ウィリアム・ウォルトン
William Turner Walton   1902〜1983
早崎 隆志

B.ブリテンと並ぶ、20世紀イギリスの代表的な作曲家。作風は重厚(例えばオラトリオ「ベルシャザール王の饗宴」など)で、時として硬質(例えば交響曲第一番)だが、元来はロマンティックで新鮮である(ヴァイオリン協奏曲など)。そして独創的で力強く、機知に富み、かつ分かりやすいため、大衆的な人気がある。
 映画音楽の仕事は1930年代から始め、また第2次世界大戦中はイギリス政府のプロパガンダ映画の音楽の作曲にも従事し、さらに戦後はローレンス・オリヴィエ製作・監督・主演のシェークスピア三部作にスコアを提供するなど、クラシックの作曲家の中では質・量ともに最も優れた業績を映画音楽の分野で残している。

=Contents=

  • =ウォルトンと映画音楽=
  • =ウォルトンの映画音楽:歩みと作品=
  • =ウォルトン映画音楽リスト=
  • =ウォルトンの略歴=


     ウォルトンは、ブリトゥンやヴォーン・ウィリアムズと並ぶ20世紀イギリスの代表的作曲家です。新鮮なハーモニーとリズムを用いながらも前衛や無調に走ることなく、大衆的な味を盛り込みながら、若々しく精力的な音楽を書き続けました。
     彼も他のイギリスの大作曲家と同じく多くの映画音楽を書きましたが、異なっていたのは、彼の場合、映画音楽が単なる余興ではなく、その創作活動の主要な一部を成していたということです。そのため、彼の映画音楽は極めて水準が高く、おそらくこれまで書かれた映画音楽の中でも、最も優れたものの一つと言って良いでしょう。

     ウォルトンの映画音楽にはどんなものがあるか、魅力・聴き所は何か、またそれがどのように生み出されたか、以下で探ってみましょう。


    =ウォルトンと映画音楽=

     ウォルトンは早くから劇音楽とつながりを持っていました。
     そもそも、デビュー作からしてが、親友イーディス・シトウェルのナンセンスな詩を朗読するダダイズム的な実験的舞台作品「ファサード」 (1922) に付けた音楽でした。
     その後ディアギレフ率いるロシア・バレエ団のためにバレエ曲を書いたり(結局没になりますが)、劇音楽に手を染めたりしながら、1934年、32際の時に最初の映画音楽『逃げちゃ嫌よ』を書きます。
     それ以来1970年の『三人姉妹』に至るまで、35年の間に14本の映画音楽を書きました。

     彼は、「映画音楽的」な書き方はしません。映画音楽だから、といって手を抜いたり、大衆に迎合したような安っぽい音楽を書くことはなく、基本的に本領のクラシックでの作曲と同様の手法で、全力投球で仕事をこなしていったのです。
     それらはいずれもイギリス音楽の伝統と新鮮な現代的感覚に満ちた優れたもので、特に、ローレンス・オリヴィエ製作・監督・主演のシェークスピア映画三部作(『ヘンリィ五世』(1945)、『ハムレット』(1946)、『リチャード三世』(1956))に付けられた壮麗なスコアは、エイゼンシュテインの映画に付けたプロコフィエフの音楽に匹敵する傑作として映画音楽史上に燦然と輝いているのです。


    =ウォルトンの映画音楽:歩みと作品=

    ツィンナー監督との出会い

     「ファサード」でセンセーショナルな成功を収め、1926年にはチューリッヒのISCM音楽祭で演奏会用序曲「ポーツマス・ポイント」を披露して注目された新進作曲家ウォルトンは、1929年のヴィオラ協奏曲 (ヒンデミットの独奏で初演) で実力を認められ、次々と委嘱が舞い込むようになりました。  BBCの委嘱に基づくオラトリオ「ベルシャザールの饗宴」(1931年初演)、1932年に指揮者ハミルトン・ハーティの依頼で書き始められた交響曲第1番などは彼の代表作になりました。
     ところが、第1交響曲の作曲はなかなか思うようにはかどりませんでした。世界大恐慌の影響で収入が減り、当時スイスで同棲していたImma von Doernbergby男爵夫人が病気になったり、彼女との愛が破局を迎えたりしたためです。
     1934年にはImmaが彼のもとを去り、ウォルトンは新たにレディ・アリス・ウィンボーンと恋に落ちました。この行動を親友シトウェル兄弟は認めず、ウォルトンはとうとう彼らの家から最終的に出ていくことになりました。

     こうした困難な時期、ウォルトンの下にドイツの映画監督パウル・ツィンナー (Paul Czinner) から映画音楽への誘いが来ました。
     ブダペスト生まれのツィンナー監督は、妻の女優エリザベート・ベルクナー (Elisabeth Bergner) を主演にした『ニュウ (Nju)』 (1924) 、『夢見る唇 (Der Traumende Mund)』 (1932) などサイレント・初期トーキーの名作を撮りましたが、1933年のヒトラー政権成立後、イギリスに逃れてきたのです。
     彼がウォルトンに依頼したのは、映画『逃げちゃ嫌よ』のスコアでした。
     ウォルトンは心の傷を癒す意味でも、この委嘱を受け、1934年に作曲を完成しました。

    逃げちゃ嫌よ
    Escape Me Never
    製作年度:1935年
    製作会社:英 British and Dominion 撮影所
    配  給:ユナイテッド・アーティスツ
    上映時間:95分・白黒
    封切り:1935年10月14日、ロンドンのLondon Pavilion劇場
    日本での公開:1935年11月、劇場公開
    製作■ハーバート・ウィルコックス
    監督■パウル・ツィンナー
    原作■マーガレット・ケネディの戯曲
    サウンドトラック演奏■Max Greenebaum指揮 British and Dominions管弦楽団
    出演■エリザベート・ベルクナー/ヒュー・シンクレア/グリフィス・ジョーンズ/ペネロープ・ダドリー=ウォード/レオン・クォーターメイン
    スコアの楽器編成:2 flutes, oboe, 2 clarinets in B-flat, bassoon; 2 horns, 3 trumpets in B-flat, tuba; percussion (side drum, tambourine, triangle, cymbal, celesta, cowbells, glockenspiel, vibraphone, tubular bells, gong); harp; strings
     映画は、若く貧乏な未婚の母と、自作バレーのロンドン公演に熱中する音楽家との愛を描くもので、ウォルトンは主人公の作曲家のバレエ音楽を作曲しましたが、本編の映画ではほとんど用いられませんでした。(ウォルトンはあとでこのバレエ音楽を別個に出版しています。)
     スコアは繊細で美しいのですが、ウォルトンにしては線が細く、彼の個性がまだ十分には発揮されていないようです。
    前奏曲」は和声的に新しさが見られるものの、やや紋切り型のロマンティック・スコア。
     ピアノ、ハープのアルペッジョやグリッサンド、木管のきらめくような音型などをバックに繰り広げられる「ヴェネツィアの牧歌 (Venetian Idyll) 」は心地よい。
     「ドロミテ・アルプスにて (In the Dolomites) 」は、のんびりとしたインテルメッツォで、カウ・ベル、ヨーデル、角笛などが模倣され、アルプス情緒をかき立てます。
     「バレエ音楽 (Ballet) 」は華麗でもロマンティックでもなく、むしろ粗野で攻撃的な音楽です。中間部では前奏曲の楽想がバレエのテンポで回想されます。
     なおこの映画は『嘆きのプレリュード (Escape Me Never)』(1947)としてリメイクされ、コルンゴルトが音楽を付けました。

