エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト

早崎 隆志


 黄金期ハリウッド映画音楽の3大巨匠と言えば、@マックス・スタイナー、Aアルフレッド・ニューマン、Bエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトのことですが、中でもコルンゴルトの作品は、従来の映画音楽の水準を遥かに超えるものでした。 それもそのはず、彼は音楽の都ウィーンで名声を欲しいままにしたクラシックの天才作曲家だったのです。

ウィーンの天才作曲家
 1907年6月のあるうららかな日、かの大作曲家マーラーは、ウィーンの音楽評論家親子の訪問を受けました。 父親は、息子の自作のカンタータを聴いてほしいと頼みます。見ればその子は麦わら帽子に隠れてしまうほど小さな可愛い男の子。
 ピアノにもたれ、楽譜を手にその子の演奏を聴いていたマーラーは、しかし、やがて部屋の中を行ったり来たりし始め、しまいには「天才だ! 天才だ!」と叫んだのでした。 この10歳の子供こそコルンゴルトです。
 エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(英語式に発音すればエリック・ウォルフガング・コーンゴールド)は1897年、今からちょうど100年前に生まれた早熟な天才でした。
 11歳で書いたバレー音楽「雪だるま」はウィーン宮廷歌劇場でワインガルトナー指揮ウィーン・フィルによって初演されて“モーツァルトの再来”と騒がれ、12歳で書いたピアノ・ソナタ第1番はリヒャルト・シュトラウスを戦慄させます。 大ピアニスト、シュナーベルは13歳の時のピアノ・ソナタ第2番をヨーロッパ中に紹介し、大指揮者ニキシュは14歳のコルンゴルトに「劇的序曲」を委嘱します。 大作「シンフォニエッタ」を完成させた15歳の頃には、コルンゴルトはすでにプロ作曲家として第一線で活躍していたのです。
 さらなる成功がオペラの舞台に待っていました。 16〜18歳にかけて書いた2つの一幕オペラ、「ポリクラテスの指環」と「ヴィオランタ」は1916年にブルーノ・ワルターの指揮で同時初演され、プッチーニの絶賛を浴びました。 続く歌劇「死の都」は圧倒的な成功を収め、コルンゴルトのオペラ作曲家としての名声を不動のものとしましたが、この代表作を書き上げた時、コルンゴルトはまだ22歳でした。
 1927年に最高傑作と自負するオペラ「ヘリアーネの奇蹟」が初演された頃には、彼の名声は頂点に達していました。 ウィーン市から芸術勲章を授けられ、オーストリア大統領からは「充分な敬意をもって」ウィーン音楽大学の名誉教授の称号を贈られました。 さらに1932年には、大新聞『新ウィーン日報』のアンケートで、シェーンベルクと並んで存命する最大の作曲家に選ばれたのです。
 しかし1933年に隣国ドイツでヒトラーが政権を取ると、ユダヤ人の血を引くコルンゴルトの活動にも次第に圧迫が加わります。 そんな矢先、ドイツからハリウッドに亡命した親友の大演出家マックス・ラインハルトから電報が届きました。 今度ワーナー・ブラザーズのためにシェークスピアの戯曲「真夏の夜の夢」を映画化することになり、音楽はメンデルスゾーンのものを編曲することにしたが、その音楽監督としてハリウッドに来てほしいというものです。 時に1934年でした。

