| 訶陵 |
| かりょう 7世紀前半〜9世紀後半 |
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古代ジャワ島にあった仏教国。唐に使節を派遣したので唐の史料で知られる。
8世紀初めに密教の大僧侶、不空を教えた金剛智も、訶陵出身だったし、弘法大師が長安で一緒に仏教を学んだ弁弘も、訶陵国の人だった。
(朝貢はこの時から約70年間中断される。)
現地の国名との比定かつては漠然と、「訶陵」=「カリンガ」(インド東岸コロマンデル海岸北方)に由来するインド文化系の国のことと考えられていた。しかしフランス人ダメーはカリンガとの関係を全く否定し、また沖田浩三は「訶陵」=「カルン」と考え、これに接頭辞と接尾辞のついた現存の地名「プカロンガン」(中部ジャワ北岸)に結びつけた。 訶陵は現在のプカロンガンにあったのだろうか?
ところで、プカロンガン州ソジョメルトからは、シヴァ教を奉じていた「サレンドラ」王家のことが記録された古マレー語碑文(7世紀)が発見されている。
不可解なのは、8世紀中頃に最盛期を迎える前、70年ほど歴史から姿を消していたことだ。訶陵国による唐への朝貢は670年ころ一旦途絶するのである。
あるいは、シュリーヴィジャヤ王国の討伐を受けて一時的に勢いを失ったのかも知れない(生田滋説)。
いずれにせよ、訶陵が朝貢を再開する8世紀後半から9世紀には、中部ジャワでは仏教遺跡ボロブドゥールを残したシャイレーンドラ王朝が全盛を迎えていた。「訶陵」=シャイレーンドラ朝だとする説はますます有力になる。 シャイレーンドラ朝は8世紀中頃、猛烈なエネルギーで膨張を始める。8世紀中頃に行われた訶陵王吉延の東遷は、それを示すとも考えられる。東方に新しい「闍婆城」を築いた彼らはサンジャヤ朝を圧倒し、8世紀後半にはチャンパーやタイ、クメールを荒らし回り、「崑崙闍婆の賊」と恐れられたのである。 |