|
アフガニスタンを中心に北西インドを支配した中世イスラム王朝。「グール (Ghur) 朝」とも言う。アフガン系。
- c.1000
- ガズニ朝の衰微と共に、その領内ヘラートの南東ゴールの地の小王が独立。
- 1148
- ギャース・ウッディーン・ムハンマドが権力を確立、弟シハーブ・ウッディーン・ムハンマドと共同統治をしつつ勢力を拡大。
- 1186
- ギャース・ウッディーンは、弟ムハンマドと協力して、ガズニ地方からグズ・トルコマン族の勢力を駆逐、ガズニ朝を滅ぼしてゴール朝の権威を固めた。
その後、弟ムハンマドをこの地の総督とし、自らは西方に領域を拡張。
- 弟ムハンマドは兄王の将軍として連戦連破の活躍を見せ、ムハンマド・ゴーリー (ゴールのムハンマド) と呼ばれて恐れられた。
また、本格的なインド攻略に乗り出した。
- 1191〜1192
- まずムルタンを奪取、次いでパンジャーブを併合、アジメール (Ajmer) を奪い、チャフマーナ朝とガーハダヴァーラ朝 、パーラマーラ朝、カラチュリ朝などラージプート諸王朝を滅ぼして、ほとんどデリーにまで達する北インドを平定した。
その後自らはガズニに帰還し、ホラーサーン地方の経営に没頭。インドのことは部下の将軍クトゥブ・ウッディーン・アイバクに委ねた。
- 1193
- アイバクは、ヴァラナシ (現ベナレス)とデリーを取り、当時のインド最大の王、カナウジのジャイチャンドを敗死させ、別軍はベンガル及びビハールを征服して、パーラ朝、セーナ朝を打ち破った。
- 1202−1206 ムハンマド・ゴーリー
- 兄を継いで王となるが、西方でホラズム・シャー朝に敗れ、1206年に暗殺される。
- 1206
- ムハンマド・ゴーリーの死後、王国は分裂。
北西インドに拠っていたアイバクは、デリーを都として独立、「奴隷王朝」を開き、デリー・スルタン朝による北インドのイスラム支配の基礎を据える。
- ムハンマド・ゴーリーの子マフムードは、ゴール王の相続権をアイバクに譲る。
しかしアイバクはアフガニスタンの支配権を放棄したため、この地はホラズム・シャー朝のアラー・ウッディーン・ムハンマドの支配に帰した。
- 1215
- ゴール朝の王統絶える。
|