マラユ王国
Malayu 摩羅瑜
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 スマトラ島南部のジャンビにあった王国。
7世紀
 既に存在。シュリーヴィジャヤ王国に属す。

1025年
 チョーラ朝ラージェーンドラ1世(位1012〜1044)の攻撃。
 チョーラ朝はケダーを拠点にマラッカ海峡を支配。

1080年代
 チョーラ朝が弱体化したすきに台頭、宋に入貢。
 この頃より要地として栄える。

1275
 ジャワ島のシンガサリ朝のクルタヌガラ王による遠征

1286
 クルタヌガラ王、マラユを征服。
 Maulimarwadewa王はシンガサリ朝に服属し、不空絹索 (ふくう・けんじゃく=アモガパーシャロケーシュヴァラ) 像を贈られる (バタン・ハリ上流のランサット河で出土)
 シンガサリ王国の崩壊(1292)後独立を回復したと思われ、
1347〜1375  アーディティヤヴァルマン王の治世
アーディティヤヴァルマン
アーディティヤヴァルマン像
シヴァ神仏陀が融合したバイラーヴァ神として表現されている。
 マジャパヒト王国末期に書かれた史書『パララトン』によれば、1260年のシンガサリ朝による遠征で、マラユ王国の王女が連れ去られ、ジャワの王子と結婚し子供を産んだ。それがアーディティヤヴァルマンで、彼は若い頃はマジャパヒト宮廷で過ごした。
 やがてジャンビのムラユ宮廷に戻った。しかし彼は本拠を南スマトラ西岸高原地帯のパガルユンに移し、金鉱の採掘を進めながら、数多くのサンスクリット刻文を残した。

 アーディティヤヴァルマンの王国は二つの中心を持っている。
 一つはマラユ王国の後継としてのジャンビの宮廷であり、マジャパヒトの文化伝統が及んでいる。
 一方、西スマトラのパガルユンはミナンカバウ族の土地であり、アーディティヤヴァルマンはそこでは「ミナンカバウ王」として君臨したものと思われる。それは20世紀始めまで連綿と続く「ミナンカバウ王国」の始まりとされる。
 彼の王国はパガルユンから採れる金の経済力により、マジャパヒトから政治的独立を維持できたと考えられる。

1380年代
 マジャパヒト王国が隣のパレンバンを侵略。
 この王国を最後として、スマトラのヒンドゥー文化はイスラム一色に変わった。
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更新日:1999/05/02

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