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黒海とカスピ海に挟まれた地域。北はロシア、南はイラン、トルコと国境を接する。44万km2。
古くから東西・南北の交通路となり、多数の民族、言語が複雑に混じりあった地で、宗教的にもキリスト教とイスラム教(シーア派とスンナ派)が錯綜している。
石油、天然ガス、マンガン、銅、モリブデンなどの鉱物に富む。
英語では「コーカサス (Caucasus) 」。
=Contents=
地勢
住民
カフカス全体の歴史 (概略のみ)
北カフカスの歴史 (概略のみ)
ザカフカスの歴史 (概略と年表)
〔地勢〕
黒海とカスピ海の間に連なる褶曲 (しゅうきょく) 山脈カフカスにより、南北に2分される。
カフカス山脈は延長1200km、幅70〜200km。エリブルス山、カズベク山、シハラ山 (5058m) など万年雪と氷河におおわれた5000m以上の高山が多い。
歴史的にアジアとヨーロッパの境と考えられてきた。
南北横断路としては、(1) グルジア街道、(2)オセチア街道、の2本がある。
この山脈を境に、北カフカスとザ(外)カフカスに分けられる。
- 北カフカス……現ロシア領で、歴史的にもロシア人の勢力範囲。
北カフカスは2000年現在、以下の各共和国から構成される。
- ダゲスタン
- チェチェン
- イングーシ
- 北オセチア
- カラチャイ・チェルケス
- カバルディノ・バルカル
- アディゲイ
- ロシア共和国のクラスノダル地方
- ザカフカス (外カフカス)……次の3地域に分かれる。
- アルメニア
- グルジア
- アゼルバイジャン
[住民]
古来種々雑多な民族が流入を繰り返したため、複雑に入り組んだ民族構成を示す。特にダゲスタン地方は狭い地域に少数民族が密集し、「言語の森」と呼ばれる。
主に以下の3グループに分けられる。
- カフカス諸族系……この地域の先住民族。最大民族のグルジア人が古くからのキリスト教徒であるのを除いて、ほとんどがスンニー派イスラム教徒。
主な民族は次の通り。
- グルジア人
- チェチェン人
- イングーシ人
- アバール人
- チェルケス人
- アディゲ人
- アブハーズ (アブハジア)人
- インド・ヨーロッパ系……アルメニア人など。外来のロシア人もここに含まれる。
- アルタイ系……トルコ系住民は15世紀以降住み着いた。
最大勢力のアゼルバイジャン人はシーア派、他はスンニー派のイスラム教徒である。
- アゼルバイジャン人
- クムイク人
- カラチャイ人
- バルカル人
= カフカス全体の歴史 =
新石器時代以降、カフカス諸族が農耕・牧畜文化を発展させる。
イラン系遊牧民が侵入、その影響を強く受ける。
前9世紀、ザカフカスにウラルトゥ王国が成立。
前750年頃キンメル人が南ロシアからカフカスを南下、ウラルトゥを攻撃。
前700年以降スキタイ人も同様のルートで南下、ザカフカスを荒らす。
前600年頃、ヴァン湖付近に印欧系アルメニア人出現。
前6〜前5世紀、ギリシアとの交易で黒海沿岸グルジアのコルキス王国が栄える。
前4世紀、アレクサンドロス大王がカフカス一帯を征服。
前2世紀にはアルメニア王国が成立するが、前1世紀、ローマ帝国の支配下に。
4世紀にザカフカスはキリスト教化。
4〜5世紀には北カフカスはフン族の脅威にさらされる。
5〜6世紀を通じ、ザカフカスは東ローマとサーサーン朝ペルシアの争奪戦の舞台となる。
7世紀になると南からはアラブ、北からはハザールがカフカスに迫る。
11世紀、セルジューク・トルコがアルメニアを征服すると、大量のアルメニア難民が国外流出開始。
13世紀にモンゴルが侵入。
14世紀後半、ティムールが来寇。15世紀を通じてティムール帝国の支配を受けたアゼルバイジャンではトルコ化が進行。
16〜18世紀、オスマン帝国とサファヴィー朝ペルシアは、ザカフカスを巡って争う。
