メソポタミア
Mesopotamia
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 ティグリス、ユーフラテス両河流域にあたる古代中東地域(今のイラク)。「肥沃な三日月地帯」の主要部分を占め、世界最古の文明の一つが発祥。

 「メソポタミア」は二つの大河の間の土地を示すギリシア語で、ティグリス河とユーフラテス河に挟まれた地域を指す。

北部
アッシリアと呼ばれ、アッシリア帝国が興起。

南部
バビロニアと呼ばれ、古バビロニア王国や新バビロニア王国が興亡。
  • その北部……アッカドと呼ばれる
  • その南部……シュメールと呼ばれる
  シュメール人に始まって、アッカド人、アッシリア人、カッシート人、エラム人、フルリ人、ペルシア人などが次々と支配した。

=Contents=

  • 先史・原史時代
  • シュメール・アッカド時代
  • バビロン第1王朝時代
  • 不振時代
  • アッシリア時代
  • 新バビロニア時代


    *年代は最近の算出法による。以前用いられていた年代は[]内に表示。

    = 先史・原史時代 =

     
    4500−4000 BC[4500−4000 BC]  ハッスナ期(北メソポタミアの考古時代区分)
    新石器時代末期に相当。代表遺跡エリドゥは3000 BC頃はペルシア湾頭にあった。

    ?−? BC[4000−3700 BC]  サマラ期
    部落で集団生活

    ?−4300 BC[3700−3300 BC]  ハラフ期
    小神殿を建て、農村的共同体を営む

    4300−3500 BC[3300−3100 BC]  エル・オベイド(ウバイド)(以後南メソポタミアの考古時代区分)
    神殿建築。北メソポタミアの先進文明は南にも広がる。

    3500 BC[3200−2800 BC]
    メソポタミア南部にシュメールが移住(南東のペルシア湾方面より?)

    3500−3000 BC[3100−2900 BC]  ウルク期
    都市成立。ジッグラト建設、楔形文字出現。
     シュメール人の文化で、エラム地方から小アジアにまで分布。

    3000−2800 BC[2900−2600 BC]  ジェムデト・ナスル期
    金属器の普及が著しい。


    = シュメール・アッカド時代 =

     
    2800 BC
    セム系のアッカド人、バビロニアに侵入(セム人の移動第一派)。歴史時代の幕が開かれる。

    2800−2350 BC[2600−2350 BC]  初期王朝時代
     ウルやラガシュなどで都市国家が成立、神権に基づく専制政治が行われる。
     シュメール人の間に次第にセム系民族の勢力が浸透していく。
     なお「王名表」(2000BC頃)で各都市国家の歴史が分かる。

    2490 BC[2600 BC]以後  ウル第1王朝

    2350−2170 BC[2350−2170 BC]  アッカド王朝
     セム系アッカド人サルゴン1世が、西はシリア及び小アジアの一部、東はエラムに至るまでを征服、アッカド帝国を建てる(BC2334[2350])。その死後反乱が相次ぐが、孫ナラーム・シンが国威回復。

    2150−2050 BC[2150−2050 BC]  グティ人の支配
    東方ザグロス山中からセム系異民族グティ人が侵入、南メソポタミアを支配。
     メソポタミアは一般に疲弊したが、賢王グデア(2100BC頃)治下のラガシュなどは繁栄。
     ウルク王ウトゥヘガルがグティ人を駆逐。

    2113−2006 BC[2050−1950 BC]  ウル第3王朝
     最後のシュメール人王国。アッカド帝国の再興を理想とし、シュメール文化は最高潮を迎える。初代王ウル・ナンムは善政を敷き、最古の法典を整える。

    2050 BC[2000 BC]以降
    西セム系アムル人がシリア方面から北メソポタミアへ侵入(セム人の移動第二派)。
     彼らはマリに根拠地を築いてウル第3王朝と戦う。


    = バビロン第1王朝時代 =

     
    2006−1775 BC 頃[1950−1720 BC]  イシン・ラルサ2国対立時代
     ウル第3王朝がエラム人に滅ぼされた後、政治の主導権はアムル人に移る。 イシン市とラルサ市に興ったアムル人の王朝が対立し、メソポタミアを二分して200年に渡って抗争。
     その間に第3のアムル人勢力、バビロン第1王朝が台頭してくる。

