ヒンドゥー教の神々への絶対的な帰依を説く運動。
中世インドの宗教改革の原点ともなった。
ヒンドゥー教は解脱に至る方法として、
- 祭祀(カルマ)
- 知識(ジュニャーナ)
- 神への絶対的帰依(バクティ)
の3つを挙げているが、中でも、絶対的な帰依を至上とするバクティ思想は、大変な広まりを見せた。
- 1〜2世紀
- ヒンドゥー教の聖典の一つ『バガヴァッド・ギーター』は、「バクティ」をヒンドゥー教の思想として取り入れる。
- 7〜9世紀
- 南インドでは、チャールキヤ朝、パッラヴァ朝、パーンディヤ朝の3国が互いに抗争。
この時代に、神に一心に愛を捧げ、全てを委ねるバクティ運動開始。
- シヴァ派聖者(ナーヤナール)ではサンバンダル、アッパル、スンダラルの三人が有名で、彼らの詩を集大成した歌集『デーヴァーラム』は、9世紀に再興したチョーラ朝最盛期に王家によって採用された。
- ヴィシュヌ派聖者(アールワール)として12人が知られ、その詩は歌集『ナーラーイラ・ディヴィヤ・プラバンダム』にまとめられている。
バクティ運動はカーストや男女の枠を越え、広く民衆を巻き込んで発展。
- 1017〜1131 宗教思想家ラーマーヌジャ
- 南インドに生まれ、ヴェーダーンタ哲学を学び、シャンカラの説に反対して、ブラフマンが最高の存在であり、アートマンはその属性であると説く(不二制限説)。
しかも、このブラフマンとは、最高の人格神であるヴィシュヌ神なのであり、この神に人間的な愛情をもって一心に献身すれば解脱できると説いた。
この教えは南インドの民衆に強い影響を及ぼし、中世ヒンドゥー教改革の先駆けとなった。
また、ラーマーヌジャは東インドのプリーへ行き、バクティ思想を南インド以外にも広めた。
- 15〜16世紀
- 北インドのバクティ運動の頂点。
北インドではバクティ思想は、従来からのクリシュナ信仰やラーマ信仰と結び付き、クリシュナやラーマはヴィシュヌ神の化身と考えられるようになった。
- 1440〜1518 宗教改革家カビール
- ヴァーラーナシー生まれ。ヴィシュヌ派哲学者ラーマーナンダとイスラム教スーフィズムの影響を受け、カースト制・偶像崇拝・聖典の権威などを否定、下層民衆に支持される。
- 1469〜1538 宗教家ナーナク
- パンジャーブ出身で、カビールの影響下、一神教的・偶像否定のシーク教を創始。
- 19世紀
- シーク派の統一王国(シーク教国)がランジート・シングによりラホールを中心に成立 → イギリスとの「シーク戦争」で滅ぼされるまで存続。
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