マラータ同盟
Maratha Confederacy
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 17世紀〜18世紀に南インド高原地方で活躍したマラータ族の部族連合国家。
 ムガール帝国と戦い、イギリスの進出に抵抗するなど、強大な勢力を誇った。

 ムガール帝国のアウランゼーブ帝が南インドに進出した時、ボンベイ東部〜南東部の西ガーツ山地に住んでいた。
 勇猛かつ好戦的なので、ビジャープル王国アフマドナガル朝などが傭兵として使っていた。  

17世紀初め
 シャージ・ボンスレーがマラータ族の国家の基礎を築く。

17世紀前半
 その子シーヴァージは領土を拡張。

1655以降
 ビジャープル王国ムガール帝国としばしば衝突。

1664
 ムガール帝国のアウランゼーブ帝は、将軍ラージャ・ジャイ・シングを遣わして攻撃。
 シーヴァージは降伏してムガール宮廷に送られるが、間もなく抜け出し、両者は再び緊張。
 当時ムガールはアフガン族との戦いのために兵が足りず、シーヴァージが勝利して、名声を高めた。

1677
 マドラスに侵入。

 シーヴァージ死後後を継いだ息子のシャムブージーは無能で、部下にも見離される。

1689
 遂にシャムブージー自らもムガール軍に捕まり、殺された。

18世紀
 ムガール帝国が衰弱すると再び勢いを得て、以下の諸国がマラータ同盟を形成した。

  • バローダ
  • グワリオール
  • インドール
  • ナグプル
  • 「ペーシュワー自治国」

18世紀前半
 最盛期。
 マラータ同盟軍は、1739年のナーディル・シャー侵入で分裂状態に陥ったムガール帝国を荒らしまわる。

1761
 パーニーパットで、ムガール及びアフガン族支配者アフマッド・シャー・ドゥッラーニーの連合軍に大敗。
 マラータ同盟は北インド支配の野望を放棄せざるを得ず。

1773
 内紛の発生。
 1772年まではプーナのペーシュワー (Peshwa) 家が同盟の盟主を勤めていたが、第4代マーダヴァ・ラーオの後を継いだナラーヤン・ラーオがこの年、叔父のラグナート・ラーオに殺され、内部対立激化。

1775〜1782  第1次マラータ戦争

1803〜1805  第2次マラータ戦争

1817〜1818  第3次マラータ戦争
 プーナのペーシュワー家は、ナグプル、インドールと連合してイギリスを攻撃したが、結局敗れ、同盟は解体され、イギリス領に併合された。
 この結果南インドの重要な部分がイギリスの植民地となり、イギリスのインド植民地は完成に近付いた。
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©1999 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1999/01/22

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