19世紀にロシアが南下し、北カフカスもザカフカスも支配下に置いた。
ロシア革命後でカフカス諸国もソ連邦に加盟。
ペレストロイカ期以降、以下の民族問題が表面化。
- 北カフカスにおけるチェチェンの分離独立運動
- ナゴルノ・カラバフ帰属をめぐるアルメニアとアゼルバイジャンの対立
- アブハジア自治共和国のグルジアからの分離運動
- 南オセチア自治共和国のグルジアからの分離運動
ソ連邦解体と共に各共和国は独立し、いずれも独立国家共同体(CIS)に加盟。
= 北カフカスの歴史 =
古来スキタイ、ハザールなど草原民族の活躍の舞台だった。
13世紀、モンゴル帝国(キプチャク・ハーン国)支配下に入る。
のちロシア系農民が移住してコサック軍団も形成される。
1817〜1864年の「カフカス戦争」でロシア領に。この間、イスラム神秘主義(ミュリディズム)の影響下に山岳地帯で激しい抵抗闘争が展開された。
ソ連消滅後、独立運動を展開するチェチェン共和国にロシアが2度侵攻(1994〜1997年、1999〜2000年)。
= ザカフカスの歴史 =
[概略]
古代にはウラルトゥ王国、イベリア王国、カフカス・アルバニア王国など諸王国が栄えた。
その後、外来勢力の侵入が続く。
4世紀にキリスト教化。
東ローマ、アラブ、ハザール、セルジューク・トルコなどが順次支配。
13世紀にモンゴルが侵入。
14世紀後半、ティムール帝国の支配下にアゼルバイジャンのトルコ化が進行。
16〜18世紀、ザカフカスはオスマン帝国とサファヴィー朝ペルシアの争奪の的に。
19世紀にロシアはペルシア及びトルコと戦ってザカフカスを奪い、トビリシにカフカス総督府を置いて支配した。
ロシア革命後の1918年,アルメニア、グルジア、アゼルバイジャンからなる「ザカフカス連邦」が置かれるが、利害が対立してすぐに3共和国に分かれる。赤軍が侵入してソヴィエト政権を樹立した後、再び連邦を結成して、1922年、ソ連邦結成に参加。1936年、スターリン憲法発布に伴い、再び3共和国に分離。
ペレストロイカ期以降、以下の民族問題が表面化。
- ナゴルノ・カラバフ紛争
- アブハジア紛争
- 南オセチア紛争
ザカフカス3共和国はソ連邦解体と共に独立し、いずれも独立国家共同体(CIS)に加盟。
[少し詳しく]
- 前9〜6世紀 ウラルトゥ王国
- 非印欧系民族の国家。アルメニアに繁栄、アッシリアやキンメル人と戦う。
- 前7世紀 アゼルバイジャン人の誕生
- イラン系のメディア人などと、キンメル=スキタイ人、ペルシア人、トルコ人との混血で形成されたと言われる。
- 前6世紀頃
- 小アジアのワン湖付近に原アルメニア人出現。当初はイラン文化の強い影響下にあった。
- 前6〜前5世紀 コルキス王国
- 黒海沿岸のコルヒダ(コルキス)には古代ギリシアの植民市が建設され、富み栄えた原グルジア人がコルキス王国を形成。
なお当時イラン系のオセット人がグルジアを含む南ロシアに広く分布していた。
- やがて外来勢力の侵入が続くようになる。
- 前4世紀 アレクサンドロス大王の遠征
- カフカス一帯はアレクサンドロス大王に征服された。
- 前2世紀 アルメニア王国の成立
- 今のイラン北部〜トルコ東部〜カフカス南部にアルメニア王国が独立。
- 前1世紀 ローマの進出
- アルメニアはローマ帝国の支配下に入り、やがてキリスト教が広まる。
- 前1〜後2世紀
- アルサケス朝パルティアがアゼルバイジャンを支配、しばしばアルメニアに侵入。
- 3〜4世紀
- パルティアに取って代わったサーサーン朝ペルシアはアゼルバイジャン支配を継続、アルメニア領への侵入を繰り返す。
アルメニアはローマ帝国とサーサーン朝の角逐の最前線となり、両国に分割支配される結果となる。
- 4世紀初頭 アルメニア教会の成立
- アルメニアは世界で初めてキリスト教を国家宗教として導入。
教義的にはキリスト単性論を支持。
- 4世紀
- グルジア人もキリスト教化。
- 5世紀
