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英国で穀物の輸出入を規制するために制定された法律。「穀物条例」とも。
中世末以来、この種の法律は存在していたが、最も有名なのは、1815年の穀物法。
当時イギリスはいち早く産業革命を成し遂げ、「世界の工場」の地位を確立していたが、農業の競争力は弱く、穀物法で小麦の輸入に高関税をかけ、国内農業を保護していた。
一方、工業製品の輸出拡大を図る産業資本家は、農産物の輸入自由化を迫った。
そこで、国内地主層と産業資本家の間で、この法律の撤廃を巡る激しい論争が繰り広げられた。それは、重商主義と自由貿易論との戦いであり、同時に旧勢力の地主階級と新興勢力の対立でもあった。
- 1815
- ナポレオン戦争終結に際し、地主が支配していた議会は、地主階級保護のため、安価な外国産穀物の輸入を禁じる「穀物法」を可決。
内容は、国内の小麦価格が1クォーター80シリングに達するまでは、外国産小麦の輸入は禁じるというもの。
- その後、穀価の騰落に応じて輸入関税を増減する方式に改められたが、産業資本家からの批判は収まらず。
- 1820
- 産業資本家たちは『自由貿易のための請願書』を政府に提出。
保護または制限制度を支持する今日一般に行われている偏見は、外国商品の輸入はそれと同じ程度でわが国自身の生産の縮小、妨害をもたらすものだという誤った想定に源を発しているように思います。
米国の経済学者がつい最近発した言葉かのようだ。
- 1839 反穀物法同盟の組織
- 穀物法批判は特にマンチェスターで激しかった。マンチェスター商工会議所を中心に、無制限な自由主義経済政策を要求した繊維工場主コブデン (1804〜1865) 、ブライト (1811〜1889) らのグループ(マンチェスター学派)は、この年、「反殻物法同盟」を組織し、国内地主保護に反対して自由貿易主義を主張。
- 1846 穀物法廃止
- 反穀物法同盟の激しい運動が実を結び、ピール内閣は穀物法を撤廃。
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