中央アジアに成立した中世イスラム王朝。トルコ (テュルク) 人が建てた最初のイスラム王朝として重要。
貨幣銘によって「イレク・ハン (Ilek Khan) 朝」とも呼ばれる。
「カラハン」とは王朝の始祖サトゥク・カラハンのことだが、初期の歴史は不明な部分が多く、実際の創始者はサトゥク・ブグラハン (Satuk Bughrahan) [またはボグラ・ハン (Satuq Boghra Khan) ] である。
王家は古代ウイグル帝国の王族アティ氏出身と言われるが、ウイグル人と共にカルルーク族もカラハン朝成立に大きな役割を果たした。
- 10世紀初め
- 西ウイグル国西方、チュー河畔のベラサグン (トクマク付近) を支配していたアティ氏の一族 (ベラサグン侯) が勢力を持つ。
- 920年代
- ベラサグン侯の太子サトゥク・ブグラハンは、アトゥッシで学ぶ内に秘密でイスラム教に入信。
- c.940
- ブグラハン、ハカン(大王)の位に就く。
- c.960
- ブグラハン、スンナ派イスラム教を国教と宣言し、強制的に人々を入信させた。
同時に、マニ教的・仏教的な西ウイグル国と対立、カラハン朝を独立させる。
これ以後、ウイグル人は次第に仏教を捨て、イスラム化する。
- 999
- ナスル (Nasr) は西トルキスタンのイラン系サーマーン朝を滅ぼし、マワランナフルを征服して西方に進出、中央アジアに大帝国を築く。
最大版図は、タリム盆地 (現在の新疆ウイグル自治区南部) 〜七河流域 (現カザフスタン東部、ウズベキスタン一部、キルギスタン全土) 。
- 1008
- ガズニ朝のマフムードにバルフ付近で破られ、アム川以西の進出には失敗。
- 1069
- 最初のトルコ語文学『クタドグ・ビリク (Kutadgu Bilig)』が書かれる。
ベラサグンの詩人・哲学者ユスーフ・ハス・ハジップ(1012〜1077?)が国王アルスランのために書いた教訓詩で、書名は「幸福に関する智恵」の意。ユートピア哲学をカシュガル方言の中世トルコ語で綴っている。
イスラム化したトルコ人が古代ウイグル文字を用い、初めてトルコ語で書いた作品として重要であり、中世トルコ文学の代表作とされる。
- 1074 カラハン朝の分裂
- パミール山脈を境に国は東西に分裂。
- 11世紀後半
- 統一を失い、国土はさらに細かい封土に分裂。
当時、西はサマルカンド、東はカシュガルが政治・文化の中心として栄え、トルコ文化の花が咲いた。
この期間を通じて、東西トルキスタンのトルコ (テュルク) 化は目覚ましく、12世紀の初めまでタリム盆地の住民はほとんどチュルク化された。
- 11世紀末 西カラハン朝の滅亡
- 西カラハン朝はセルジューク朝の支配に服する。
- 1130年代
- 東カラハン朝も、西進してきた契丹人の西遼の圧迫を受け、東方諸都市を征服される。
- 1140年代 東カラハン朝の滅亡
- 東カラハン朝の西部も西遼に吸収され、カラハン朝は滅ぶ。
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