東チャールキヤ朝
Chalukya  8世紀〜1070
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 東インド中部に栄えた中世王朝。
 チャールキヤ朝の分家で、非力だが要衝ヴェーンギーを占めたため、ラーシュトラクータ朝に狙われ、のちチョーラ朝に吸収される。

 なおチャールキヤ朝には次の3系統がある。

  • (バーダーミの)チャールキヤ朝……〔時代〕 6世紀〜753 〔首都〕 ヴァーダーピ(現バーダーミ)
  • 東チャールキヤ朝……〔時代〕 8〜11世紀後半 〔首都〕 ヴェーンギー
  • 西チャールキヤ朝……〔時代〕 973〜12世紀後半 〔首都〕 カルヤーニ
7世紀半ば  ヴィシュヌヴァルダナ
 本家チャールキヤ朝のプラーケシン2世の弟。
 チャールキヤ朝のもとでゴーダーヴァリー、クリシュナ両河間の東部領域 (アーンドラ地方) を治めていたが、間もなくヴェーンギーに都し、独立。
★ヴェーンギー★

 ゴーダーヴァリー、クリシュナ両河下流域の穀倉地帯に位置し、地理的には、
  1. タミール地方の王朝にとっては北方への通路
  2. 西部デカンの王朝にとっては東海岸へ進出し、さらに南下する足がかり
であったため、両者はこれをめぐって激しく抗争した。

8世紀半ば以降
 ラーシュトラクータ朝と長年にわたり抗争を続ける。

10世紀末
 チョーラ朝と姻戚関係を持ち、その保護下に入るようになる。
 やがて同王朝のラージャラージャ1世 (位985〜1016) の援助で再興。

1030
 ラージャラージャ王の弟ヴィジャヤーディティヤが謀反を起こし、都を奪うが、西チャールキヤ朝のヴィクラマーディティヤに滅ぼされる。 

1070
 ラージャラージャ王の子ラージェーンドラ2世は、「クロットゥンガ1世」として、空位になっていた母方のチョーラ朝の王位に就いた。
 こうしてチョーラ朝と東チャールキヤ朝は一つになり、以降アーンドラ地方はチョーラ朝の一地方として太守支配が行われた。 → アーンドラ地方を巡って西チャールキヤ朝と抗争が繰り広げられることに。

13世紀後半
 チョーラ朝の滅亡と共に、東チャールキヤ朝の5世紀にわたるアーンドラ地方支配の歴史も終わる。

〔文化〕

 ビッカボールの諸寺…… 9世紀初期〜11世紀中期の六つの石積寺院。 パッラヴァ朝の影響が強い。             
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更新日:1998/08/31; 2004/10/03

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