ハリウッドでの活躍始まる
 『眞夏の夜の夢 (A Midsummer Night's Dream)』 (1934) の編曲の素晴らしさを見て、ハリウッド映画界は一斉にコルンゴルトのもとに殺到します。 コルンゴルトはパラマウントの申し出を受け、ルビッチ監督のオペレッタ映画『恋のナポリ (Give Us This Night)』の作曲をOKします。 主演は美男子テナーのヤン・キープラ、歌詞はオスカー・ハマースタイン2世という話題作で、コルンゴルトも張り切って美しい音楽をたっぷり詰め込みました。 ところが完成した映画は大駄作。 映画はこけ、音楽も忘れ去られました。
 同じ頃ワーナー・ブラザーズの音楽部長レオ・フォーブスタインが水面下でコルンゴルトに接触、二枚目俳優エロール・フリンの出世作『海賊ブラッド (Captain Blood)』 (1935) の音楽を書くことを承諾させます。 契約を終えたコルンゴルトは、その時初めて自分が1時間以上のシンフォニック・スコアを3週間以内に書き上げなければならないことを知り、それからというもの、昼はパラマウントで『恋のナポリ』のサウンドトラック録音、夜はワーナーの試写室でピアノを弾きながら作曲……という凄絶な日々が続きました。 しかし、完成した『海賊ブラッド』の壮大でロマンティックな響きは人々を仰天させ、一挙に評判を高めました。
 コルンゴルトの才能を確信したワーナーは、歴史超大作『風雲児アドヴァース (Anthony Adverse)』 (1936) の音楽を任せます。 コルンゴルトは43以上ものライトモティーフを駆使し、オペラと見紛うばかりの絢爛豪華なスコアを書き上げて、1936年度のアカデミー音楽賞を獲得しました。 但しあまりに出来が良過ぎたため賞はワーナー音楽部全体に与えられ、オスカーは音楽部長フォーブスタインが受け取ってしまいました。
 続いて書かれた『砂漠の朝 (Another Dawn)』 (1937) と『放浪の王子 (The Prince and the Pauper)』 (1937) も充分にスペクタクルかつシンフォニックな音楽で、ことに後者の喜ばしい活力と変奏の巧みさは注目に値します。

亡命
 ワーナーとの2年の契約期間が終了した1937年、コルンゴルトはウィーンに戻り、新作の歌劇「カトリーン」を完成させます。
 コルンゴルトのもとに新作を依頼するワーナー・ブラザーズからの電報が届いたのは、「カトリーン」上演準備で多忙を極めていた1938年1月のことでした。 コルンゴルトは躊躇しましたが、ウィーン国立歌劇場の支配人が「ブルーノ・ワルター指揮のオール・スター・キャストで初演できるよう準備しておくから、安心してハリウッドに行ってらっしゃい」と言ってくれたので、コルンゴルト一家はロスアンジェルスに向かいました。
 しかし、ワーナー社の試写室でE.フリン主演『ロビンフッドの冒険 (The Adventures of Robin Hood)』 (1938) を見たコルンゴルトは、またも活劇映画にうんざりし、プロデューサーのハル・ウォリスに断りの手紙を2月11日付で書きました。
 翌2月12日、音楽部長フォーブスタインがやってきて、さっそくコルンゴルトの説得を始めました。 その時、電話が鳴りました。旧友ラインハルトの妻からでした。「もうお終いよ。シューシュニクはベルヒテスガーデンにいるわ……」この日、オーストリア首相のシューシュニクはベルヒテスガーデンでヒトラーから最後通牒を突きつけられているのでした。 彼らの故国の運命は、もはや風前の灯火でした。
 コルンゴルトは悩んだ挙げ句、『ロビンフッドの冒険』への作曲を引き受けました。彼の選択が正しかったことは1ヶ月後に証明されました。 3月12日、ナチス・ドイツ軍はオーストリアに侵攻、この国を武力併合したのです。 すぐにユダヤ人狩りが始まり、ウィーンのコルンゴルト邸もゲシュタポ(ドイツ国家秘密警察)に“接収”されました。 コルンゴルトは死に物狂いで長男、両親、親戚をアメリカに亡命させ、続いて自宅に置きっ放しの自筆譜の回収をヴァインベルガース出版社に頼みました。 ヴァインベルガースの社員たちは、ゲシュタポが上の階で酔っぱらって寝ている隙にコルンゴルト邸の地下室に忍び込み、楽譜をかき集めて、アメリカに輸出される出版楽譜の間に挟んで密輸してくれました。
 故郷を失ったコルンゴルトは、ワーナー撮影所まで歩いて5分の場所に家を買い、亡命した家族や親戚を養うため、映画音楽の作曲に専念しました。 コルンゴルトの言葉によれば彼らは「ワーナー・ブラザーズに植民」したのです。
 しかし、生活のためにオペラをあきらめ、強制的に活劇映画の音楽を書かされる毎日は苦痛でした。「もうたくさんだ! こんな音楽は書いちゃいられない!」夜中にこう叫ぶ日もありました。 にも関わらず、7週間で書き上げた『ロビンフッドの冒険』の音楽は彼の代表的傑作でした。 威勢が良くてカラフルで、飽きさせません。ジョン・ウィリアムズやジョン・バリーも映画音楽史上の屈指の名作の一つに数えています。 この作品は当然のようにアカデミー作曲賞を受賞しました(今度はコルンゴルト個人として獲得)。 いやいや書いた曲がこんなに優れているとは……コルンゴルトとは何という天才なのでしょう。
 彼はその後も『革命児フアレス <TV> (Juarez)』 (1938-39)、『女王エリザベス <TV> (The Private Lives of Elizabeth and Essex)』 (1939) など、さらにブリリアントなスコアを書いてゆきます。 特に『女王エリザベス』でフル・オケを縦横に鳴らしながら、きちっとしたメリハリを付けているのはさす。 アカデミー音楽賞ノミネート。
 その頃第2次世界大戦が始まり、楽天家だったコルンゴルトは物思いに沈みがちになって、「ドイツにいる悪魔が打ち破られるまで」絶対音楽作曲の筆を断つことを誓ったといいます。
   ※ 文中、 <未> は劇場未公開、<TV> は劇場未公開・テレビ放映を意味します。

