マダガスカル島民の謎
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 アフリカ大陸のすぐ東に位置するマダカスカル島の住民は、意外なことにアウストロネシア語族インドネシア語派に属する。
 東南アジアからアフリカのそばまで、一体、いつ、誰が、なぜ、どのように移動したのだろうか?

 紀元1000年頃にはマダガスカルにインドネシア系住民が住んでいたことが知られている。
 だから移住はそれ以前に行われたはずだが、それが8世紀後半〜9世紀前半だった可能性がある。

 インドネシア西部では、8世紀半ば以降、ジャワ島のシャイレーンドラ王朝の急速な勃興に伴って、各民族の活発な動きが見られた。
 シャイレーンドラ朝がベトナムやチャンパを攻撃し、スマトラ島シュリーヴィジャヤ王国や、分裂中のクメール王国(真臘)を支配したのである。有名なボロブドゥールの大寺院の建築も8世紀後半から始まっている。

 一連のこうした勢力拡大に波に乗って、西インドネシアの植民者のグループが西方に進出して行ったことは、充分に考えられる。そしてその一部が南インドから東インドを経由してマダガスカルに到達したことも有り得ない話ではない。
 9世紀半ば過ぎの南インドは、パッラヴァ朝から(後期)チョーラ朝への交替期で政治的に混乱しており、インドネシア系商人が貿易拠点の短期的コロニーを築くことはたやすかったろう。

 貿易コロニーはインド洋沿岸の各地にも建設されたと思われ、アフリカ東岸にも作られたはずである。
 しかし8〜9世紀の東南アフリカは、バントゥ化の波が正に押し寄せようとするその時期に当たっていた。東アフリカに出来たインドネシア人の植民地も、バントゥ系その他のアフリカ住民の渦の中に吸収されていったことだろう。
 そして、ただマダガスカルでのみ、インドネシア系の民族・文化は存続を許された−−ということだったのではないか。

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©1998 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1998/08/31

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