中近東にある乾燥した半島。
現在の住民は主にセム系で、その大部分は遊牧のベドウィン族。
現在は半島の大部分は砂漠だが、古代にはイェメン、ハドラマウトなどの南西部は肥沃で早くから開けた。
- 北部
- 半島付け根のシリア砂漠方面では、隊商貿易で富を蓄えた王国が出現。前4世紀にはナバタエ王国が最盛で、ローマ支配下には2〜3世紀にパルミュラ王国(130-270 最盛)が栄えた。
ローマ人からは「石のアラビア(アラビア・ペトレア)」と呼ばれた。
- 中部
- 砂漠化が激しく、7世紀のイスラムの出現まで遊牧諸部族が抗争に明け暮れた。但し5世紀末から半世紀ほど(c.480〜529)キンダ族がネジド高原に王国を築いた。
ローマ人から「砂漠のアラビア(アラビア・デセルタ)」と呼ばれた。
- 南西部
- イェメン(ハドラマウト地方)には古代から高文明が栄え、その中心はイェーメンの高地マーリブ付近にあった。
前13世紀頃からミナー、サバ、ヒムヤルなどの王国が続き、農業と商業で繁栄した。
ローマ人からは「幸多きアラビア(アラビア・フェリックス)」と呼ばれた。
7世紀以降はこの地から猛烈な勢いでイスラム教が世界中に広がった。
=Contents=
古代
中世
近世
近・現代
= 古代 =
南アラビア(イェメン)が古くから栄える。
- 1300−950 BC ミナ王国
- 中部アラビアまで勢力下に。
- 950−115 BC サバ王国
- エジプト、エチオピア、イスラエルの各王国とも通商。
前8〜7世紀にはアッシリアと接触。
その後南アラビアではヒムヤル王国が栄える。
- 前4〜後1世紀 ナバタエ王国
- 北アラビアのナバタエ人は、イェメンと地中海との交通の要地に当たるアル=ラキーム(ペトラ)を中心に高い文化を築いた。
ナバタエ商人はローマがアラビアを属州に組み込む(106AD)までは広く活躍した。
- 130−270 パルミュラ王国
- シリア砂漠のパルミュラ(タドムル)を中心に、ローマ保護下の北アラビアは全盛を迎える。
- 4〜6世紀 ジャーヒリーヤの時代
= 中世 =
東ローマ帝国とサーサーン朝の抗争で内陸交易ルートが衰えたため、海上ルートの中継基地に当たるメッカに繁栄の中心が移る。
その経済矛盾の中からイスラム教が出現。
- 622 ヘジラ(ヒジュラ)
- マホメットがメディナに根拠地を移す。メディナが一時政治の中心に。
- 631 マホメット、アラビア半島を統一
- 632〜661 正統カリフ時代
- アリー(カリフ位656-661)は即位と共に都をクーファに移すが反乱多く、ウマイヤ家のムアーウィアと対立、暗殺される。
- 661〜750 ウマイヤ朝
- アル・ワリード1世(位705-715)はイベリア(スペイン)半島からインダス川流域に至る最大版図を実現。
イスラム帝国の中心はイラク、イラン方面に移り、アラビアは完全にイスラム世界の一辺境に過ぎなくなった。
- 750〜1258 アッバース朝
- ハールーン・アル=ラシード(位786-809)の治世に黄金時代を迎える。しかしアラビアの地位はますます低下。
- 973 ファーティマ朝がカイロ遷都
- アルジェリアに独立したシーア派のファーティマ朝(909-1171)は969年エジプトを征服、そこに中心を移し、シリアやアラビアに支配を広げた。
= 近世 =
諸王朝の支配の下、ヒジャーズ地方やイェーメンには地方政権が存続。
- 1538 オスマン朝トルコ帝国がメッカを支配下に
- オスマン・トルコ(13世紀末-1922)は16世紀に急膨張し、ハンガリー、シリア、メソポタミア、エジプト、そしてアラビアを征服。
= 近・現代 =
サウジアラビア王国が成立、膨大な埋蔵量の油田を武器に国際的な大国に成長。
- 18世紀後半 ワッハーブ王国
- アブドゥル・ワッハーブ(1703-87)がマホメットの教えに立ち戻る宗教改革を開始、ネジド(中部アラビア)の豪族イブン・サウド家の協力で半島の大部分を支配する勢力を築く。
- 1818 ワッハーブ王国滅亡
- エジプトの支配者メフメト・アリーが1813年以降軍を送ってつぶした。
- 1901 イブン・サウド家のリヤド奪回
- 王子アブドゥル・アジズ(1880-1969)がワッハーブ王国を再興。
- 1926 イブン・サウド家によるアラビア半島統一
- アブドゥル・アジズは1932年、国号をサウジアラビア王国と定める。
|