中世南インドに栄えたタミール系王朝。
〔最盛期〕 10〜11世紀
〔地域〕 東南インド
〔首都〕 タンジョール
〔特色〕 タミール族の大発展;ガンジス〜東南アジア征服
〔名君〕 ラージェーンドラ1世(11世紀前半)
〔経済〕 海上貿易
〔社会〕 パッラヴァ朝以来の地方行政(村落自治等)完成
南インドでは古く(紀元前後)から次の3国が勢力を競っていた。
- チョーラ国……首都ウライユール
- パーンディヤ国……首都マドゥライ(現マドゥラ)
- チェーラ国……首都ヴァンジ(今のカルール?)
2世紀末にはチョーラ王カリカーラが、チェーラ=パーンディヤ連合軍を破ったこともある。
しかし3世紀以降カーンチーにパッラヴァ朝が台頭、チョーラ国はその家臣となる。
- 846〜871 ヴィジャヤーラ
- タンジャーヴール(現タンジョール)を占拠。大国としてのチョーラ朝の始まり。
- 871〜907 アーディティヤ1世
- 初めをパッラヴァ朝助けてパーンディヤ朝と戦う。
しかし、勢力を得ると……
- 893 パッラヴァ朝を滅ぼす。
- 907〜956 パラーンタカ1世
- マドゥライ(現マドゥラ)落としてパーンディヤ朝を征服、スリランカ(セイロン)の援軍も破る。
しかし、ラーシュトラクータ朝のクリシュナ3世(位939〜966)が現れるとしばしば敗れ、統治末年には支配権はカーヴェーリー川下流に限られてしまう。
- 956〜973 スンダラ・チョーラ
- かなり失地回復。
- 985〜1016 ラージャラージャ1世
- まずタミラガムでの地位を確保。
★ヴェーンギー★ ゴーダーヴァリー、クリシュナ両河下流域の穀倉地帯に位置し、地理的には、- タミール地方の王朝にとっては北方への通路
- 西部デカンの王朝にとっては東海岸へ進出し、さらに南下する足がかり
であったため、両者はこれをめぐって激しく抗争した。 |
ケーララ、パーンディヤを再征し、マイソール、スリランカ北半を得る。
ヴェーンギーの東チャールキヤ朝の宗主権をめぐり、西チャールキヤ朝と激しい攻防戦を行い、これに勝つ。名実共に南インド第一の大国に。
スマトラ島東南部のシュリーヴィジャヤ王国とも友好を通じ、その王シュリマーラヴィジョトンガヴァルマンが1005年にネガパタムに仏寺を建てた時、寺領地を寄付。
首都タンジャーヴールには「ラージャラージェーシュヴァラ寺院」(シヴァ寺院)を建てた。
- 1012〜1044 ラージェーンドラ1世 (ラージェーンドラ・チョーラデーヴァ)
- さらに発展。
シュリーヴィジャヤ王国に遠征し、前後して中国に使節派遣、南海制海権の掌握を目指した。1025年の大遠征のあと、ケダーに拠点を築いて約半世紀にわたりマラッカ海峡を支配。
また古代コーサラ国の故知からオリッサ〜西ベンガル州一帯を征服、ガンジス流域に達した。この業績を記念して、ラージェーンドラ1世は別名「ガンガイコンダ・チョーラ」と呼ばれ、タンジャーヴールの対岸に新都「ガンガイコンダチョーラプラム」を築いた。
さらに西チャールキヤ朝と争い、その要衝を落とし、首都カリヤーニも侵した。
こうして、スリランカからガンジス、ビルマのペグー朝、スマトラのシュリーヴィジャヤ王国にまで勢力が及ぶ極盛期が現出。
- その後の王も版図を維持。しかし……
- 12世紀
- パーンディヤ朝が再び台頭、またホイサラ朝に圧迫され、衰微。
- 13世紀半ば
- シュリーヴィジャヤ王国の侵入。国内は荒れ、チョーラは全く衰退。
- 1267
- パーンディヤ朝に併合される。
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