大乗仏教
Mahayana だいじょうぶっきょう  3〜4世紀頃成立
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 仏教の2大宗派の一つ。
 紀元前後ごろ、従来の正統学派(部派仏教)が限られたエリート層のみの救済にしか目を向けなくなったことに対する反動として、広く大衆一般の救済を目的に説かれた、一種の社会・思想運動。
 「大乗」はサンスクリットのマハーヤーナ(Maha-yana)の訳で、大きな乗り物を意味し、衆生救済を重んじる大乗仏教に対する自賛を込めた呼称。
 これに対し旧来の部派仏教のことを「小乗」と呼んだ。これは大乗側からの蔑視を込めた呼び方であり、世界史用語としては不適当であり、部派仏教の自称である「上座部仏教」がふさわしい。

 自・他にとらわれぬ自由の境地=「空 (くう) 」を尊び、徳目「六波羅蜜 (ろくはらみつ) 」を実践して「菩薩 (ぼさつ) (=六波羅蜜の実践者)となることを奨励した。
 中国・日本に伝わり発展。

大乗仏教の歴史 (概説)

 三つの時期に分けて考えることが出来る。

(1) 前1世紀〜後300  形成期
 紀元後2世紀頃、ナーガールジュナがアーンドラ王国で大乗教学を大成。 → 北西インドのクシャーナ朝などで発達。 → ここを拠点に、中国へは2世紀頃から伝わっている。

(2) 300〜600  発展期
 グプタ朝朝を中心として最盛期。中国でも北魏などで栄えた。
 しかし、グプタ朝に見られたヒンドゥー民族文化復興の流れには逆らえず、7世紀中ごろからインド仏教は バラモン教ヒンドゥー教) に影響されて密教が現れる。
 中国仏教はこの時期は摂取の時期 (5世紀〜6世紀後半) で、中央アジアのクチャの仏僧クマーラジーヴァ (鳩摩羅什) (350〜409,又は344〜413) が、384年クチャを破った前秦の遠征軍に連れられて涼州に至り、さらに後秦の後涼征服後、後秦王に迎えられて長安に入って布教に従事したが、特に仏典の翻訳作業は名高く、この訳経家に刺激され、中国仏教は発展を始める。北魏では大乗仏教保護政策が取られた。

(3) 600〜1200  衰退期
 インド仏教は密教化著しく、特にベンガルのパーラ朝では7〜12世紀の間、大乗・小乗に代わって栄えた。密教は、大乗教学の理論的帰結と、民間の呪術儀式(特にヒンドゥー教のそれ)とが融合して生まれたものであり、人間の本能を、理想実現の手段として認め、実践を重んじた。
 密教はそれ自体として中国や日本に伝えられる一方、7世紀にはチベットに伝わってラマ教 (チベット仏教)を生み出した。ラマ教はモンゴル人にも伝わり、モンゴル征服下の元代中国でも行われた。
 中国仏教は独立発展の時期 (6世紀後半〜8世紀半ば) を迎え、智ギが法華経を中心に天台宗を開き、仏教を完全に中国化し、道シャクの浄土教は唐初期の善導によって中国仏教として大成した。
 ところが唐代になってインド留学僧・玄奘 (げんじょう) がもたらした「唯識仏教」が一世を風靡するようになった。唯識派は、ナーガールジュナの系譜を引く中観派に代わってインド大乗仏教の主流となっていたものである。この影響下、唐初には律宗、華厳宗が、少し遅れて禅宗、真言宗が起こり、これら諸宗は玄宗の治世に最も隆盛となり、教理においても、ほとんど密教に吸収されかかっていたインド仏教を凌ぎ、中国独特の仏教として栄えた。
その後、中国仏教は、実生活に役立つ方向に進み (751〜1120)、禅宗は貴族階級で、念仏宗は庶民階級で栄えたが、南宋頃から単なる継承の時期 (1121〜1910)に入って衰えた。
 なお、インド仏教は12世紀の末ごろ、イスラム教徒が南部ビハールを占領するに至って衰え、ほぼ消滅してしまった。


前3世紀後半〜
 仏教は、開祖仏陀 (ブッダ) 死後100年を過ぎる頃から教義論争のために分裂し、教団は20部にも達した(部派仏教)。

紀元前後
 部派仏教の形式化、保守化。
 上座部系の部派は次第に思弁哲学的傾向を強めた。
 仏教の哲学的解釈は深まったが、同時に苦行による自己の開悟解脱が目的となり、また社会的栄誉を求める傾向も現れ、保守化・形式主義化が著しく、衆生救済という原始仏教の本義から離れるようになった。

 そこで紀元前後頃、仏教内部に起こった宗教改革の運動が「大乗 (マハーヤーナ)」である。
 マハーヤーナとは多くの人々を涅槃の救済へ送り届ける大きな入れ物のことで、全ての人類の救済を約束して菩薩道を説き、従来の仏教を「小乗」と呼んで批判した。

後1世紀後半〜2世紀
 大乗運動は全インドで展開され、
  • 『般若 (はんにゃ) 経』
  • 『華厳 (けごん) 経』
  • 『維摩 (ゆいま) 経』
  • 『法華 (ほっけ) 経』
  • 『大無量寿経』
  • 『浄土経類』
などの基本的大乗経典が成立。

c.150〜250  ナーガールジュナ (漢訳で「竜樹 (りゅうじゅ) 」)
 大乗仏教を理論的に集大成。
 南インドのバラモン僧出身で、中国では「竜猛 (りゅうみょう) 」「竜勝」とも。
 出家して初め小乗教学を修めたが,のちヒマラヤ山中で老比丘 (びく) より大乗経典を与えられ、以後大乗仏教を奉じたという。また南海の竜宮に至り、多くの大乗経典を得たという伝説もある。
 大乗経典に精通し、その根本教義を「般若の空観」に求めて『中論』を著して、大乗教学を樹立。
 彼の教学は、小乗仏教の有 (う) の哲学を破り、万物には不変の実体のない(=空 (くう) )ことを明らかにし、有と無の両端を排して中観 (ちゅうがん) を立てた。
 晩年を南インド、クリシュナ川の上流の黒蜂山で過ごした。
 中国や日本では「八宗の祖師」と仰がれ、真言宗では第三祖とされる。

3世紀
 ナーガールジュナの教説は「中観派」によって発展される。

 大乗仏教は北西インドに伝わり、シルクロードを通じて中央アジア、中国、朝鮮、日本などへ伝播し、各地域に大きな影響を残した。これら内陸アジアの諸地域は、それ以前は非仏教地域だったので、大乗仏教の伝道は、すなわち世界宗教の初めての洗礼ということになる。

4世紀
 北西インド (ガンダーラ地方) に入り、ヘレニズムやペルシア文化と接触し、菩薩を中心とする多神教的教義へ大きく変容。

4世紀後半〜5世紀
 ガンダーラ主都プルシャプラ出身のアサンガ (無著 (むじゃく) )、ヴァスバンドゥ (世親 (せしん) )兄弟が「唯識論」を構築、大乗仏教が完成。
 ヴァスバンドゥが『無量寿経』の注釈で説いた阿弥陀信仰は、浄土思想の基となり、中国仏教へ大きな影響を与えることとなる。

7世紀以降
 ベンガルなどで栄えた密教に吸収される。
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更新日:1999/02/01, 11/21

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