チョーラ朝
Chola  9世紀〜1267
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 中世南インドに栄えたタミール系王朝。

〔最盛期〕 10〜11世紀
〔地域〕 東南インド
〔首都〕 タンジョール
〔特色〕 タミール族の大発展;ガンジス〜東南アジア征服
〔名君〕 ラージェーンドラ1世(11世紀前半)
〔経済〕 海上貿易
〔社会〕 パッラヴァ朝以来の地方行政(村落自治等)完成


 南インドでは古く(紀元前後)から次の3国が勢力を競っていた。

  • チョーラ国……首都ウライユール
  • パーンディヤ国……首都マドゥライ(現マドゥラ)
  • チェーラ国……首都ヴァンジ(今のカルール?)
 2世紀末にはチョーラ王カリカーラが、チェーラ=パーンディヤ連合軍を破ったこともある。

 しかし3世紀以降カーンチーにパッラヴァ朝が台頭、チョーラ国はその家臣となる。 

846〜871  ヴィジャヤーラ
 タンジャーヴール(現タンジョール)を占拠。大国としてのチョーラ朝の始まり。

871〜907  アーディティヤ1世
 初めをパッラヴァ朝助けてパーンディヤ朝と戦う。
 しかし、勢力を得ると……
893  パッラヴァ朝を滅ぼす。

907〜956  パラーンタカ1世
 マドゥライ(現マドゥラ)落としてパーンディヤ朝を征服、スリランカ(セイロン)の援軍も破る。
 しかし、ラーシュトラクータ朝のクリシュナ3世(位939〜966)が現れるとしばしば敗れ、統治末年には支配権はカーヴェーリー川下流に限られてしまう。

956〜973  スンダラ・チョーラ
 かなり失地回復。

985〜1016  ラージャラージャ1世
 まずタミラガムでの地位を確保。
★ヴェーンギー★

 ゴーダーヴァリー、クリシュナ両河下流域の穀倉地帯に位置し、地理的には、
  1. タミール地方の王朝にとっては北方への通路
  2. 西部デカンの王朝にとっては東海岸へ進出し、さらに南下する足がかり
であったため、両者はこれをめぐって激しく抗争した。
 ケーララ、パーンディヤを再征し、マイソール、スリランカ北半を得る。
 ヴェーンギーの東チャールキヤ朝の宗主権をめぐり、西チャールキヤ朝と激しい攻防戦を行い、これに勝つ。名実共に南インド第一の大国に。
 スマトラ島東南部のシュリーヴィジャヤ王国とも友好を通じ、その王シュリマーラヴィジョトンガヴァルマンが1005年にネガパタムに仏寺を建てた時、寺領地を寄付。
 首都タンジャーヴールには「ラージャラージェーシュヴァラ寺院」(シヴァ寺院)を建てた。 

1012〜1044  ラージェーンドラ1世 (ラージェーンドラ・チョーラデーヴァ)
 さらに発展。
 シュリーヴィジャヤ王国に遠征し、前後して中国に使節派遣、南海制海権の掌握を目指した。1025年の大遠征のあと、ケダーに拠点を築いて約半世紀にわたりマラッカ海峡を支配。
 また古代コーサラ国の故知からオリッサ〜西ベンガル州一帯を征服、ガンジス流域に達した。この業績を記念して、ラージェーンドラ1世は別名「ガンガイコンダ・チョーラ」と呼ばれ、タンジャーヴールの対岸に新都「ガンガイコンダチョーラプラム」を築いた。
 さらに西チャールキヤ朝と争い、その要衝を落とし、首都カリヤーニも侵した。
 こうして、スリランカからガンジス、ビルマのペグー朝、スマトラのシュリーヴィジャヤ王国にまで勢力が及ぶ極盛期が現出。

その後の王も版図を維持。しかし……

12世紀
 パーンディヤ朝が再び台頭、またホイサラ朝に圧迫され、衰微。

13世紀半ば
 シュリーヴィジャヤ王国の侵入。国内は荒れ、チョーラは全く衰退。

1267
 パーンディヤ朝に併合される。
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©1998 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1998/08/31

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