“二つの世界の狭間”
 1940年に書いたE.フリン主演の海賊冒険活劇『シー・ホーク (The Sea Hawk)』のダイナミックなスコアは、コルンゴルトの映画音楽の最高傑作の一つです。 愛国的な海洋活劇にふさわしく、金管が勇ましい主題を吹き鳴らします。うわあ、かっこいい! 聴き所の一つはパナマの湿地帯を進む場面の音楽で、弦楽器のピッツィカートと、マリンバ、タンブリン、瓢箪、ヴァイブラフォーン、木琴、タム-タム、木魚、鉄琴、コンガなどの打楽器軍がぬかるむ足取りを示し、サキソフォーンや弦のポルタメントが熱帯の夜の物憂い雰囲気を描きます。 コルンゴルトの見事なオーケストレーションの一例です。アカデミー音楽賞ノミネート。 演奏効果も抜群なので、管弦楽演奏会のプログラム作りに悩む方はぜひ検討してみて下さい。
 『海の狼 (The Sea Wolf)』 (1941) に続いて書かれた『嵐の青春 (Kings Row)』も人気の高いスコアで、コルンゴルトのまばゆいばかりの色彩感を味わうには絶好のオーケストラ・サウンドです。
 1942年に旧友ラインハルトと組んでニューヨークのブロードウェイでミュージカル「ロザリンダ」を大ヒットさせたコルンゴルトは、次回作ミュージカルの準備に力を注ぎましたが、1943年10月にラインハルトが急死したため、実現しませんでした。
 ハリウッドに戻ったコルンゴルトは『まごころ (Devotion)』(1943)、『永遠の処女 (The Constant Nymph)』 (1943) を書きますが、ミュージカルでの成功やウィーンへのホーム・シックに捕らわれた彼は、映画音楽に情熱を失い始めます。 それでも『まごころ』の光り輝くメロディやオーケストレーション、『永遠の処女』のために書かれた交響詩「あした」Op.33などは注目すべきものです。
 死後の世界での審判を描く1944年の『霧の中の戦慄 (Between Two Worlds)』は、その幽玄な内容や音楽の性格が彼の傑作オペラ「ヘリアーネの奇蹟」に近く、作曲者自身最も気に入っていました。 コルンゴルト自身が、クラシックと映画音楽、ウィーンとロスアンジェルス、ハリウッドとブロードウェイ……といった“二つの世界の狭間”にいたことも関係しているのでしょう。
 続いてワーナーが頼み込んだのは『人間の絆 (Of Human Bondage)』 (1946) <日本未公開> という駄作で、コルンゴルトは音楽の力で映画を救うべく、贅沢なスコアを付けて奮闘しましたが、かえって映画の粗雑さが浮き彫りになる結果となり、公開は2年間も延ばされました。 こうした経験が重なり、コルンゴルトはハリウッドに幻滅するようになりました。

