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中国雲南省西部の古都。
ジ海(じかい)西岸に位置し、広大な大理盆地を背景に、古来、ミャンマー・チベット方面との交通の要所として栄えた。
蒼山,ジ海などの景勝地をひかえ、また付近から採れる結晶質石灰岩は有名で、「大理石」の名で知られた。
住民はチベット・ビルマ系イ語派(ロロ(羅羅)諸族)に属する「ペー(白)族」であり、唐宋時代の雲南の地方政権「南詔」「大理国」の主体であったと言われる。
- 漢〜唐代
- 西ジ河周辺には「西ジ河蛮」と呼ばれたペー(白)族(白蛮)が住み、「白国(白子国)」を建てていた。
- 649
- 「白国」は烏蛮(チベット・ビルマ系のロロ(彝〔イ〕)諸族)の南詔王蒙細奴邏に滅ぼされる。
その後、南詔王閣邏鳳は、西ジ河蛮の主要都城である羊苴(ようしょう)城に大理城と名付け、南詔の首都とした。
- 902
- 南詔滅亡。
その後、この地を都に3代の王朝が相次いで興亡。
- 937
- 白蛮(タイ系のペー族)出身の段思平、大理国(937〜1254)を建国して雲南を支配。
- 1254
- 元の世祖フビライ、大理国を征服。
大理国滅亡後、タイ族の南下が活発化、カンボジアのアンコール朝クメール帝国を破り、スコータイ朝やアユティア朝を建設する。
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