ゴール朝
Ghor 1187〜1215
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 アフガニスタンを中心に北西インドを支配した中世イスラム王朝。「グール (Ghur) 朝」とも言う。アフガン系。

c.1000
 ガズニ朝の衰微と共に、その領内ヘラートの南東ゴールの地の小王が独立。

1148
 ギャース・ウッディーン・ムハンマドが権力を確立、弟シハーブ・ウッディーン・ムハンマドと共同統治をしつつ勢力を拡大。

1186
 ギャース・ウッディーンは、弟ムハンマドと協力して、ガズニ地方からグズ・トルコマン族の勢力を駆逐、ガズニ朝を滅ぼしてゴール朝の権威を固めた。
 その後、弟ムハンマドをこの地の総督とし、自らは西方に領域を拡張。

 弟ムハンマドは兄王の将軍として連戦連破の活躍を見せ、ムハンマド・ゴーリー (ゴールのムハンマド) と呼ばれて恐れられた。
 また、本格的なインド攻略に乗り出した。

1191〜1192
 まずムルタンを奪取、次いでパンジャーブを併合、アジメール (Ajmer) を奪い、チャフマーナ朝とガーハダヴァーラ朝 、パーラマーラ朝、カラチュリ朝などラージプート諸王朝を滅ぼして、ほとんどデリーにまで達する北インドを平定した。
 その後自らはガズニに帰還し、ホラーサーン地方の経営に没頭。インドのことは部下の将軍クトゥブ・ウッディーン・アイバクに委ねた。

1193
 アイバクは、ヴァラナシ (現ベナレス)とデリーを取り、当時のインド最大の王、カナウジのジャイチャンドを敗死させ、別軍はベンガル及びビハールを征服して、パーラ朝セーナ朝を打ち破った。

1202−1206  ムハンマド・ゴーリー
 兄を継いで王となるが、西方でホラズム・シャー朝に敗れ、1206年に暗殺される。

1206
 ムハンマド・ゴーリーの死後、王国は分裂。
 北西インドに拠っていたアイバクは、デリーを都として独立、「奴隷王朝」を開き、デリー・スルタン朝による北インドのイスラム支配の基礎を据える。

 ムハンマド・ゴーリーの子マフムードは、ゴール王の相続権をアイバクに譲る。
 しかしアイバクはアフガニスタンの支配権を放棄したため、この地はホラズム・シャー朝のアラー・ウッディーン・ムハンマドの支配に帰した。

1215
 ゴール朝の王統絶える。
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©1999 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1999/04/10

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