     『逃げちゃ嫌よ』を仕上げて後、1934年12月に彼の交響曲の最初の2楽章だけが初演されました。フィナーレの第3楽章はまだ完成していなかったからです。
     しかし身辺が落ち着くと彼は再び交響曲の仕上げに戻りました。
     1935年11月に行われたウォルトンの交響曲の全曲初演は、イギリス音楽史上希に見るセンセーショナルな成功を収めました。曲はエルガーやヴォーン・ウィリアムズの交響曲と比較され、ウォルトンは現代イギリス最大の作曲家と見なされるまでになりました。

     さて、『逃げちゃ嫌よ』で一緒に仕事をしたツィンナー監督と女優エリーザベト・ベルクナーの夫妻は、ウォルトンを大変気に入り、再び彼を呼びました。
     今回の仕事はシェークスピアの原作による『お気に召すまま』でした。

    お気に召すまま
    As You Like It
    製作年度:1936年
    製作会社:英 Elstree 撮影所
    配  給:20世紀フォックス
    上映時間:96分・白黒
    封切り:1936年9月3日、ロンドン、ヘイマーケットの Carlton 劇場
    日本での公開:劇場公開
    製作・監督■パウル・ツィンナー
    原作■ウィリアム・シェークスピアの戯曲
    脚本■J・M・バリー/ロバート・カレン
    撮影■ハル・ローソン/ジャック・カーディフ
    編集■デヴィッド・リーン
    舞台装置■Lazare Meerson
    サウンドトラック演奏■エフレム・クルツ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
    出演■エリザベート・ベルクナー(ロザリンド役)/ローレンス・オリヴィエ(オルランド役)/Felix Aylmer
    スコアの楽器編成:2 flutes (doubling piccolos), 2 oboes, 2 clarinets, bass clarinet in B-flat, bassoon; 4 horns, 2 trumpets in B-flat; percussion (glockenspiel, marimba, tubular bells, large cymbal, small cymbals, tabors, suspended cymbals, gong, jingles, side drum, triangle, church bells); piano; strings; chorus
     映画の製作スタッフには逸材が揃えられました。
     脚本のバリーはツィンナー&エリザベート・ベルクナーの友人で、この頃ベルクナーのために戯曲『The Boy David』を書きましたが、高齢のため、これが彼の遺作となりました。上演に際してはウォルトンが音楽を提供しましたが、残念ながらそのスコアは現存しません。
     撮影は若きデヴィッド・リーンが担当しました。
     また、ウォルトンの生涯の友となる名優ローレンス・オリヴィエも、この映画で初めてウォルトンと出会ったのでした。

     ウォルトンとシェークスピア映画は相性がいいのですが、そのことは最初のシェークスピア映画であるこの『お気に召すまま』でも明らかです。ここでのウォルトンは、前作の『逃げちゃ嫌よ』とはうってかわって、水を得た魚のように生き生きとした音楽を展開させています。管弦楽は鮮やかだし、音楽は勢いが良く、全てが輝き、全てが歓喜に満ちています。音楽の楽しさ、美しさの原点を見るようなスコアです。
     若々しい活気と希望に満ちた「前奏曲」、色彩と音量を変化させて泉の変化を描く見事な「」、「オーヴェルニュの歌」の引用がある華やかなフィナーレ「婚礼の行列」など、聴き所に事欠きません。
     また、エリザベス朝時代のリュート歌曲を模した劇中歌「緑の森の木の下で (Under The Greenwood Tree)」は単独で歌曲として出版されました。
     但し、当時まだ22歳だったベンジャミン・ブリトゥンは、『World Film News』1936年10月号の批評で、ウォルトンが伝統的なオーケストラ・スコアに終始し、新しい実験を行わなかったことを非難しています。二人の若きイギリス音楽のホープが、早くも路線の違いを見せているようで興味深いものがあります。
     しかしそのブリトゥンも、緊密に作られた前奏曲や、端正で詩的な「ロザリンド」のライトモティーフには賞賛を送っているのです。

     翌1937年もツィンナー夫妻はウォルトンに声を掛けました。
     今度の作品『夢見る唇』は、ツィンナーが1932年にドイツで撮った同名映画『夢見る唇 (Der Traumende Mund)』の英語版リメイクでした。
    夢見る唇
    Dreaming Lips
    製作年度:1937年
    製作会社:英 デンハム (Denham) 撮影所
    上映時間:??分・白黒
    封切り:1937年10月11日、ロンドンのLondon Pavilion 劇場
    日本での公開:劇場未公開
    製作・監督■パウル・ツィンナー
    原作■ヘンリー・ベルンシュタインの戯曲
    サウンドトラック演奏■Boyd Neel指揮 ロンドン交響楽団、独奏ヴァイオリン:アントニオ・ブローザ (Antonio Brosa)
    出演■エリザベート・ベルクナー/レイモンド・マッシー (Raymond Massey) /ローズマリー・ブレント
     オリジナルの映画はカール・マイヤーの脚本、J・クリューゲルの撮影、エリザベート・ベルクナー、ルドルフ・フォルスターらの出演で作られ、日本でも1933年10月に劇場公開された作品です。
     この時期はウォルトンにとっても金銭の欲しい時期だったので、このような二番煎じのような仕事を引き受けたのだと思われます。
     筆者は残念ながらこの映画のためのスコアを耳にしたことが無く、コメントできません。

     『夢見る唇』と同じ1937年、イギリスでは新国王ジョージ6世の戴冠式が行われました。
     この荘厳な儀式のために、ウォルトンは行進曲「王冠」を書きました。これは瞬く間に大衆的な人気を集め、ウォルトンは気品高い王室向けセレモニー音楽を書いたエルガーの後継者と見なされるようになりました。
     この頃、名ヴァイオリン奏者ヤッシャ・ハイフェッツとブリティッシュ・カウンシルが、ヴァイオリン協奏曲を委嘱してきました。ウォルトンは1937年遅くに作曲に取りかかり、一心不乱に書き進めて、1939年に完成します。
    盗まれた人生
    Stolen Life
    製作年度:1938年
    製作会社:英 パインウッド (Pinewood) 撮影所
    配  給:パラマウント
    封切り:1939年1月18日、ロンドンのプラザ劇場
    日本での公開:劇場未公開
    製作・監督■パウル・ツィンナー
    原作■K. T. バーンズの小説
    サウンドトラック演奏■Hyam Greenbaum指揮 BBCテレビ管弦楽団
    出演■エリザベート・ベルクナー/マイケル・レッドグレイヴ (Michael Redgrave) /ローズマリー・ブレント

