シーア派
Shi’a  7世紀末 形成
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 イスラム教の少数派で、「シーイー派」とも。多数派の「スンニー派」からは異端とされる。

 当初は第4代カリフの支持者、その死後は彼の子孫に正統なカリフの地位を要求する政治グループだったが、7世紀末に「イマーム」の観念とメシア思想の出現により、一つの宗派となった。
 成立直後から現在に至るまで、多くの分派が存在。

656
 第3代カリフ、ウスマーン(カリフ位644-656)が、若手不満分子に暗殺される。
 不満分子たちは第4代カリフにアリーを選ぶ。
 しかし、これは、ムスリム (イスラム教徒) 全体の一致でカリフを選ぶというそれまでの伝統に反していたため、ムスリム社会は、アリーを正統なカリフとして認めるかどうかで二分された。

  • アリー支持派 → 後のシーア派
  • アリー不支持 → 後のスンニー派

661
 アリーが暗殺され、ウマイヤ家のムアーウィヤがカリフとなって「ウマイヤ朝」を開く。 → 勢力を削がれたアリー支持派は「シーア派」を結成。

680  カルバラーの悲劇
 ムアーウィアは息子ヤジードをカリフの継承者に指名。
 シーア派はこれに反発、アリーの息子フサインをカリフに擁立するために招く。しかし途中、フサイン一家はカルバラーでウマイヤ朝軍に包囲され虐殺された。
 シーア派ではこれを殉教と見なして精神的よりどころとし、毎年ムハッラム月の最初の10日間にその死を悼む殉教祭 (アーシューラー) が行われる。
 この弾圧に対し徹底的な地下運動を開始したのが、シーア派の直接の始まり。

 シーア派は、マホメットの娘ファーティマと、いとこのアリーとの直系の子孫を「イマーム (教主) 」として奉じていたが……

765
 第6代イマーム、ジャーファル・アル・サーディク (c.699〜765) が亡くなり、その後継者についてシーア派の教徒の間に意見の相違が生じた。
  • 大部分はジャーファルの子ムーサーを支持 → 「十二イマーム派」……ムーサーの子孫が12代までイマームになったためこう呼ばれる。
  • 一部はムーサーの兄弟イスマーイールの子ムハンマドを支持 → 「イスマーイール派」または「七イマーム派」

9世紀
 「十二イマーム派」は、シーア派の第12代イマームは“隠れ”たとする理論を完成。

9世紀後半
 「イスマーイール派」がインド、中央アジア、北アフリカに拡大。
 さらに多くの分派を生む。

  • カルマット派……一種の共産主義に基づく秘密結社で、9世紀末にイラク南部で社会革命運動と結び付く。12世紀中にほぼ絶滅したが、東部アラビアのアフサーでは18世紀頃まで地方政権を維持。
  • ファーティマ朝
  • ドルーズ派……「ハーキム派」とも。イスマーイール派から分かれて11世紀にシリアで成立。ファーティマ朝カリフのハーキムを神格化する。その教儀は秘儀的で、周辺イスラム教徒からは異端視される。
  • ムスタアリー派
  • ニザール派……1090年から約150年間、イランのエルブールズ山中のアラムート (ムラヒダ) に本拠地を構え、あらゆる敵を暗殺するという方針でセルジューク朝の宰相,将軍らを殺した。暗殺の戦士に大麻ハシーシュを与えて勇気づけたので、アラビア語でハシーシーン (大麻を吸う人) と呼ばれ、ヨーロッパの十字軍士も彼らを「アッサッシン」、この派の首長を「山の長老」と呼んで恐れた。英語のassassin(暗殺者)はこれに由来する。
     1256年モンゴル軍に滅ぼされた。

901〜906
 イスマーイール派から分離した「カルマット派」の反乱。イラク南部に一時政権を樹立し、アッバース朝を脅かす。12世紀頃まで勢力保つ。

973
 アルジェリアに独立したイスマーイール派のファーティマ朝(909-1171)は、969年エジプトを征服、この年にはカイロに遷都し、シリアやアラビアに支配を広げた。

10世紀
 イラクのバスラに、イスマーイール派の教義と新プラトン主義的ギリシア哲学の総合を図った秘密結社「イフワーン・アッサファー」が存在。

11世紀
 シリアでイスマーイール派から「ドルーズ派」分離。

1090
 イランのアラムート山中にイスマーイール派から分離したニザール派の国家が誕生、「暗殺教団」として恐れられる。

12〜13世紀
 ヨーロッパの十字軍遠征が中東のイスラム諸国に打撃を与える。

12世紀末〜13世紀初頭
 アフガニスタンのゴール朝がインド侵入 → 北インドのイスラム化の進展と、デリー・スルタン朝の成立。

13世紀前半
 モンゴルによる中央アジア〜中近東のイスラム諸国征服。

1256
 「暗殺教団」 (ニザール派) 、モンゴル軍に滅ぼされる。

1502
 シーア派「十二イマーム派」がイランにサファヴィー朝を建国。以来イランでは十二イマーム派が支配。

 シーア派の教義にはギリシア哲学やキリスト教の影響が入り、正統派イスラムとはずいぶん違っている。



=COLUMN=  イスラムの国家原理 ---イスラム世界と西欧社会の相互理解のために

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更新日:1999/05/08

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