映画音楽との訣別
 1945年、第2次世界大戦が終わると共に、コルンゴルトは純音楽の作曲に復帰し、弦楽四重奏曲第3番 Op.34、ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.35などの傑作を書き始めます。
 これらの作品には映画音楽が素材として利用されています。
 例えば、弦楽四重奏曲第3番の第3楽章では映画『海の狼』の素朴で美しい愛のテーマが用いられ、第4楽章では『まごころ』の動機が使われるという具合。
 有名なヴァイオリン協奏曲も、第1楽章の第1主題は『砂漠の朝』の愛のテーマ、第2主題は『革命児フアレス』からカルロッタの主題、第2楽章の主要主題も『風雲児アドヴァース』から取られ、第3楽章の変奏主題は『放浪の王子』の「王子のテーマ」です。 ヴァイオリン協奏曲はこのような素敵なメロディーに満ち溢れ、管弦楽法も輝かしく、陽気で生き生きとした曲ですので、クラシック音楽だといって敬遠せず、ぜひ聴いてみて下さい。
 1946年、コルンゴルトは『嘆きのプレリュード <TV> (Escape Me Never)』と『愛憎の曲 (Deception)』にスコアを付けました。 後者は女流ピアニストを巡るチェリストと作曲家の三角関係を描く映画で、コルンゴルトはこの映画のために凝縮されたモダンなチェロ協奏曲 ハ長調 Op.37を作っています。 映画のためにいっぱしの協奏曲をさらりと書き上げてしまうところがすごすぎます。
 しかし『愛憎の曲』を最後に、コルンゴルトは映画音楽の世界から足を洗いました。 プロデューサーのヘンリー・ブランクに「なぜ?」と聞かれ、「ぼくは昔は英語が分からなかった。でも今は映画の中の会話が分かるんですよ」と答えたと言われます。 彼は低俗なハリウッド映画に嫌気が差し、クラシック音楽の世界に戻る決心をしたのです。

ハリウッド・サウンドを確立したコルンゴルト
 コルンゴルトの音楽は和声、対位法、転調、オーケストレーション、どれをとっても完璧で、しかも独創的で生き生きしたイマジネーションに満ちています。大規模な管弦楽を用いているにも関わらず、響きはスタイナーなどより重くなく、モダンかつ新鮮で聴きやすいのが特徴です。 彼は映画音楽にオペラと同様の真剣さを注ぎ、マーラーやリヒャルト・シュトラウスから直接学んだドイツ後期ロマン派の作風をそのままハリウッドに持ち込みました。
 コルンゴルトが映画に作曲するときは、ストップウォッチはおろか、キュー・シートも用いませんでした。 バナナの皮ですべる時はピアノのグリッサンドを鳴らす…といった、いちいち音楽を画面に従属させるやり方(シンクロナイジング)や、劇の進行に合わせた効果音のような音楽の入れ方もまったく無視しました。彼が重視したのは脚本(スクリプト)で、
「これは歌劇の台本(リブレット)のようなものだ」
と言って、脚本から得られた自らの音楽的インスピレーションのみに基づいて曲を書いてゆきました。
 出来上がった作品はR.シュトラウスの楽劇を現代的感覚で蘇らせたようなもので、無意味な音符は一つも含まれていませんでした。
 また、彼の映画音楽にはオーケストレイターとしてフリードホーファーの名がクレジットされていますが、詳細な楽器の指定や完成した総譜のチェック・書き直しは全てコルンゴルトが自ら行いました。
 こうした真摯な創作から生まれたのが、勇壮なファンファーレが鳴り響き、大管弦楽が燦然と光り輝くシンフォニック・スタイルでした。 それは薄っぺらな映画音楽に慣れていたハリウッドに大変な衝撃を与え、映画音楽の大先輩、スタイナーニューマンにも強い影響を及ぼし、ハリウッド音楽の典型となりました。 コルンゴルトを通じてドイツ後期ロマン派はアメリカに流れ込み、ハリウッドで脈々と生き続けることとなったのです。 それが今日のハリウッド音楽の母体となっていることを考えれば、彼こそハリウッド・サウンドの生みの親と言えるでしょう。