     ヴァイオリン協奏曲の作曲に没頭していた1938年、またもツィンナーから誘いがかかり、ウォルトンは『盗まれた人生』のプロジェクトに引っ張り込まれます。
     これも筆者は聴いたことがないので、コメントは差し控えますが、この時期のウォルトンの作風から考えて、生き生きとした、芯のしっかりした音楽が展開されているのではと思います。
     ニュース映画の場面では、『逃げちゃ嫌よ』(1934)のバレエ音楽が再び用いられているそうです。

     1939年、ウォルトンは恋人のレディ・ウィンボーンと一緒にアメリカに渡ります。ハイフェッツによる彼のヴァイオリン協奏曲の初演を聴くためです。
     しかし、彼は初演を聴くことが出来ませんでした。9月にナチス・ドイツがポーランドに侵攻、第2次世界大戦が勃発したからです。ウォルトンは急遽イギリスに戻ります。

    戦争プロパガンダ映画への作曲

     戦争勃発当時、ウォルトンは作曲家としていよいよ脂の乗り切った全盛期を迎えていました。この頃までに彼の明快で鋭い語法は確立され、旺盛な創作意欲がはけ口を探しているところでした。
     タイミング悪く戦争が始まったため、コンサートやオペラ・演劇の上演は激減し、いきおい彼の創作は映画へと向かいました。これが、戦後のローレンス・オリヴィエ監督・主演のシェークスピア映画に付けた数々の名スコアを導くことにもなるのです。

     1940年前半、ナチス・ドイツはフランスを制圧、そこを拠点にイギリス上陸作戦を準備し、ロンドンに猛空爆を加えました。この時期がイギリスにとって最も厳しい局面でした。しかしその夏、名戦闘機「スピットファイア」を中心とするイギリス王立空軍は、「英国の戦い (The Battle of Britain)」と呼ばれる激しい空中戦によってドイツ戦闘機を撃退し、国を守り通したのです。
     この年の後半、ウォルトンはシカゴ交響楽団からの委嘱に基づいて喜劇序曲「スカピーノ」を書きましたが、同じ頃、新たな映画音楽の依頼が舞い込みました。
     依頼主は、作家バーナード・ショーの原作・脚本に基づく『ピグマリオン <未> (Pygmalion)』 (1938) でヒットを飛ばしたプロデューサーのガブリエル・パスカル。今回もショーと組み、女性士官の活躍を描く『バーバラ少佐』を作ろうとしていました。
    バーバラ少佐
    Major Barbara
    製作年度:1941年
    製作会社:英 DenhamのD & P 撮影所
    配  給:ユナイテッド・アーティスツ
    封切り:1941年3月21日、ナッソーのサヴォイ劇場 (the Savoy)
    日本での公開:劇場未公開
    製作・監督■ガブリエル・パスカル
    原作・脚本■ジョージ・バーナード・ショー
    サウンドトラック演奏■ミューア・マシスン指揮 ロンドン交響楽団
    出演■ウェンディ・ヒラー/レックス・ハリソン/ロバート・モーリー/デボラ・カー
       ウォルトンのスコアは、きりりと引き締まったミリタリー調に、甘いロマンティックな愛のテーマを絡めた贅沢なもので、超一級品とはいかないにしても、見事な出来を示しています。
     「タイトル」では、「進めキリストの兵士たち (Onward Christian Soldiers) 」を用いた勇壮活発な音楽に続き、たっぷりとロマンティックな主題がホルンを伴ったヴァイオリンに現れます。これはバーバラ(ウェンディ・ヒラー)とアドルフス(レックス・ハリソン)の愛のテーマです。その後行進曲が再現されます。
     「アンダーシャフト社の工場」は、執拗なオスティナートと打楽器が機械を描写する粗野で大胆な音楽で、追い立てるような切迫感があります。同社の社会主義理想郷で遊ぶ子供たちを描く「アンダーシャフトの『庭園風郊外』」は、「少年少女たちは遊びに出掛ける (Girls and Boys come out to play) 」による抒情的変奏曲。
    ラブ・シーン」の音楽は、極めて親密な木管の対話に始まり、やがて愛のテーマが大きく高揚します。
     そして「エンド・タイトル」では、勇壮な楽想に被さるように愛のテーマが対位法的に組み合わされるのです。
     なお、このスコアのサントラ録音を、イギリス映画音楽の巨人ミューア・マシスンが振っているのは注目すべきです。マシスンはこの後、徴兵されたウォルトンを前線送りから救ったり、ローレンス・オリヴィエ監督・主演の一連のシェークスピア映画のための名スコアを振ったりします。

     1941年はじめ、ウォルトンに召集令状が送られました。自分もいよいよ戦場に送られるか、と覚悟した時、情報省に呼ばれ、前線に行かなくていいから、「国家的に重要な」映画に音楽を付けるという形で国に貢献してもらいたい、と言われました。
     筆者の手元には資料が無くて確かめようがないのですが、この当時ミューア・マシスンが情報省にいて、ヴォーン・ウィリアムズやバックスといった名だたるイギリスの作曲家に盛んに国策映画の音楽を書く仕事を回していましたから、ウォルトンにも同様に彼が救いの手を差し伸べたのでは、と思われます。
     その直後の5月、ロンドンにあった彼のアパート(フラット)が爆撃されました(同じ空襲でクイーンズ・ホールも破壊されました)。そこで彼は、Northants.の Ashby St.Ledgers にある恋人レディ・アリス・ウィンボーンの邸宅で居候生活をすることになりました。

    近親者
    Next of Kin
    製作年度:1942年
    製作会社:英 イーリング映画社
    配  給:ユナイテッド・アーティスツ
    封切り:1942年1月、ロンドンのカーゾン劇場
    日本での公開:劇場未公開
    製作■マイケル・バルコン
    監督■ソロルド・ディッキンスン
    脚本■ソロルド・ディッキンスン/Basil Bartlett/Angus MacPhail/John Dighton
    サウンドトラック演奏■音楽監督アーネスト・アーヴィング指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
    出演■Marvyn Johns/Stephen Murray
     最初の国威発揚映画の仕事は、イーリング映画社のマイケル・バルコンが製作したソロルド・ディッキンスン監督『近親者』(1942)〔日本未公開〕でした。ウォルトンはこのスコアを1941年12月の3週間で仕上げました。
     勇壮な訓練シーンの音楽、胸がわくわくするような戦闘準備のホルン信号、心に染みるラブ・シーンの音楽など、聴き所が少なくありません。

    親方フランスへ行く
    The Foreman Went to France
    製作年度:1942年
    製作会社:英 イーリング映画社
    配  給:ユナイテッド・アーティスツ
    封切り:1942年4月13日、ロンドンのLondon Pavilion 劇場
    日本での公開:劇場未公開
    製作■マイケル・バルコン
    監督■チャールズ・フレンド
    脚本・語り■J・B・プリーストリー
    サウンドトラック演奏■音楽監督アーネスト・アーヴィング指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
    出演■Clifford Evans/Tommy Trinder/Constance Cummings/Gordon Jackson
     ウォルトンは引き続き、マイケル・バルコンからの仕事を引き受けました。チャールズ・フレンド監督『親方フランスへ行く』(1942)〔日本未公開〕がそれで、特殊機械がドイツ軍の手に渡らないよう、フランスに渡って機械を持ち去った親方の実話を基にした話です。
     スコアは1941年年末ぎりぎりから翌1942年1月過ぎに書かれました。軽妙な自転車競争のシーンの音楽、強い印象を残す難民場面のスコアなど、優れた箇所は多いのですが、中でも、スコッチスナップのリズムも交えながら力強く盛り上がる「エンド・タイトル」は、伸びやかで希望に満ち、感動的です。

