イスラム教の開祖。
正しくは「ムハンマド」と発音。
アラブ人で、アブラハム (イブラーヒーム) 、モーセ (ムーサー) 、イエス (イーサー) に続く最後の預言者とされる。
歴史上の人物としてのマホメットは、宗教家であると同時に政治家であり、ある時は軍事指揮官でもあった。
- 570頃
- カーバ神殿のあるアラビア半島の町メッカのクライシュ族の名門ハーシム家に生まれる。
- 誕生時すでに父はなく、母も幼時に失う。
商人として育つ。
- 595頃
- 25歳頃、富裕な未亡人ハディージャと結婚。
- 時々山の中で瞑想に耽る習慣があった。
- 610
- 40歳の頃、メッカ近郊ヒラー山の洞窟で、天使ジブリール[ア] (ガブリエル) から初めて、「創造主の御名によりて唱えよ……」という神アッラーの啓示を受ける。
その説くところは---繁栄は空しい。最後の審判の日を恐れよ。その日全ての人は生前の行為によって裁かれん。
- マホメットはこれを説いて信徒集団を形成し始める。
最初はイスラム教は多神教で、アッラーはその中の卓越した存在でしかなかった (元来アッラーはメッカの至高神)。
マホメットは当初、カーバ神殿で人気の高かった3女神、マナート、アッラート、アル・ウッザーをアッラーとの一種の仲介
者として承認、偶像崇拝に妥協的態度を取ろうとさえした。
だが、ユダヤ教やキリスト教の影響で多神教に疑問を持つに至った「ハニーフ」というグループから刺激を受け、次第に一神教へ傾いて行く。ちなみにハニーフが崇拝した唯一神の名は「アッラー」だった。
イスラムは、まず名家や富豪の間に広がった。初期のイスラム教徒たちは、ハーシム家、ウマイヤ家、ラビーア家など名家の出だった。
当初は各部族が一族の者を守るアラブ伝統の部族主義が、一族内のイスラム教徒を守ったため、迫害はなかった。
しかし、マホメットが一神教を宣言、来世の様子などを述べて人間に尊卑はないと言い始めると、奴隷階層の入信が始まり、危険視され始める。
100人ほどの信徒集団が形成されたが、メッカの人口1万人に対し大勢力と扱われ、しかもカーバ神殿の偶像崇拝を否定し、大商人を批判したため、遂にメッカ上げての迫害が始まる (620年頃)。
信者の一部はエティエピアに亡命。
- 622年9月 ヒジュラ [ア] (ヘジラ [英] ) = イスラム暦元年
- 親友アブー・バクルはじめ70余名の信徒とその家族とともにヤスリブ (現メディナ) に計画的に移住。
なお622年7月16日がイスラム暦の紀元となっている。
- メディナで最初のイスラム教団国家を建設する。マホメットはここでは、宗教家であると同時に政治家であった。
最初、その地のユダヤ教の儀礼を取り入れるが、のちユダヤ教徒と対立。独立のイスラム儀礼を確立していく。
なお、メディナ時代には10人を超える妻がいた。
一方、対立を続けていたメッカと再三戦い (バドル、ウフド、ハンダクの三つの戦い) ……
- 630年1月
- メッカを無血で征服。カーバ神殿の数百とも言われる偶像を完膚なきまで粉砕し、一神教の神殿に。ゆるやかな支配を敷く。
周辺諸部族やキリスト教徒、ユダヤ教徒に勢力を広げてアラビア半島全土に影響力を及ぼす。
- 632
- 「決別の巡礼」と呼ばれる最後のハッジ (メッカ巡礼) を行ったがその直後発病し、メディナで死亡 (6月)。
- ハディージャとの間に3男4女をもうけたが、男子は全て早世、末娘ファーティマはアリーと結婚。
- マホメットに下された神の啓示の集成がコーランであり、彼の言行 (スンナ) およびその伝承 (ハディース) も重視される。
|