マイソール藩王国
Maisur[印] Mysore[英]
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 南インド、カルナータカ地方(=現マイソール州)の藩王国。18世紀後半に強大な王国を築いてイギリスに対抗した。
12世紀
 ユダヤ教を信じる好戦的なバララス族、マイソール地方を平定。

1310
 バララス王、北から侵入したイスラム王アラー・ウッディーン・ムハマッドの将軍マリク・カーフールに捕らえられる。

1327
 イスラム王トゥグルクが首都を完膚無きまで破壊。

 その後ヒンドゥー系諸王国ができた。
 やがてマイソールのウォーデヤルがセリンガパタムの要塞を占領、そこを首都に王朝を開く。

第4代チッカ・デヴァ・ラージャ
 34年の治世で南インド最強の国家に。

18世紀中頃
 ハイダル・アーリーが北方より進出。

1761〜84  ハイダル・アーリー
 ウォーデヤルの王朝を廃して自ら即位。
 彼は事実上マイソールを支配、さらに領土を広げようとする。

 しかし、マラータ同盟とハイダラーバードのニザームがハイダル・アーリーの進出を阻止。

 そこへイギリスが勢力を伸ばす。
 ハイダル・アーリーは、ハイダラーバードのニザームらと微妙な協力をし、縦横の活躍を見せつつイギリスによる南インド植民地化に抵抗。
 イギリスと衝突、「マイソール戦争」を引き起こす。

1767〜69  第1次マイソール戦争
 イギリスと講和後、カルナータカへ勢力を伸ばす。

1780〜84  第2次マイソール戦争

1782
 ハイダル・アーリー、第2次マイソール戦争の最中に病没。

1782〜99  第2代ティープー・スルターン
 父ハイダル・アーリー没後、イギリスに最後の抵抗を試み、軍隊の近代化、内政の改善、諸外国との同盟に務めた。
 カルナータカの攻略を進める。

1790〜92  第3次マイソール戦争

1799  第4次マイソール戦争
 首都セリンガパタムでの白兵戦でティープー・スルターンは戦死。
 南インドのイギリス植民地化は決定的に。
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©1998 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1998/08/31

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