    スピットファイアー
    The First of the Few / Spitfire
    製作年度:1942年
    製作会社:英 DenhamのD & P 撮影所
    配  給:RKOラジオ映画社
    上映時間:87分
    封切り:1942年8月20日、ロンドンのLeicester Square 劇場
    日本での公開:劇場未公開/ビデオ発売
    製作・監督■レスリー・ハワード
    原作■ヘンリー・ジェイムズ
    サウンドトラック演奏■ミューア・マシスン指揮 ロンドン交響楽団
    出演■レスリー・ハワード/デヴィッド・ニーヴン/ロザムンド・ジョン/ローランド・カルヴァー/アニー・ファース/デヴィッド・ホーン/J・H・ロバーツ
     1942年6月には、レスリー・ハワード製作・監督・主演の『スピットファイアー』の音楽を作曲しました。
     ハリウッドのスターとして活躍していたレスリー・ハワードは、戦争開始と共に故国イギリスに戻り、第二次大戦中に活躍したイギリスの名戦闘機「スピットファイア」の生みの親R・J・ミッチェルの生涯を描く史伝ドラマの名作を製作したのです。
     映画は、1940年9月15日に行われた「英国の戦い」空中戦の記録フィルムのモンタージュから始まり、国を救ったスピットファイアがいかにして量産可能になったかを描いてゆきます。
     ウォルトンがこの映画に付けた輝かしい音楽は、彼がそれまでに書いた映画音楽の中でも最高級の傑作です。
     彼は後にこの映画のスコアから有名な管弦楽曲「『スピットファイア』前奏曲とフーガ」を作りました。
     前奏曲は、映画のオープニング・タイトルの音楽をほぼそのまま使ったもので、ファンファーレ風導入に続いて、気品に満ちたエルガー風行進曲が演奏されます。
     続く活発なフーガは、名戦闘機スピットファイアが工場で組み立てられてゆくモンタージュ場面に付けられた音楽です。中間部では、疲れ果てたミッチェルが家で短い夜を過ごすシーンに使われた独奏ヴァイオリンの内省的なエピソードも引用されます。コーダ(結尾部)では、前奏曲の主題も重なり、大きく盛り上がって堂々と曲を締めくくるのです。

     ミッチェルは「英国の戦い」での勝利を見ずして過労で亡くなりましたが、製作・主演のレスリー・ハワードにも同様の運命が待ち構えていました。
     1943年5月、スペインとポルトガルに講演ツァーに行った彼は、予定を変えてリスボンで『スピットファイアー』のプレミア上映に立ち寄りました。翌6月1日、ブリストルに戻る彼を乗せた民間航空機は、ビスケー湾上空でドイツの戦闘機に撃墜されるのです。

    ウェント・ザ・デイ・ウェル
    Went the Day Well?
    製作年度:1942年
    製作会社:英 イーリング映画社
    配  給:ユナイテッド・アーティスツ
    封切り:1942年11月1日、ロンドンのLondon Pavilion 劇場
    日本での公開:劇場未公開
    製作■マイケル・バルコン
    監督■アルベルト・カヴァルカンティ
    原作■グレアム・グリーン
    サウンドトラック演奏■音楽監督アーネスト・アーヴィング指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
    出演■Leslie Banks/Basil Sydney/Elizabeth Allen

     1942年の夏は、Louis MacNeice作のラジオ・ドラマ「クリストファー・コロンブス」と、アルベルト・カヴァルカンティ監督『ウェント・ザ・デイ・ウェル』の音楽に費やされました。
     『ウェント・ザ・デイ・ウェル』はみたびバルコン率いるイーリング映画社の製作で、グレアム・グリーンの小説を基に、ドイツ軍に侵略された村の住人たちが英雄的なレジスタンスに立ち上がるまでを描くものです。
     タイトル画面で奏される華々しいファンファーレと高貴な行進曲は、『スピットファイアー』と同巧異種と言えますが、こちらも同様に美しく、幅広く、聴く者の心を高揚させてくれます。



    シェークスピア映画に付けられた傑作スコア群

     1943年、ウォルトンは旧友の俳優ローレンス・オリヴィエから新しい映画の音楽への作曲を頼まれます。
     舞台俳優としての長いキャリアを映画にも生かしてきた名優オリヴィエは、イギリス演劇の伝統と映画の最新技術を結合させたいと考え、シェークスピア劇を世界初のカラー映画化することにしました。こうして、製作されたのが、『ヘンリィ五世』でした。
    ヘンリィ五世
    Henry V
    製作年度:1945年
    製作会社:英 Denham 撮影所
    配  給:ランク映画社
    上映時間:137分・カラー
    封切り:1944年11月22日、ロンドン、ヘイマーケットのカールトン劇場
    日本での公開:1948年及び1995年、BCFC=NCC系で劇場公開
    製作・監督■ローレンス・オリヴィエ
    原作■ウィリアム・シェークスピアの戯曲
    撮影■ロバート・クラスカー
    サウンドトラック演奏■ミューア・マシスン指揮 ロンドン交響楽団
    出演■ローレンス・オリヴィエ/ロバート・ニュートン/レスリー・バンクス/ルネ・アシャーソン/レオ・ゲン/エスモンド・ナイト
    スコアの楽器編成:2 flutes, 2 oboes, 2 clarinets in A, 2 bassoons; 3 horns in F, 3 trumpets in C, 3 trombones; percussion (side drum, cymbal, bell, tabor, tambourine); harpsichord, harp; strings
     製作、監督、主演、すべてオリヴィエ一人が取り仕切り、戦時下の困難を克服して撮られたこの作品は、イギリス国民の国威高揚映画としての意味もありました。
     この映画への参加は、その後の長年に渡るウォルトンとオリヴィエのコラボレーションを導いたという点でも重要です。
     スコアの作曲は1943年暮れから1944年にかけて行われました。

     ウォルトンが書いた『ヘンリィ五世』の音楽は、彼の最高傑作(あらゆるジャンルを含めて)の一つであるだけでなく、映画音楽史上に残る金字塔です。輝かしく、気品に満ち、活気と色彩に溢れ、淡い悲哀を担ったナイーヴな表現にも不足しません。『お気に召すまま』(1936)で示されたシェークスピア劇に対する天性の相性の良さが、ここで全開した形です。