- グルジアに独立のキリスト教会(グルジア正教会)が成立。
この頃よりアルメニア文字に似た33文字の特異なアルファベットを使用したグルジア文字により、グルジア語の文献が記録される。
- 6世紀
- ササン朝ペルシアと東ローマ帝国はグルジアの支配権を巡って激しく争う。
- 7〜8世紀
- アラブ人のイスラム帝国がアルメニア、グルジア、アゼルバイジャンにしばしば侵入。
- 1045
- アルメニア、ビザンツ(東ローマ)領に。
- 1071 マンチケルトの戦い
- セルジューク・トルコがビザンツ帝国を破り、アルメニア〜小アジアにイコニウムのスルタン領を建設(ルーム・セルジューク朝)。
- 11世紀にアルメニアがセルジューク朝に征服されると、政治的独立を失った多数のアルメニア人が他国へ移住を開始。
特にアナトリア (小アジア) への大量移民が発生、中東各地にも広がった。
- 11世紀 バグラト朝グルジア王国が成立
- アルメニアもアゼルバイジャンもセルジューク・トルコ族に支配されるようになったが、グルジアだけは新たな王朝を開き、最盛期を築く。
- 12世紀 バグラト朝グルジア王国の最盛期
- グルジアはタマラ女王 (位1184-1213) の下で繁栄。
- 13世紀 モンゴルの侵入
- グルジア、アルメニアもモンゴル軍により被害を受けたが、最も東寄りのアゼルバイジャンはモンゴル帝国領に編入され、トルコ化が進行する。
- 14世紀後半 ティムールの侵攻
- グルジア、アルメニアも侵略を受けたが、最東のアゼルバイジャンは14〜15世紀の間ティムール帝国の支配下に置かれ、住民のトルコ化が一層進むことになる。
- 15世紀後半
- ティムール帝国が衰微し、トゥルクメン族の王朝がアゼルバイジャンに影響力を行使。ますます同地の住民のトルコ化が進展。
- 16世紀初頭 サファヴィー朝ペルシアの登場
- ペルシアのサファヴィー朝が全アゼルバイジャンを征服。
サファヴィー朝はシーア派イスラム教を信奉していたため、これ以降16世紀を通じてアゼルバイジャンではシーア派イスラムが浸透。同時にアラビア文字でアゼルバイジャン語が記録され始めた。
また、アルメニア、グルジアをも支配下に置こうとしたが、オスマン・トルコと奪い合いになった。
- 16世紀 オスマン朝トルコ帝国の進出
- オスマン朝はグルジア西部を奪う。
また、アルメニアも一時的に手に入れる。
- 16〜18世紀
- ペルシアとトルコの間でアルメニア争奪戦が続き、大体において西部がトルコ、東部がペルシャの支配下にあった。
- 18世紀
- ロシア帝国が南進を開始。
- 1783 ギオルギエフスク条約
- グルジア東部はロシアの保護領に。
- 19世紀
- ロシアの本格的なカフカス進出。
- 1801
- グルジア東部がロシアに併合される。チフリス(トビリシ)はロシアのカフカス支配の拠点となる。
- 1813 ゴレスターン条約
- 1826〜1828 ロシア・イラン戦争
- 3次にわたるロシアとカジャール朝ペルシアの戦争。
その結果……
- 1828 トルコマンチャーイ (トルクマン・チャイ) 条約
- ロシア・イラン戦争の講和条約。
ロシアは、アルメニア東部とアゼルバイジャンの北半部を併合。
これにより、アルメニアはトルコ領の西とロシア領の東に分割され、アゼルバイジャンもロシア領の北と南部のペルシア (イラン) 領に二分されることとなった。
- 1845
- チフリス(トビリシ)にカフカス総督府が置かれる。
以後チフリスはバクーと共にザカフカスの2大中心都市となる。
- 1878
- 露土戦争の結果、グルジア全土がロシア領に。
- 1895〜1896 第1次アルメニア人大虐殺
- オスマン朝トルコは領内アルメニア人の民族運動を大弾圧。
- 1915〜1918 第2次アルメニア人大虐殺
- オスマン・トルコは国家建設を目論んだアルメニア人を再び大量殺害(特に1915〜1916年)。
