ヒムヤル王国
Hymyal  c.115 BC〜AD 525
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 古代南アラビアに繁栄した王国。

 ヒムヤル(イェーメン)人はもともとサバ王国の支配に服していたが……

前3世紀  マーリブのダムが決壊
 このダムは潅漑用に巨石を積んだもので、南アラビアの農耕社会を発達させ、富み栄えさせていた。
 ダムの崩壊により、ヒムヤル人は危機に瀕し、北上してサバ王国を荒廃させる。

115 BC 頃
 サバ王国を滅ぼし、ザファールに首都を移してヒムヤル王国を建設。
 ヒムヤル王国は次のような時期に分けられる。
  • 第1次ヒムヤル王国(c.115〜78 BC)
  • 第2次ヒムヤル王国(78 BC〜AD 525)
    • 前期ヒムヤル王朝(78 BC〜AD 340)
    • 後期ヒムヤル王朝(AD 378〜525)
 または、単に前期と後期に二分して以下のようにすることも多い。
  • 前期ヒムヤル王国(115 BC〜AD 340)
  • 後期ヒムヤル王国(AD 378〜525)
c.115〜78 BC  第1次ヒムヤル王国
 サバ王国より強力で、サバ王国、カタバーン王国(c.400−50 BC)、ハドラマウト王国(450 BC〜 全盛)を征服。

78 BC〜AD 340  前期ヒムヤル王朝(第2次ヒムヤル王国)
 ユダヤ教を移入。AD 340年、エチオピア人に征服される。

378〜525  後期ヒムヤル王朝(第2次ヒムヤル王国)
 378年、ヒムヤル王国が再興される。
 4〜5世紀の間にユダヤ教の勢力が拡大。
 ヒムヤル最後の王ドゥー・ヌワースもユダヤ教徒となり、キリスト教を過酷に弾圧した。

523  ドゥー・ヌワース王によるキリスト教徒大量虐殺

c.525  アクスム(エチオピア)王ネグスはキリスト教徒保護の名目で侵入、ヒムヤル王国を滅ぼす。
 ヒムヤルの滅亡は、この頃南アラビアで砂漠化が進み、国力が衰えたせいでもあった。
 この後、多くの定住民が遊牧化して北へ向かい、アラビア半島の戦国時代(ジャーヒリーヤ時代)を迎える。
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©1998 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1998/08/31

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