     オープニング・シーンでは、カメラがシェークスピア当時のグローブ劇場に近付いてゆき、生き生きとしたフルートに始まるオーケストラがすがすがしい雰囲気を醸し出します。舞台のファンファーレに続いて古風な舞曲となり、エリザベス朝の典雅な情景が繰り広げられてゆきます。舞曲主題にはエリザベス朝の作曲家ファーナビーのヴァージナル (ハープシコード) 曲「ロサソリス (孤独の薔薇)」が利用されています。
     ワーグナー風のライトモティーフ(指導動機)の手法が取られていることも注目に値します。
     ファルスタッフの主題には、やはりエリザベス朝のヴァージナル曲「ワトキンスのエール」が借用されており、最初ファゴットにユーモラスに現れますが、彼が昔の放蕩仲間である国王ヘンリー5世に縁切り宣言をされ、悲しみながら息を引き取るシーンでは、心を打つパッサカリアになります。
     フランスを象徴するテーマとしては、フランス民謡の他、カントルーブの「オーベルニュの歌」の「バイレロ」のメロディーが用いられており、ヘンリー5世に破れたフランス貴族の一人ブルゴーニュ公が自国の窮状を訴える場面に用いられます。
     『ヘンリィ五世』の音楽は、1946年度アカデミー賞最優秀作曲賞の候補ともなりました。

     『ヘンリィ五世』のスコアが大変優れていたため、多くの音楽家たちが演奏会用の組曲にアレンジをしています。
     まず、映画が評判になって間もなく指揮者マルコム・サージェントが4曲からなる組曲「ヘンリー5世」を編曲しました。これは1945年9月14日、ロイヤル・アルバート・ホールにおいて、ウォルトン自身の指揮、BBC交響楽団、Croydon Philharmonic Society、それにBBC合唱協会 (BBC Choral Society) によって初演されました。

    1. 1600年のロンドンと序曲「グローブ座」
    2. パッサカリア「ファルスタッフの死」
    3. 彼女の唇に触れて別れなん (Touch her soft lips and part) ……ファルスタッフの子分ピストルが新妻に別れを告げて出陣してゆく際の、心の琴線に触れる繊細な音楽。シチリアーノのリズムを採用。
    4. アジャンクールの凱歌
     次いでウォルトン自身が「弦楽合奏のための二つの小品」を編み、1947年にオックスフォード大学出版部から出版しました。次の2曲からなります。
    1. パッサカリア「ファルスタッフの死」
    2. 彼女の唇に触れて別れなん
     1964年になり、サウンドトラックも振った指揮者・音楽監督のミューア・マシスンが組曲「ヘンリー5世」を編曲しました。次の5曲からなります。
    1. 序曲「グローブ座」
    2. パッサカリア「ファルスタッフの死」
    3. 突撃と戦闘……スペクタクルな「アジャンクールの戦い」の場面の音楽。アッチェレランド、フガート、ユニゾンなどあらゆる技法を駆使して興奮を増して行く。コーダとして「オーベルニュの歌」の「バイレロ」引用を接続し、戦いの後の新鮮な感動を伝えるのも見事な編曲。
    4. 彼女の唇に触れて別れなん
    5. アジャンクールの凱歌

     さて、終戦直後の1945年6月7日、ベンジャミン・ブリトゥンの歌劇「ピーター・グライムズ」が初演されて絶賛を浴び、ブリトゥンは一躍イギリス音楽界の寵児として躍り出ました。
     それに対し、ウォルトンの音楽は保守的で時代遅れのものと見なされるようになりました。戦後、ウォルトンとブリトゥンの地位は逆転し、現代音楽の第一人者としての名声はウォルトンから失われました。
     それでもウォルトンは自己の作風を忠実に守り、この年1945年にも堅実な弦楽四重奏曲 イ短調を書き上げます。なおこの作品は戦時中の国威発揚映画で一緒に仕事をしたイーリング社の音楽監督アーネスト・アーヴィングに献呈されています。
     1947年2月、BBC(英国放送協会)がウォルトンに新作オペラを委嘱してきます。レディ・ウィンボーンが連れてきた作家クリストファー・ハッサールが歌劇「トロイラスとクレシダ」の台本を書くことになりますが、このオペラが完成の陽の目を見るまでには8年かかるのです。

     その間は、ローレンス・オリヴィエと組んだシェークスピア映画へのスコアが、彼の主要な作品となります。
     オリヴィエとのコラボレーション第2弾は『ハムレット』。『ヘンリィ五世』の大成功に続いて作られたシェークスピアもので、前作がカラー撮影で歴史絵巻の様な華麗さを持っていたのに対し、今回はモノクロによる銅板画のような渋みを持った画面で、ハムレットの内面の葛藤を描いています。
    ハムレット
    Hamlet
    製作年度:1948年
    製作会社:英 Denham 撮影所
    配  給:ユニヴァーサル
    上映時間:153分・白黒
    封切り:1948年5月6日、ロンドン、Odeon Theatre Leicester Square
    日本での公開:1949年及び1996年、BCFC=NCC系で劇場公開
    製作・監督■ローレンス・オリヴィエ
    原作■ウィリアム・シェークスピアの戯曲
    撮影■デスモンド・ディキンソン
    サウンドトラック演奏■ミューア・マシスン指揮 フィルハーモニア管弦楽団
    出演■ローレンス・オリヴィエ/ジーン・シモンズ/ベイジル・シドニー/アイリーン・ハーリー/フェリックス・エイルマー
    スコアの楽器編成:Piccolo, 2 flutes, 2 oboes, cor anglais, 3 clarinets in A, bass clarinet in B-flat, 2 bassoons, contrabassoon; 4 horns in F, 3 trumpets in C, trombone, tuba; timpani, percussion (side drum, bass drum, cymball, gong, glockenspiel); harp; strings
     ロジャー・ファーズによる巨大で薄暗いエルシノア城のセットが見事。カメラワークも華麗で、特に「生か死か」の場面でのめまいを起こしているかの様なパン・ショットは絶賛されました。オフィーリア役のJ・シモンズの初々しい演技も印象的で、彼女はこの役によりヴェネチア映画祭で女優賞を獲得しました。
     ウォルトンが音楽を書き始めたのは1947年の秋で、サウンドトラックの録音は同年11月から翌年1月にかけ、フィルハーモニア管弦楽団を使って行われました。音楽監督はミューア・マシスンですが、セッションの写真を見る限り、マシスンは腕を三角巾で吊っており、実際に指揮をしたのはJohn Hollingsworthです。
     『ハムレット』作曲・録音の頃は、ウォルトンの人生にとって最もつらい時期の一つでした。12年間生活を共にした愛人レディ・アリス・ウィンボーンが気管支の癌(咽頭癌?)に冒され、死を待つばかりとなっていたからです。
     この映画のスコア、とりわけ、はかなく美しいオフィーリアの主題、苦悩に満ちた独白、哀悼歌、葬送行進曲などには、ウォルトンの真情の吐露が含まれていると考えるのが自然でしょう。

     悲劇なだけに、音楽は暗く、激情的です。低弦の陰鬱な半音階フーガに始まるハムレットの主題、「生きるべきか死ぬべきか?」の台詞の直前、めくるめくカメラの回転に合わせて渦巻く音楽の凶暴な爆発、悲しみにくれる哀悼歌、前奏曲と同じ主題による葬送行進曲など、聴くべき箇所は少なくありません。
     一方、刹那的な美しさに彩られた繊細なオフィーリアの主題もあり、本来のウォルトンらしさを感じさせる輝かしいファンファーレや、「The Mousetrap」と題された機知に富んだ活気ある音楽も配され、ドラマに明暗のコントラストを与えています。

