シーク教
Sikh  16世紀初〜現在
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 16世紀初め、インド北西パンジャーブ地方に興った宗教。
 ヒンドゥー教の一派だが、イスラム教の強い影響を受けている。

 なお「シーク (sikh)」とは「弟子」に由来する。

〔教義〕 絶対神崇拝を強調し、偶像・苦行・カースト制を否定。

〔開祖〕 ナーナク (1469〜1538)

〔聖典〕 『グラント・サーヒブ』

〔特徴〕 強固な教団組織。17世紀以降軍事的集団の色合いを帯びる。



16世紀初め
 開祖ナーナク (1469〜1538) が沐浴中に啓示を受け、布教を開始。
 ナーナクは、パンジャブ地方の中心都市ラホール近郊のクシャトリア階級出身で、布教活動は北インド一帯に及ぶ。
 その教えは、唯一永遠の神を強調、偶像崇拝を排し、カーストの差別を否定して人間の平等を説くもの。
 、イスラム教の強烈な影響を受けたヒンドゥー教の宗教改革という性格が強い。

 ナーナクを初代グル(師)として、以後10人のグルが出た。

第5代グル、アルジュン・シン (1563-1606)
 根本聖典『グラント・サーヒブ』を編集し、パンジャーブ地方のアムリットサル(アムリッツァル)に黄金寺院を建立。
 ムガール帝国の弾圧により死亡。

16世紀後半
 教団組織が次第に整備され、強固な結合を示すようになる。

 迫害と共に反イスラム色、反ムガール的傾向を強めていく。

第10代ゴービンド・シン (1666-1708)
 軍事的宗教団体カールサーを組織してムガール朝の支配に対抗。

19世紀初め
 ランジート・シング (1780-1839) は信徒を糾合して、ラホール中心に統一王国を築く。
 洋式軍隊に守られたシーク教国は侮りがたい勢力となった。

1839
 ランジート・シング死亡 → 内部対立表面化。  

1845〜49  イギリスとの2次にわたるシーク戦争
 シーク教国滅亡。

1947  インドとパキスタンの分離独立
 シーク教徒はインド帰属を選んだ。

1970年代末
 パンジャーブ語州の創設や自治権を求め始める。

1980年代〜1990年代初  パンジャーブ問題
 シーク教徒の過激派カールサーなどがシーク独立国〈カーリスターン〉設立を求める反中央政府闘争を展開、深刻な国家的問題に発展した。

1992
 パンジャーブ州議会選挙後、事態は沈静化に向かった。 
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©1998 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1998/08/31; 2003/10/11

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