    1894−1595 BC[1830−1531 BC]  バビロン第1王朝
     第6代君主ハンムラビ(位 1792〜1749[1728−1686]BC)はイシン及びラルサを破り、バビロニアを統一。さらにマリ国エシュヌンナやアッシリアを下し、西はシリア、東はエラムにまで領土を広げた。国内でも「ハンムラビ法典」を制定し、バビロンの地方神マルドゥークを国家の主神に高め、アッカド語を公用語とするなど、王国の黄金期を築く。


    = 不振時代 =

     
    1595 BC 頃[1531 BC]
     ヒッタイト王ムルシリシュ1世、バビロンを急襲、バビロン第1王朝を滅ぼす。
     それと相前後して、東北の山地からカッシート族が来襲、バビロニアを征服する。
     バビロニアは次のように二分された。
    • 北部:カッシュ朝(バビロン第3王朝)(1746〜1157[1680〜1160]BC)……カッシートが封建的体制で支配し、1440 BC 頃「海国」を併合するが、弱体。
    • 南部:海国第1王朝(バビロン第2王朝)……微力でカッシュ朝に対抗できず。
     一方、北メソポタミアはミタンニ王国が支配。
    前14世紀
     セム系遊牧民アラム人がアラビア方面から侵入、次第に侵略的様相を帯びて迫り、ことに南部バビロニアに住み着いた。

    1150 BC[1150 BC]
     エラム王シュトルク・ナフンテがバビロニアを侵略、シッパル市にあったハンムラビ法典をエラム王国の首都スサへ奪い去る。

    1124−1103 BC[1146−1123 BC]  バビロン第4王朝ネブカドネザル1世の統治
     エラムを撃退。
     しかし迫り来るアッシリアには勝てず、バビロニアはアッシリア中王国のティグラートピレセル1世(位1115〜1077BC)に一時征服される。
     その後も海国第2王朝、バジ王朝、エラム王朝、バビロン第8王朝が相次ぎ、国情は安定せず。
     一方、南部に侵入・定住したアラム人はカルデア人と呼ばれるに至る。


    = アッシリア時代 =

     
    前9世紀
     アッシリア、再び強盛に。

    729 BC
     アッシリア新王国のティグラートピレセル3世(位745〜727BC)はバビロニアを併合。

    710 BC
     アッシリア王サルゴン2世(位722〜705BC)に根強く抵抗した南バビロニアのメロダクバラダン(2世)が破られる。

    689 BC
     アッシリア王センナヘリブ(位705〜681BC)、バビロンを破壊。
     その子エサルハドン(位680〜669BC)はバビロン再建を命ずる。王は西アジアからエジプトに至る未曾有の大帝国を領有。
    648 BC
     バビロンはアッシリアの属州に編入される。


    = 新バビロニア時代 =

     

     カルデア人と呼ばれるようになったバビロニアのアラム人は、アッシリアからの独立の機会をうかがっていた。

    625 BC
     ナボポラッサル(位625〜605BC)はアッシリアからの独立を達成、新バビロニア王国を建国。またメディアと協力して……

    612 BC
     アッシリアを滅ぼす。

    604−562 BC  ネブカドネザル2世の治世
     新バビロニア王国の最盛期。当時のオリエント4強国(他はエジプト、リュディア、メディア)の中で最も優勢。
     また王は篤信家で盛んに神殿を造営、神官を優遇したため、神官勢力が次の3代の王を廃立するという弊害も。

    587 BC  バビロン捕囚
     ネブカドネザル2世はイェルサレムを破壊してユダ王国を滅ぼし、ヘブライ人をバビロニアに強制移住させる(第2回バビロン捕囚)。

    539 BC
     アケメネス朝ペルシア帝国の大王キュロス2世がバビロンに入城、信心深いナボニドス王(位BC555〜539)を廃して新バビロニアを滅ぼす。
     ペルシア帝国の統治下でバビロンだけは他のバビロニア諸市と異なって栄えたが、ダレイオス1世(位521〜486BC)の時の戦乱で荒廃した。


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    更新日:1998/08/31

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