     『ヘンリィ五世』同様、『ハムレット』のスコアからもいくつかの演奏会用楽曲がいろいろな音楽家によってアレンジされています。
     指揮者マルコム・サージェントは劇中のファンファーレから金管合奏用に「栄えある式典のためのファンファーレ (FANFARE FOR A GREAT OCCASION) 」を編曲、1962年3月17日、オーストラリアの Wayville にあるセンテニアル・ホールにおいて、サージェント自身の指揮によるロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で初演されました。
     映画の音楽監督も務めたミューア・マシスンは、1963年に葬送行進曲、1968年に音詩「ハムレットとオフィーリア」を編曲して出版しました。

     『ハムレット』完成後、1948年4月にレディ・ウィンボーンは亡くなりました。
     同じ年にアルゼンチンを公式訪問したウォルトンは、その途上でスーザン・ジル・パッソと知り合い、ブエノスアイレスで彼女と結婚します。
     翌1949年、ヴァイオリン奏者メニューインに頼まれてヴァイオリン・ソナタを書き(1950年初演)、1951年にはナイトに叙せらたり、一家でナポリ湾のイスキア島に移住したりします。
     1953年には女王エリザベス2世の戴冠式のために、戴冠式行進曲「宝玉と王の杖」と管弦楽伴奏合唱曲「テ・デウム」が書かれます。
     そうこうしているうち、ようやく畢生の大作オペラ「トロイラスとクレシダ」が出来上がり、1954年12月にコヴェント・ガーデンで初演されました。ウォルトンの語法を集大成したドラマティックで魅惑的な作品です。しかし批評は熱狂的と言うにはほど遠く、ウォルトンの名に敬意を表した好意的なものがほとんどでした。

     オペラから解放されたウォルトンは、みたびローレンス・オリヴィエのシェークスピア映画プロジェクトに参加します。1955年、彼は『リチャード三世』のスコアを作曲します。
    リチャード三世
    Richard V
    製作年度:1955年
    製作会社:英 Shepperton 撮影所
    配  給:Lopert
    上映時間:160分
    封切り:1955年12月13日、ロンドン、Leicester Square 劇場
    日本での公開:1956年3月、東和
    製作・監督■ローレンス・オリヴィエ
    原作■ウィリアム・シェークスピアの戯曲
    脚本■アラン・デント/ローレンス・オリヴィエ
    撮影■オットー・ヘラー
    サウンドトラック演奏■ミューア・マシスン指揮 ロイヤル・フィルハーモニア管弦楽団
    出演■ローレンス・オリヴィエ/クレア・ブルーム/ラルフ・リチャードソン/セドリック・ハードウィック/ジョン・ギールグッド/スタンリー・ベイカー
    スコアの楽器編成:Piccolo, 2 flutes, 2 oboes, cor anglais, clarinet in B-flat, bass clarinet in B-flat, 2 bassoons, contrabassoon; 4 horns, 3 trumpets in C, 3 trombones, tuba; timpani, percussion (side drum, tenor drum, small tabor, tambourine); strings
     ウォルトンは、映画が『ヘンリィ五世』とも『ハムレット』とも全く異なるので、最初自信が持てなかったと伝えられますが、なかなかどうして、素晴らしい出来です。
     「前奏曲」は堂々として気高い、英雄的な音楽です。戴冠式の音楽も、華やかなファンファーレとオルガン、古風な管楽合奏が続く爽快なものだし、「プリンス・オヴ・ウェールズ」と題されたキューも、ハープシコードを交えながら生き生きと進みます。オルガン独奏による「悲歌」は控えめな嘆きを表現した佳曲で、「塔の中の王女」も弦合奏が淡い悲哀を伝えます。「Bosworthの戦場」では息を飲む迫力で戦いが繰り広げられ、フィナーレで前奏曲に現れたエルガー風行進曲が高揚して再現されます。
     おそらく、オリヴィエによるシェークスピア三部作のうち、最も演奏効果に富む、華麗で聴きやすい作品でしょう。

     『リチャード三世』からも様々な演奏会用ヴァージョンが編まれています。
     スコア作曲と同じ1955年、ウォルトン自身がオルガン独奏のための「三つの小品」として編曲、1963年にオックスフォード大学出版部から出版したものがあります。

    1. 行進曲
    2. 悲歌(遅く)
    3. スケルツェット
     ミューア・マシスンは1964年に「リチャード3世」前奏曲シェークスピア組曲を編曲、オックスフォード大学出版部から出版しました。シェークスピア組曲は次の5曲からなります。
    1. ファンファーレ
    2. 奏楽
    3. 塔の中の王女
    4. With drum and colours
    5. 汝が心を知りたし
    6. ラッパは響く

     『ヘンリィ五世』、『ハムレット』、『リチャード三世』と続いたローレンス・オリヴィエ製作・監督・主演のシェークスピア映画三部作は、ウォルトンの映画音楽の“傑作の森”を形成します。この時期、演奏会用作品の分野では不作が続いたように見えるウォルトンですが、実際には映画音楽の作曲でその創作の頂点を築いていたのです。


    晩年の仕事

     『リチャード三世』を仕上げた翌1956年、世界的チェロ奏者グレゴール・ピアティゴルスキーから「チェロ協奏曲を書いてほしい」という依頼があり、8ヶ月で書き上げました。これは、本格的な管弦楽を用いた演奏会用作品としては18年ぶりの作品でした。
     これ以降、なぜかウォルトンのもとに委嘱に次ぐ委嘱が舞い込み、純音楽作曲で忙殺される毎日となり、映画音楽からは遠ざかっていくのです。
     1958年にはジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団のために管弦楽のための「パルティータ」、1959年にはギター奏者J・ブリームとテノール歌手P・ピアーズのために連作歌曲「Anon. in Love」を作曲。1960年には交響曲第2番(1959)がエディンバラ音楽祭でロイヤル・リヴァプール・フィルにより初演され、1961年にはHuddersfield 合唱協会のために「グローリア」を完成。1962年、ロイヤル・フィルの依頼で「ヒンデミットの主題による変奏曲」を書き、1966年にはオールドバラ音楽祭実行委員会の委嘱でチェーホフ原作の1幕の狂想劇 (extravaganza) 「熊」を完成……。

