密教
 みっきょう  7世紀後半成立
〔別ウィンドウ表示〕
 仏教の一派。
 「顕教 (けんぎょう) 」に対する用語で、「秘密に説かれた深遠な奥義」の意。「秘密教」「真言密教」などとも。

 仏教が民間の呪術的世界観を取り入れ、ヒンドゥー教と融合して生まれたもので、人間の本能を便宜として認め、理想実現のための実践を重視するその教えは、衆生救済を目指した大乗仏教の最終的な理論的帰結でもあった。

 中国、ティベット、日本にも伝わった。

〔教義〕

 「大日如来」を本仏 (本尊) とし、他の諸仏・諸菩薩 (ぼさつ) はすべて大日如来に包容されて、大日如来の徳を顕現すると説く。その図示が曼荼羅 (まんだら) である。
 『大日経』『金剛頂経』 (←両部大経という) に説くところを修し、心に仏を観じ、口に陀羅尼 (だらに) を唱え、手に印契 (いんげい) を結べば、仏・菩薩と感応し、即身成仏すると説く。
 「陀羅尼」はサンスクリットのマントラ mantra のことで、「仏の真実の語」という意味で「真言」ともいう。陀羅尼を唱えるのは、人間の日常の言語を離れ、「真言」を直接聞くためである。
 また、修行としては観想を重視する。
 最終目標は、金胎 (こんたい) 両部の曼荼羅を建て、即身成仏することである。
 由来としては、大日如来の教えをインドの金剛薩タ (こんごうさった) が受け継ぎ、竜猛 (りゅうみょう) (=竜樹 (ナーガールジュナ) )を経て金剛智により中国に入ったと伝承される。

〔歴史〕

7世紀後半
 北東インド、ベンガル地方のパーラ朝大乗仏教の発展形として『大日経』『金剛頂経』が成立、ここに密教が興る。

8世紀
 中国の仏僧・善無畏 (ぜんむい) (637〜735)、金剛智 (671〜741) 、不空 (705〜774) によって中国に伝えら、真言宗 (しんごんしゅう) として確立。

8世紀
 ティベットの仏僧パドマサンババ (蓮華生) により、チベットに伝えられ、ラマ教へと発展。
 パドマサンババはラマ教のニンマ派の始祖とされ、775年サムイェー寺の建立に関与したと言われ、密教文献『バルド・トエ・ドル』 (チベットの死者の書) の作者にも擬せられる。

806
 804年入唐し、長安で青竜寺の恵果 (けいか) について密教を3年間学んだ日本の仏僧・空海 (774〜835) が帰国。

816
 空海は高野山に金剛峯寺 (こんごうぶじ) を開創。
 またこの頃密教を宗派として確立、「真言宗」を開く。
 彼は金剛峯寺と高野山・東寺 (教王護国寺) を密教の根本道場とし、各地を巡歴し、中国密教を日本に伝え広める。
 のち東大寺別当を兼ね、828年頃には京都に私立学校「綜芸 (しゅげい) 種智院」を創設。

 真言宗は、同じ頃日本に伝えられた天台宗系の密教(台密)に対し、「東密」と呼ばれた。
 「東密」は平安時代を通じて教勢は振るい、教理、儀式、仏教芸術上での各方面への影響は大きかった。

9世紀
 中国の密教は衰退。

12世紀前半
 パーラ朝滅亡、インドでの密教は急速に衰退。

1140
 「自性加持身説」を唱えて高野山・東寺側と対立した金剛峯寺座主 (ざす) の覚鑁 (かくばん) が、金剛峯寺の衆徒 (しゅと) に襲われ、根来 (ねごろ) 山に移って、「新義真言宗」を始める。

 「新義真言宗」のち、@真言宗豊山 (ぶざん) 派 (長谷寺) と、A真言宗智山派 (智積院) に分かれた。
 一方、従来の「古義真言宗」も、「高野山真言宗」「真言宗山階 (やましな) 派」「真言宗醍醐 (だいご) 派」「真言宗御室派」「真言宗泉涌寺派」など約30派に分かれる。

13世紀
 インドの密教、ほぼ滅ぶ。
 これ以降、純粋な形の密教は、日本でのみ残ることとなった。
前ページに戻るよ 歴史用語インデックスへ

©1999 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1999/11/20; 11/27

ご意見・ご希望きかせてね eden@uninet.net.id