今回の犠牲者は100万人にのぼるとされる。
- 1917 ロシア十月革命
- 1918年3月3日 ブレスト・リトフスク条約
- ソヴィエト・ロシアはドイツ、オーストリア等の同盟国側との講和条約を結び、第1次世界大戦から離脱。
- 1918
- ブレスト・リトフスク条約を受け、ザカフカス3国はいずれも独立を宣言。
- 1919年4月 ザカフカス連邦の成立
- アルメニア、グルジア、アゼルバイジャンからなる「ザカフカス連邦共和国」が成立。これはメンシェヴィキ主導の白色革命政権であった。
だが、すぐに3共和国に分かれ、相互の利害対立が激化。
- 1920〜1921
- 赤軍が侵攻し、アゼルバイジャンとアルメニアにソヴィエト政権を樹立。
- 1922年12月30日 ソ連邦に参加
- アルメニア、グルジア、アゼルバイジャンの3国は再び合同し、「ザカフカス・ソヴィエト連邦社会主義共和国」を形成して、ソ連邦結成に参加。
- 1936 ザカフカス3国の分離
- スターリン憲法により、「ザカフカス連邦共和国」は、アルメニア、グルジア、アゼルバイジャンの3共和国に分離し、それぞれが単独の連邦構成共和国となった。
- 1985年3月 ソ連にゴルバチョフ書記長登場、ペレストロイカ (改革) 推進
- 1988年2月 アゼルバイジャンでナゴルノ・カラバフ紛争発生
- アゼルバイジャン領ナゴルノ・カラバフ自治州で、住民の76%を占めるアルメニア人がアルメニア共和国への併合を求め、アゼルバイジャン人と対立。
同月、首都バクーに近いスムガイトで、民族派アゼルバイジャン人がアルメニア人を虐殺、国内外に衝撃を与える。
- 1989年8月 グルジアで南オセチア紛争発生
- グルジア政府が、イラン系オセット人の多い南オセチア自治州にグルジア語を強要。
反発した南オセチア自治州は、自治共和国への昇格・ロシア連邦北オセチアとの統合を求める。
- 1989 トビリシ事件
- グルジアの独立回復をめざす大集会をソ連軍が武力制圧。この時期の民族運動への最も大規模な弾圧。
- 1990年8月 グルジアでアブハジア紛争発生
- イスラム勢力の強いアブハジア自治共和国が分離独立運動を開始。
- 1991
- ナゴルノ・カラバフ自治州の帰属を巡り、アルメニア共和国はナゴルノ・カラバフを援護して、アゼルバイジャン共和国と武力衝突。
- 同年
- 南オセチア紛争にソ連中央が介入。
- 同年4月9日 グルジア共和国、ソ連からの独立を宣言
- 同年8月30日 アゼルバイジャン共和国、ソ連からの独立を宣言。
- 同年9月23日 アルメニア共和国、ソ連からの独立を宣言。
- 同年12月 ソ連解体。
- 1992年1〜3月 グルジアで政権交代
- 1992年1月6日、ガムサフルディア大統領は反対派の追撃を受け亡命。
同年3月、シェワルナゼ元ソ連外相が帰国、国家評議会議長に就任。
- 同年
- グルジア領アブハジア自治共和国は、分離独立を目指してグルジア軍と衝突。
- 同年6月
- グルジアの南オセチア紛争は停戦合意に至る。
- 1994年4月
- グルジアのアブハジア紛争は停戦協定に調印。
- 同年5月
- アゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ紛争も停戦合意が成立。
- 1995年7月
- アルメニアで国民投票により新憲法採択。国家再建始まる。
- 同年11月
- グルジアでシェワルナゼが圧倒的支持を得て大統領に就任。
アゼルバイジャン議会選挙でも大統領支持派が勝利。
両国でも政局の安定化が始まる。
- 2003年11月
- グルジアのシェワルナゼ大統領、野党と民衆に国会を占拠され、辞任。
シェワルナゼ政権下での汚職、失業 (国民の54%が失業者)、生活苦 (国民5人に1人が国外脱出したとされる)の結果であった。
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