     1968年もニューヨーク・フィルのために「Capriccio Burlesco」を書いていましたが、同じ頃、久しぶりに映画音楽の依頼が舞い込みました。
     この年、ユナイテッド・アーティスツは、空前のスケールの航空戦争映画の製作を決めました。1940年夏、イギリス上空で繰り広げられた独英両空軍の歴史的な大空中戦(英国の戦い)を描く『空軍大戦略』です。
    空軍大戦略
    Battle of Britain
    製作年度:1969年
    製作会社:英 Pinewood 撮影所
    配  給:ユナイテッド・アーティスツ
    上映時間:133分
    封切り:1969年9月15日、ロンドン、Dominion Cinema
    日本での公開:1969年、UA
    製作■ハリー・ザルツマン/ベンジャミン・フィズ
    監督■ガイ・ハミルトン
    原作■Richard Collier の "Eagle Day - The Battle of Britain"
    脚本■ジェームズ・ケンナウェイ/ウィルフレッド・グレート・レックス
    撮影■フレディ・ヤング
    サウンドトラック演奏■マルコム・アーノルド指揮/ウィリアム・ウォルトン
    出演■ローレンス・オリヴィエ/マイケル・ケイン/ロバート・ショウ/トレヴァー・ハワード/クリストファー・プラマー/スザンナ・ヨーク/クルト・ユルゲンス/ラルフ・リチャードソン/マイケル・レッドグレーヴ
    スコアの楽器編成:Piccolo, 2 flutes, 2 oboes, cor anglais, 2 clarinets in B-flat, bass clarinet in B-flat, 2 bassoons, contrabassoon; 4 horns in F, 3 trumpets in C, 3 trombones, tuba; timpani, percussion (3 players: side drum, small side drum, bass drum, tenor drum, cymbals, glockenspiel, tambourine, gong); harp; strings
     「007シリーズ」でも知られる製作のハリー・ザルツマンと監督のガイ・ハミルトンが全力を注いだ映画は見事な出来でした。音楽担当者は、主演の一人でウォルトンの旧友ローレンス・オリヴィエの推薦で、ウォルトンに決まりました。
     ウォルトンはこの映画のスコアを書くことに不安があったようで、1968年8月9日付けの手紙で友人の作曲家マルコム・アーノルドに次のように書き送っています。

    私は『空軍大戦略』という映画の音楽を書く約束をしたよ、たぶん無謀にもね。無謀というのは『リチャード三世』以来ずいぶん長いことこの種のものは手掛けていないからなんだ。都合のいい時に録音セッションを振ってくれないかい?〔中略〕物事がうまく行かない時は君と一緒の方が心強いからね。
     出来上がったスコアは、残念ながらシェークスピア映画ほどの出来は示していませんが、それでも一級品です。
     メイン・タイトル「行進曲導入部と『空軍大戦略』マーチ」は、エルガーの「威風堂々」を思わせる高貴なイギリス軍の堂々たる凱旋行進曲です。
     「若きジークフリートたち」は、ドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)の若いハインケル戦闘機乗員たちの意気揚々たる様子を、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」より若き英雄ジークフリートのライトモティーフを引用することで描きます。
     スケルツォ「脳天気なベルリン」は、戦勝で有頂天になっており、イギリス空軍(RAF=ロイヤル・エア・フォース)の反撃を夢想だにせず油断しているベルリン市民を描くキューで、ウォルトンらしい活気溢れるものです。
     「大空中戦(1940年9月15日)」は、「英国の戦い(バトル・オブ・ブリテン)」のクライマックスを形成した1940年9月15日・日曜日の死闘を描くシーンの音楽です。この日、英国上空に大挙侵入したドイツ空軍と、それを迎え撃つ200機の「スピットファイア」と「ハリケーン」との間で凄絶な空中戦が繰り広げられ、RAFは26機の損失でルフトヴァッフェ60機を撃退し、ヒトラーの野望を打ち砕いたのでした。
     曲は、勝利のローリング飛行を予行演習するスピットファイアを表す、輝かしい序奏に始まります。神経質な弦のトレモロは副隊長マーシャル・パーク (トレヴァー・ハワード) がコントロール・ルームを調整する様子を描き、セント・ポール上空に飛行機雲が描かれて行くさまは、ヴィオラとチェロが開放C弦のハーモニックスで弾くグリッサンドで描写されます。ヴァイオリンの急襲で戦いが始まり、短い動機の反復使用で緊迫感を高めてゆきます。何度もドッグファイトが繰り返されたのち、最後にはトランペットが「ジークフリート」の動機を絶叫し、ルフトヴァッフェは黒煙の尾を引いて墜落して行きます。
     アーノルドは約束通り、録音セッションの指揮をしただけでなく、補筆やオーケストレーションでウォルトンを助けました。結果的に21分ほどのサウンドトラック録音が完成しました。

     ところが、ハリウッドのユナイテッド・アーティスツ首脳部は、スコアが彼らが要求するものではないと判断、ロン・グッドウィンを呼んで、新しくスコアを書き直させたのです。グッドウィンは『633爆撃隊』(1964)、『素晴らしきヒコーキ野郎』(1967)、『荒鷲の要塞』(1969)など航空機もの・戦争物で人気を集めていた若手の映画音楽作曲家です。
     ウォルトンのスコアが没になった理由は、アーノルドの補筆が契約に抵触したこと、「『空軍大戦略』マーチ」が『リチャード三世』の行進曲と瓜二つであること、などいろいろ考えられますが、最大の理由は、スコアの長さがサントラ・アルバムを発売するには短すぎたということだと言われています。
     グッドウィンは、20年後に次のように語っています。

     すでに録音されていたオリジナルのスコアを聴くチャンスがあったのですが、それは熟成したウォルトン (vintage Walton) でした。正しく私が彼から期待した通りのものだったのです。本当に、映画会社は馬鹿じゃないかと思いましたよ。
     ウォルトンの降板に最も強く抗議したのはローレンス・オリヴィエでした。その結果、「大空中戦」のキューだけが残されることになりました。
     その他に、予告編ではウォルトンが作曲した「『空軍大戦略』マーチ」が使われました。

     『空軍大戦略』がグッドウィンで公開された1969年、ウォルトンはサンフランシスコ交響楽団のために「ベンジャミン・ブリトゥンの即興曲によるインプロヴァイゼーションズ」を書き、さらにもう一本の映画音楽を書きました。
     ローレンス・オリヴィエ監督・出演の『三人姉妹』がそれで、これはウォルトンにとって最後の映画音楽となりました。
    三人姉妹
    Three Sisters
    製作年度:1970年
    製作会社:英 Shepperton 撮影所
    配  給:American Film Theatre
    上映時間:155分
    封切り:1970年8月26日、ヴェネツィア、Sala Volpi
    日本での公開:劇場未公開/ビデオ発売
    製作■ジョン・ゴールドストーン
    監督■ローレンス・オリヴィエ
    原作■アントン・P・チェーホフの戯曲
    撮影■ジェフリー・アンスワース
    出演■アラン・ベイツ/ローレンス・オリヴィエ/ジェーン・ワッツ/ジョーン・プロウライト(オリヴィエの妻)/ルイーズ・パーネル
    スコアの楽器編成:Piccolo, 3 flutes, 2 oboes, 2 clarinets in B-flat, 2 bassoons; 4 horns in F, 3 trumpets in C, 3 trombones, tuba; timpani, percussion (4 players: side durm, bass drum, cymbal, suspended cymbal, bells, glockenspiel, tabor di basso, celesta, triangle, tambourine); piano, harp; strings
     オープニング・タイトルは、ウォルトン的としか言いようのない気品に満ちたホルンのハーモニーに始まり、それがいつの間にか帝政ロシアの国歌を導きます。美しいピアノ・ソロがこれを受けます。
     「夢の場面」は舞踏会のシーンで、ここで用いられているワルツは、ウォルトンが1935年に書いたCharles B. Cochranのレヴュー「The First Shoot」の中にある曲で、これは他にも映画『ウェント・ザ・デイ・ウェル』のラジオから聞こえてきたりするので、ウォルトンのお気に入りの曲だったようです。
     エンド・タイトルでは最初の可憐なピアノ・ソロが淡い管弦楽を伴奏に再現されます。
     全体的に、美しくはあるのですが、別にどうと言うことのないスコアです。この頃一般にシンフォニック・スコアは下火になり、目立たない音楽が好まれるようになっていたので、プロデューサー側からも同じ要求が出て、こういう曲になったのかも知れません。

