次の3系統がある。
中国僧の玄奘 (げんじょう) は、プラケーシン2世の治世である641年にチャールキヤ朝を訪れ、『大唐西域記』にその様子を記録している。それによれば土地は肥沃で農業が盛んで、家臣は勇敢で主君に忠節を尽くしたという。 戦闘の前には酒や阿片が振る舞われ、兵士たちは高揚した気分のまま、勇猛な象に乗って突進した。 戦いに敗れると、王は全軍の前で士官に女の衣服を着せた。名誉を重んじる勇壮な武士たちにとり、この懲罰は死刑以上にこたえたようで、当時は盛んに行われたという。
バーダーミの石窟寺院群とパッタダカルの寺院群は、後年のイスラム勢力の侵入でも大きな破壊を免れ、中世インドの寺院建築を示す貴重な遺跡として知られる。 特にパッタダカル (南インドのカルナータカ州ムンバイ(ボンベイ)南東約460km) の寺院群は、当時の「寺院都市」のあり方を示す貴重な例であり、また南方型と北方型の両様式の寺院が混在することでも知られ、1987年にユネスコ世界遺産の「文化遺産」に登録された。 パッタダカルのヒンドゥ寺院は次の通り。