西チャールキヤ朝
Chalukya  973〜12世紀後半
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 東インド中部に栄えた中世王朝。
 チャールキヤ朝の末裔を称し、要衝ヴェーンギーを占める旧東チャールキヤ王朝領をめぐってチョーラ朝と激しく争う。

 なおチャールキヤ朝には次の3系統がある。

  • (バーダーミの)チャールキヤ朝 (前期西チャールキヤ朝) ……〔時代〕 6世紀〜753 〔首都〕 ヴァーダーピ(現バーダーミ)
  • 東チャールキヤ朝……〔時代〕 8〜11世紀後半 〔首都〕 ヴェーンギー
  • 西チャールキヤ朝 (後期西チャールキヤ朝) ……〔時代〕 973〜12世紀後半 〔首都〕 カルヤーニ
 西チャールキヤ朝は、8世紀にラーシュトラクータ朝に滅ぼされたバーダーミの本家チャールキヤ朝の後継王朝を名乗った。 本家チャールキヤ朝を「(前期)西チャールキヤ朝」と呼ぶ場合は、この本王朝を「後期西チャールキヤ朝」と呼んで区別。
 7世紀後半に成立したヴェーンギーの分家、東チャールキヤ朝は10世紀末には事実上チョーラ朝に併合されており、その遺領を巡って西チャールキヤ朝はチョーラ朝と抗争を続けることになる。
973頃  プラーケシン1世
 チャールキヤ朝の子孫と称するタイラ2世、2世紀に亘ってデカンを支配したラーシュトラクータ朝を滅ぼし、建国。
 都は最初ラーシュトラクータ朝を引き継いでマーニヤケータにあったが、後にカルヤーニカルヤーニ(カルヤーナ)に移された。

 旧チャールキヤ王朝領を回復した後、タミール地方でパッラヴァ朝に代わって支配を確立したチョーラ朝と激しく争う。
 度重なるチョーラ朝との抗争では、西チャールキヤ朝はチョーラ朝に押され気味だった。

11世紀前半
 チョーラ朝のラージャラージャ1世(位985−1016)、ラージェーンドラ1世(位1012−1044)に圧倒され、不振。

1076〜1125  第8代 ヴィクラマーディティヤ6世
 チョーラ朝の内紛に乗じて勢力を盛り返し、その侵攻をしのいで、安定した治世を実現。
 平和で文化が発達。
 詩人ビルハナは王の事績をサンスクリット (梵語) で『ビクラマーンカデーバチャリタ (Vikramāʼnkadevacarita) 』に記す。

 その後、封臣たちが強大化し、国家権力は分裂して衰退。

12世紀末
 滅亡。
 遺領は北をヤーダヴァ朝、南と東をホイサラ朝カーカティーヤ朝の諸勢力によって分割される。

〔文化〕

 西チャールキヤ朝の美術は、バーダーミのチャールキヤ朝の作風 (パッラヴァ朝の影響) を継承したが、技巧優先で優雅さに欠ける。この傾向はホイサラ朝に伝えられた。
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更新日:1998/08/31; 2004/10/4

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