     1972年、ウォルトンは70歳の誕生日を迎え、イギリス作曲界の「大老(the "Grand Old Man")」として尊敬を受ける存在となっていました。
     その後次第に病気がちとなり、友人の指揮者アンドレ・プレヴィンのために書こうとした第3交響曲も、結局未完成に終わりました。
     1983年3月7日、ウォルトンはイスキア島の自宅で眠るように亡くなりました。享年81歳。前日に友人に電話で新作の合唱曲「スターバト・マーテル」について熱心に語ったばかりでした。


    =ウォルトン映画音楽リスト=


    =ウォルトンの略歴=

     10歳でオックスフォード聖歌隊学校に入学。幼時より楽才を発揮、アンセルメ、ブゾーニの個人指導を受ける。
     16歳より作曲を始め、1918年に学部に進んだが、作曲に集中したため進級できず。大学で知り合ったサシェヴァレル・シットウェルの勧めで1919年退学し、ロンドンの文学に造詣の深いシットウェル姉弟の邸宅で暮らし、作曲に没頭。姉の詩人イーディス・シットウェルの一連の詩に作曲した「ファサード」(1922)で一躍イギリス芸術界の注目を集め、「恐るべき子供(アンファン・テリブル)」と騒がれた。
     その後ストラヴィンスキーやプロコフィエフの影響を消化し、鋭いリズムと辛辣な和声を用いながらもロマン的な作品を書き、イギリス作曲界に不動の地位を確立。

    1902  3月29日、ランカシャーのオールドハム (Oldham)に生まれる。
    1912  オックスフォードの Christ Church Cathedral 聖歌隊に入る。
    1916  オックスフォード大学の学生になる。
    1920  オックスフォード大学を中退し、ロンドンで詩人の Sacheverell、Osbert、それにイーディス(Edith)のシトウェル( Sitwell)3兄弟の家に住み込む。
    1922  朗読のための室内楽曲「ファサード」初演。のちにバレエとして有名になる。
    1922-23 朗読のための室内楽曲「ファサード」(1922-23)
    1923  ピアノ四重奏曲がザルツブルクの国際現代音楽協会(ISCM)の定期演奏会で初演される。
    1925  序曲「ポーツマス岬」作曲
    1926  序曲「ポーツマス岬」がチューリヒのISCM音楽祭で初演される。この序曲はとりわけアメリカで好まれ、ウォルトンの国際的声望を高める。
    1927  シカフォニア・コンチェルタンテ作曲。
    1928-29 ヴィオラ奏者Lionel Tertis の委嘱でヴィオラ協奏曲を作曲。ジャズのイディオムを取り入れた傑作で、ヒンデミットが初演、彼に献呈された。
    1929-31 オラトリオ「ベルシャザール王の饗宴」作曲。
    1931  「ベルシャザール王の饗宴」がリーズ音楽祭で初演される。カラヤン曰く「今世紀最高の合唱曲」。ウォルトンは英国音楽の輝けるホープと見なされる。
    1932  指揮者ハミルトン・ハーティに交響曲を委嘱される。
    1934  最初の映画音楽、パウル・ツィンナー監督の『逃げちゃ嫌よ』作曲。
    1935  シトウェル家から出て行く。交響曲第1番(1932-35)を完成。
    1937  イギリス国王ジョージ6世の戴冠式のために行進曲「王冠」(1937)を書く。合唱と管弦楽のための「ロンドン市の栄誉をたたえて(In Honour of the City of London)」がリーズ音楽祭で初演される。
    1939  ヴァイオリン協奏曲(1939)、委嘱者ハイフェッツが初演し、作品を献呈される。
    1940  喜劇序曲「スカピーノ」作曲。
    1941  徴兵され、情報省から戦時プロパガンダ映画の音楽作曲を依頼される。
    1942  映画音楽『近親者』、『親方フランスへ行く』、『スピットファイアー』、『ウェント・ザ・デイ・ウェル』を作曲。
    1943-44 映画音楽『ヘンリィ五世(Henry V)』。ローレンス・オリヴィエとの最初のコラボレーション。
    1945  弦楽四重奏曲 イ短調 作曲。
    1947  クリストファー・ハッサールと共に歌劇「トロイラスとクレシダ」の台本を書き始める。
    1948  アルゼンチンを公式訪問中、ブエノスアイレスでスーザン・ジル・パッソと結婚、ナポリ湾のイスキア島に定住。
    1951  ナイトに叙せられる。
    1954  歌劇「トロイラスとクレシダ」(1954完成)初演
    1953  女王エリザベス2世の戴冠式のために戴冠式行進曲「宝玉と王の杖」と管弦楽伴奏合唱曲「テ・デウム」を書く。
    1954  8年越しのオペラ「トロイラスとクレシダ」がコヴェント・ガーデンで初演されるが、慎重な批評。
    1955  ケンブリッジ大学及びロンドン大学から名誉博士号を送られる。
    1956  18年ぶりの本格管弦楽作品であるチェロ協奏曲、委嘱者ピアティゴルスキーが初演。所得税の関係から、ナポリ湾に臨むイスキア島のラ・モルテッラに住む在外英国人として正式に認められる。
    1958  管弦楽のための「パルティータ」(1958)、委嘱者ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団により初演。
    1959  ギター奏者J・ブリームとテノール歌手P・ピアーズのために連作歌曲「Anon. in Love」を作曲。
    1960  交響曲第2番(1959)、エディンバラ音楽祭で初演。
    1961  Huddersfield 合唱協会のために「グローリア」を完成。
    1962  ロイヤル・フィルハーモニック協会の依頼で「ヒンデミットの主題による変奏曲」を作曲。
    1966  オールドバラ音楽祭のために狂想劇「熊」を完成。
    1969  「ベンジャミン・ブリトゥンの即興曲によるインプロヴァイゼーションズ」。最後の映画音楽『三人姉妹』
    1972  70歳の誕生日を祝う行事。
    1974  交響曲第3番のスケッチが破棄される。
    1976  コヴェント・ガーデンで「トロイラスとクレシダ」が蘇演される。
    1979  次第に病気がちに。「ファサード2」を編み、指揮者アンドレ・プレヴィンのために第3交響曲を再び書き始める。
    1981  最後の主要作「Prologo e Fantasia」 (1981) がロストロポーヴィチ指揮ワシントン・ナショナル交響楽団により初演される。
    1983  3月8日、ラ・モルテッラで死去。

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    ©1999 早崎隆志 All rights reserved.
    更新日:1999/06/13; 2001/01/13

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