ラージプート族
Rajput  7世紀〜12世紀
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 ヴァルダーナ朝後の中世北インドに、約2世紀にわたり覇を唱えた中央アジア系混成部族。

5世紀中頃
 グルジャラ族ほか中央アジア系諸部族が、エフタルと共に北インドに侵入 → 北部グジャラート〜アワド〜ラージプターナ地方に定住、次第にインド化。

7世紀後半
 ヴァルダーナ朝崩壊後の北インド混乱の中で、土着諸部族と交わり、一大勢力として歴史に登場。

 戦士階級として教育され、農耕を卑しみ、馬上で槍を振るうことを誇りとした。
 祖先をクシャトリアと信じ、「ラージプート」(=ラージャプトラ[王子])と称した。自己の血族を最も優秀と思い、同族間の闘争にふけった。
 単一の種族ではなく、グルジャラ、パリハール、パワル、チャウハーン、ソーランキ(チャールキヤ)、パーラマーラなど、32部族を数える。

8世紀後半〜12世紀末  ラージプート時代
  ラージプート族は、ラージプターナ〜グジャラート地方からヒンドゥスタン全域へ広がり、政治・文化に広範な影響を与えた。
 ラージプート族の中では、プラティハーラ朝 (c.816-c.1027) 、次いでチャンデーラ朝 (9〜11世紀) パーラマーラ朝 (10〜12世紀) などが栄えた。
 これら諸国は、互いに覇を争い、あるいは南方リプリーのカラチュリ朝 (9中〜12世紀末) と争った。

c.816-c.1027
 プラティハーラ朝

9世紀初〜12世紀末
 チャフマーナ朝 (首都:サーンバル)

830
 グルジャラ族プラティハーラ (パリハール) がカナウジ奪う。
 ミヒラボージャ (ボージャ・パリハール) 、マヘンドラパーラの2王の時、西のシンド、東のパーラ朝を除いて北インド一帯を制覇。

10世紀半ば〜12世紀後半
 パーラマーラ朝 (首都:ダーラー)

10世紀末〜13世紀初
 ソーランキー (チャールキヤ) 朝 (首都:アナヒッラブラ)

11世紀前半
 チャンデーラ朝のボージャがダールを首都に君臨、学問保護、農耕施設整備などに治績。

c.1040〜1192
 ガーハダヴァーラ朝 (首都:ブンデルカンド)

<社会> <文化>
 インド固有の村落共同体を基礎とした封建制度が成立。
  • 「地主貴族 (grasya thakura) 」と呼ばれる族長、王族、騎士らが領主層を形成。
  • 「地主貴族」の他、世襲の大臣 (pradhana) も王権抑制。
  •  支配階級ラージプートの家庭には「ゴーラ」または「ダーサ」と呼ばれる奴隷が住み、従士として家長に従い出陣。
 ヒンドゥー教を信仰。
  • 中部インド、カジュラーホの神殿群チャンデーラ朝
  • オリッサのコナラク及びブバネスワルの神殿
  • その他

 文芸も奨励され、

は特に文学を好んだことで有名。
 また、プラークリット語は今日のヒンドゥ語への発達を開始。

1192
 ゴール朝のムハンマド・ゴーリー、北インドに侵入、アジメール (Ajmer) を奪い、チャフマーナ朝とガーハダヴァーラ朝 、パーラマーラ朝、カラチュリ朝などを滅ぼす。

1193
 ゴール朝のクトゥブ=ウッディーン=アイバク、ヴァラナシ (現ベナレス)とデリーを取る。
 ソーランキー朝はしばし余命を保つ。

 イスラム覇権確立後も、ラージプート族はメワールのシソーディヤ族を盟主として半独立を保つ。
 ムガール帝国も対策に腐心。

17世紀末〜18世紀
 ムガール帝国のアウランゼーブ帝に反乱。
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©1999 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1999/04/03

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