マーカンティリズムmercantilismの訳。
16世紀後半〜18世紀にかけて、イギリスを中心とする西ヨーロッパ諸国で採られた経済政策や、その思想の総称。
絶対王政の後期に、資本主義が産業革命によって確立されるまでの初期的段階において、王権が、官僚、常備軍、宮廷貴族など膨張した財政を維持するため、国富増大を目ざして採用した。
必ずしも一定の学説ではなく、その思想は次のように変遷した。
- 重金主義……貿易により貴金属それ自体の獲得・蓄積を目指す。
- 貿易差額主義……金銀よりも貿易黒字を目ざすべしとする。商工業保護の政策へとつながる。
具体的な政策としては、
- 輸出の増進を図り、金銀貨の蓄積を促す。
- 軍事力を強化する。 ←自国が豊かになるためには隣国が貧しくなる必要があると考えられたため。
- 工業を保護育成・発展させる。
が挙げられる。
さらに、同じ重商主義でも、
- 絶対主義的 重商主義……特権大商人の独占を保護、産業資本の発達を阻止する。フランスのコルベール主義、ドイツの官房学派など。
- 後期 重商主義……市民革命後の未成熟な産業資本を保護する。英国(議会的重商主義)や、ナポレオン1世治下のフランスの保護主義など。
に区別される。
重商主義は、資本主義の発展に伴って次第に放棄され、
重商主義 → 重農主義 → 自由貿易主義 (18世紀後半)
へと取って代わられた。
- 1661
- ルイ14世親政下のフランスで、コルベール (1619〜1683) が財務総監に任ぜられる。
「コルベール主義 (コルベルティスム)」の名で知られる絶対主義的な重商主義政策を展開。
- 徹底した保護貿易
- 東西両インド会社など、特権商事会社の設立・振興
- 海運業の支援
- 国内基幹産業での王立特権マニュファクチュア設立
- 一般の手工業ギルドに対する統制・保護強化
- 17世紀後半〜18世紀末
- ドイツ諸邦では「官房学 (Kameralismus,Kameralwissenschaft) 」が発達、絶対君主制の確立を目指す領邦君主と官僚(官房)の指針となり、ドイツ版重商主義が発達。
のちのドイツ流財政学、国家学、行政学などの土壌ともなり、明治以降の日本にも影響を与えた。
- 18世紀後半
- アダム・スミスの自由貿易主義が登場、イギリスでは重商主義は衰退。
- 1758
- フランスの宮廷侍医ケネー (1694〜1774) が『経済表 (Tableau e'conomique) 』を公刊。経済の循環過程を史上初めて全体的に捕らえると共に、農業を富の源とする重農主義の思想を打ち出す。
- 18世紀後半 重農主義
- ケネーは『経済表』で生産と流通を総体的に明らかにし、富の源を生産に求めたが、その思想はしばらくフランスで受け継がれた。
商工業は原料と食料品を農業に仰ぐからその発展は農業の発展にまたねばならぬとし、農業発展の必要を説いた。
地代以外の課税は生産を阻害するとする土地単一課税論と、商工業の自由放任論は、重農主義の本質が、自由貿易主義に近い資本主義的なものであることを示している。
しかし、農業の使用価値増大にだけ着目、工業の価値増殖を無視する誤りに陥った。
- 1770年代〜1830年代 産業革命 (イギリス)
- イギリス経済は圧倒的な国際競争力を付け、これを背景に、産業資本家は政府に、重商主義的な保護貿易政策の撤廃を求めるようになる。
- 19世紀初
- ナポレオン1世はフランスの産業を保護する(後期重商主義)。
- 19世紀中葉
- イギリスでは関税改正、穀物法や航海法の廃止により、重商主義政策は撤廃され、自由貿易主義に代わった。
- 1936
- ケインズ著『雇用・利子および貨幣の一般理論』刊行。この中で1章が重商主義に割かれている。
|