって珍鳥のオオカラモズを求めて出かけて行った。現地には人は少なかった。
それでも情報によるとあちこち飛び回っているということだった。カメラを構えて出そうなポイントで待っていた。木立の中から大きな声のぐぜりというか囀りのように聞こえた。二声づつ鳴いていた。良く見るとオオカラモズだ。そしてススキに止まる。ホバリングする。良い感じのカットが撮れて草々に引き上げた。これが現役最後の珍鳥鳥撮りだった。
398 エトピリカ 399 ウトウ 霧多布岬 小島 2003,07,05
いよいよ現役をリタイヤして念願の道東への旅の始まりだ。るるぶとか旅の雑誌を買い込み北海道の地図を八重洲ブックセンターで買った。自作自演の旅は一人旅のはずだったがいつの間にか夫婦旅になっていた。それは自炊・キャンプではないからだ。民宿・ペンション・安ホテルでも結構楽しいのだ。二週間の行程表を綿密に組み立てた。一日の走行距離、観察ポイント、宿泊地、昼の休憩地。などなど。そして、苫小牧から霧多布までの一般道600kmを12時間で突っ走った。これは本当にきつかった。霧多布で止まる、探鳥地案内でどこにでもいるノゴマ、シマアオジは一羽も見つからなかった。小島から覗くとエトピリカが見え隠れしていた。良く見ると二羽づつ並んで何組か浮いていた。そうか、デコイか。初めは気がつかなかった。慣れてくると明らかにデコイだ。そして本物のエトピリカが浮いていた。ウトウも数羽浮いていた。駐車場で昼ごはんを食べながら。ヒーヒーヒョロヒョロ。ノゴマが歌った。粟島のヘリポート以来のノゴマの囀りだった。シシウドに止まるその姿は図鑑や写真で見る風景が今現実の世界になっていた。着て良かった。辞めて良かった。生きていて良かったと実感するひとときだ。この鳥もツノメドリもアラスカに行けば簡単に見られるのだが国内で見るのも又良いものだ。
400 ハハジマメグロ 母島 2004,01,08 記念の鳥・船旅
400はメグロと決めていた。小笠原航路の資料を取り寄せた。正月があけてからのパックツアーのフリーに申し込んだ。客が少なくなり価格も良い。サービスも良い。行き帰りの航路ではザトウクジラが飛び跳ねたり、潮を吹いた。イルカが泳ぐ。一月の母島は最高気温20℃だ。からりとしている。島の観光協会にメグロの話を聞いた。神社にいるよと言った。早速出かけてみた。足輪のついたメグロが一羽いた。久し振りの興奮だ。長い長い時間があっという間に通り過ぎていた。師匠の熊谷さんが25年前に400種を越えていた。凄い人がいるものだと思った。国内外の経験は先生の母は学校の教師でやはり海外経験が豊富だったらしい。そんな訳で師匠も母に負けずに海外に出かけていた。今は
形見になってしまった世界の鳥の本は今でも開く事は出来ない。きっともうすこし時間がかかるのだろう。走っても走っても師匠は遠い天国で極楽鳥の研究をしているのだろう。われわれの行くのを首を長くして待っているのかもしれない。あと十年は待ってもらいたいね。まだまだ行くところがあるから。母島には野口健が来ていた。東京都のエコツーリズムのアドバイザーみたいなことをしていた。
ヒマラヤ登山のゴミの話とか最高峰に到達すると人は神様みたいになってしまうという。そして山頂からダイビングするのだという。凍結した死体を足場にその上を通って山頂に向かうなど普通人では考えられない事だ。それをいい方向に活かしてもらいたいと思う。岬であった人は、島の生活が好きで住み着いてしまったという。小さな小船で島から島へ行くと色々な生き物に出会えると言っていた。キャノンデシタル400mmDOレンズを持っていた。我々よりもっともっと自由人と出会ったような気がした。そういえば、帰りの船で隣り合わせたおじさんは母島で漁師の手伝いをしながら一月ほども泊まっていると言っていた。俺に缶ビールをくれて飲め飲めと言っていたが。飲まないから遠慮深いねーとか言ってた。その気で飲むとなにがあるか分らないものね。オガサワラノスリ、ホシムクドリ、メグロは10個体以上観察した。やはり島中を歩くのが一番良い。こんどはオガサワラカラスバトを見に行きたいと思う。上野動物園ではオガサワラカラスバトの繁殖成功を新聞が報じていた。将来は母島に戻す計画だと言う。嬉しいニュースだ。
401 オナガミズナギドリ 小笠原航路
行き帰りの航路では海鳥が楽しめる。行きはお天気に恵まれて観察には最高だった。帰路は雨になってしまった。疲れと雨で船内でずーと横になっていた。腰痛にならないようにベルトをしていたのだが。久し振りの鳥撮旅だから、腰にきていたのだろう。この航路ではこの時期オナガミズナギドリがちらほちと観察された。海鳥の知識が少ないからもっと多くの海鳥がいたと思う。2005,08,20記録。
続・一鳥一史を読む