コルンゴルト・ルネサンス
 さて、コルンゴルトは映画音楽から離れた後、弦楽合奏のための交響的セレナードOp.39、交響曲嬰へ調Op.40など優れたクラシック作品を書き続けましたが、「映画音楽作曲家」というレッテルを貼られ、戦後のクラシック楽壇からは相手にしてもらえませんでした。 夢にまで見たウィーン帰国も失敗に終わり、打ちひしがれたコルンゴルトはロスアンジェルスに戻り、不遇な晩年を送った末、1957年11月29日、脳溢血で亡くなりました。 葬儀にはお決まりの“お偉いさん”だけでなく、舞台係、音効(音響効果)、編集係などの現場スタッフまでが集まり、故人に別れを告げました。
 映画音楽に対する偏見により作曲界から抹殺されたコルンゴルト−−しかしその復興もまた、映画音楽の分野から始まりました。
 ワーナー・ブラザーズの古い映画がテレビ放映されると、コルンゴルトの音楽は一部のファンの間で熱狂的に支持されるようになります。
 そこに目を付けたRCAは、チャールズ・ゲルハルト指揮ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏でコルンゴルトのオリジナル・スコアを再録音したアルバムを1972年にリリースします(コルンゴルトの次男ジョージ・コーンゴールドが製作)。
 これは爆発的な売れ行きを示し、コルンゴルトのクラシック作品の再評価や、ゲルハルト/ナショナル・フィルの演奏による名企画「クラシック・フィルム・スコア」シリーズを導きました。 このシリーズが、フル・オケを駆使した映画音楽の人気に火を付け、『スター・ウォーズ』登場の遠因ともなったことを考えれば、今日のシンフォニック・スコアの隆盛の陰にはコルンゴルトの存在があったと言えるでしょう。

=推薦CD=

『海賊ブラッド』/エロール・フリンの映画音楽 (Captain Blood / Classic Film Scores for Errol Flynn)
 C.ゲルハルト指揮ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団 BMG/RCA Victor 0912-2-RG [8トラック 56:01]
 ゲルハルト/ナショナル・フィルのコンビはかなりの量のコルンゴルトを録音していて、いずれもお勧めなのですが、演奏、録音などを総合的に考えると最初に買うのはこれがいいでしょう。『シー・ホーク』、『海賊ブラッド』、『ロビンフッドの冒険』の聴き所が大迫力の名演で収録されています。 併録はスタイナーの『ドン・ファンの冒険』、ワックスマンの『Objective, Burma!』、フリードホーファーの『陽はまた昇る』などで、これらも聴きもの。
 コルンゴルトだけを集めたものならゲルハルト/ナショナル・フィルの記念すべきファースト・アルバム『シー・ホーク』/コルンゴルト映画音楽集 (The Sea Hawk / The Classic Film Scores of E.W.Korngold) =BMG/RCA Victor 60863-2-RG= を聴いて下さい。 12作品からまんべんなく聴き所が網羅されています。
 もう一歩コルンゴルトの世界に入りたい人は『エリザベスとエセックス』/コルンゴルト映画音楽集 (Elizabeth and Essex / The Classic Film Scores of E.W.Korngold) =BMG/RCA Victor 0815-2-RG= がよろしいでしょう。
 颯爽とした『エリザベスとエセックス』、華麗な『放浪の王子』、ヴァイオリン協奏曲にも転用された美しい『砂漠の朝』の愛のテーマ、魅力溢れる『人間の絆』、聴き込むほどに味のある『愛憎の曲』のチェロ協奏曲など、シニア・コルンゴルディアン向きの作品集です。
 また、カウフマン指揮ブランデンブルク・フィルのオリジナル・スコア集「ヒストリカル・ロマンス」(MARCO POLO 8.223608)に収録された『フアレス』序曲と『まごころ』もぜひ御一聴のほどを。 曲と演奏・録音の素晴らしさに思わず聴き惚れること請け合いです。

『嵐の青春(Kings Row)』オリジナル・スコア (新録音)
 C.ゲルハルト指揮ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団 VARESE SARABANDE VCD 47203 [2トラック 48:00]
 断片的な抜粋じゃ満足できない!---という向きには、オリジナル・スコア全曲の再録音盤を紹介しましょう。 このCDはゲルハルト/ナショナル・フィルの最高の録音の一つで、冒頭の、しぶきが飛び散るようなまばゆいコルンゴルトのオーケストレーションには思わず舌を巻いてしまいます。 シンフォニック・スコアの何たるかを示してくれる一枚。  オリジナル・スコア再録音には他に、

などがあります。

時津英裕さんの 思い出の録音集
 コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲を日本初演されたヴァイオリニスト、時津英裕さんのホームページ。初演の様子を RealAudio で聴くことが出来ます。ほかにもフランクやマルティヌーのヴァイオリン・ソナタなどの素敵な演奏があります。ぜひ御一聴を。

コルンゴルトの伝記

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更新日:1998/05/03; 2003/10/07

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