タイ族
Thai
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 インドシナ半島、中国南西部、アッサムに分布してタイ諸語を話す民族。
 13世紀以後、東南アジア大陸部に大規模に侵入して文明化し、東南アジアの歴史に大きな影響を与えた。

〔系統〕 シナ=チベット語族タイ=カダイ語族/チュワン・タイ語群に属す

〔使用言語〕 タイ諸語

〔分布地〕 インドシナ半島、中国南西部、アッサム

〔生業〕 水稲中心の農耕民

〔属する宗教〕 多くはピーと呼ばれる精霊を崇拝し、また上座部仏教が根づいている。

 言語系統から、

  • 北方タイ諸族……中国南部のプイ族、チュワン族など
  • 中央タイ諸族……ベトナム北部のヌン族、タイー族、黒タイ族、白タイ族など
  • 南西タイ諸族……雲南南部、東南アジア大陸部、インドのアッサム州にかけて分布。
    • (中部)タイ(シャム)族……現タイ王国の主要民族。
    • ラオ族……ラオスに居住。ルアン・プラバン王国を建てる。
    • シャン族……タイ王国のタイ人と同系で、ミャンマーではビルマ人に次ぐ勢力。
    • アホーム族……アッサムに住む。シャン族系のマオ帝国のアッサム遠征の際の移住者の子孫。現在はヒンドゥー文化の強い影響下にある。
    • ルー族……雲南に住む。
 これらの中核をなす「南西タイ」系諸族はメコン、サルウィン、イラワディなどの水系に沿って広く分布し、先住のモン・クメール民族の文化を吸収して13世紀以後スコータイ朝アユタヤ朝などを形成した。
 両王朝の系譜を引くという中部タイ人はシャム族とも呼ばれ,現タイ国家の中心をなす。


タイ人の歴史

9000〜5000 BC  前(プレ)アウストロネシア語族の発生
 大陸東南アジアに「ホアビン文化」展開。
 洞窟遺跡、礫の打撃による短斧やスマトラリス(スマトラ型石器)、屈葬などが特徴。中石器文化と言われるが、すでに芋類などの栽培化が開始されていた可能性あり。
 後期はバクソン文化と呼ばれ区別されることも多い。
 この文化を背景に、大陸東南アジアでプレ・アウストロネシア語族が生まれた(言語学者ベルウッド)。
 プレ・アウストロネシア語族は、シャトラーとマークによれば、タイ=カダイ語族と未文化で、考古学的にはホアビン文化と縄蓆文文化を残したという。
 彼らはヤム(山芋の一種)、タロ(里芋の仲間)、パンノキ、バナナ等の根菜(いずれも東南アジア原産)を主食とする文化を持っていた。

7000〜6000 BC  原(プロト)タイ=カダイ語族の分化
 前アウストロネシア語族の一部は、中国の初期稲作農耕文化の強い影響を受けてタイ=カダイ語族に分化。

5000 BC
 長江中流域で始まった稲作農耕は長江下流に広まる。
 タイ=カダイ語族は稲作を受容して大発展し、漢字を発明したり、黄河流域に進出すると共に、印文を刻んだ土器を発達させる(印文土器自体は中原に起源)。
 タイ=カダイ語族の一部は現住地の広西地方から離れ、雲南地方に移住。ここでジャポニカ種のブル稲作を行って大発展し、「チュワン・タイ語群」の先祖となった。後のいわゆる「タイ人」はここから登場する。

1200 BC以降
 華南に「印文陶文化」が展開。
 これは春秋の強国「越」のものと言われるが、その越の民はタイ=カダイ系民族であった可能性が強い。

後漢代
 雲南省永昌にあった「哀牢」国はタイ族の国とされる。

漢〜唐代
 雲南地方に次のようなタイ族が分布していた。
  • 雲南西部(大理の西ジ河周辺)……「西ジ河蛮」と呼ばれた「白蛮」(=タイ族またはペー(白)族[ロロ族と漢人との混成]が、「白国(白子国)」を建てていた。
  • 雲南東部……「爨(さん)」を姓とする一大部族「爨蛮」が大勢力を築く。ただ実際には「爨蛮」には「白蛮」出身者とロロ族が混在していたらしい。

739〜902
 雲南地方にチベット・ビルマ系ロロ(イ〔彝〕)諸の「南詔」国が成立、タイ族を圧迫したので、タイ族の南下が始まる。

9世紀以降
 タイ族がインドシナ半島に登場。

857  タイ族出身のプローム侯、ミュアン・ファンを建国
同じ頃  ミュアン・サオにもタイ族の王国が建てられる


 これらタイ族の諸王国は、11世紀中頃、ビルマのパガン朝のアノーヤター王に征服される。

937〜1253
 「白蛮」(タイ系)出身の段思平が雲南を統一、「大理国」を建てる。

1096
 プローム侯の末孫クーン・チョム・タンマがパーヤオ市を建設、ここを首都にインドシナ半島のタイ族は初めて独立を獲得。

1253
 元の世祖フビライ・ハーン、雲南の「大理国」を攻め滅ぼす。
 そのため大理国の支配下にあった南西タイ語派の諸部族は大挙して南下を始めた。
 彼らはカンボジアのアンコール朝クメール帝国やビルマのパガン朝を破り、現在のタイ北部に進出した。
 そこは山岳地帯だが、点在する盆地では稲作が可能だった。南西タイ語派諸部族はそうした盆地ごとに多くのミニ国家を築いた。
  • ランナータイ王国 (1296〜1556)……主都チエンマイはチャオプラヤー川上流の支流ピン川に臨む盆地に位置。ビルマのタウングー朝バインナウン王の侵入で破壊され、18世紀以降タイの支配下に入る。
  • ランサン王国 (1353〜)……ラオ人最初の統一国家。15世紀にはルアン・プラバンとヴィエンティアンに分かれて対立、18世紀に入って3王国に分裂、内部抗争を繰り返し、ベトナムやタイなどによる介入を招いた。
 中でも有力だったのはスコータイ朝である。

c.1220〜1438  スコータイ朝
 タイ族最古の王朝。
 カンボジアを破ってチャオプラヤー(メナム)川支流ヨム川流域のスコータイを奪い、クメール文化を吸収。中国史料の言う「暹(せん)」。
 スコータイ朝は東隣のクメール人のアンコール帝国に攻撃を加えながら、クメール文化をどんどん吸収した。例えば1283年に考案されたタイ文字はクメール文字に改良を加えたものだ。
 第3代ラーマカムヘン(位1279?―1316?)の治世が最盛期。南ビルマ、マレー半島、カンボジアにまで進出する一方、元朝その他諸国と接触、その諸文化を受け入れ、仏教を広め、タイ文字を創案した。
 また、13〜14世紀の仏教美術は「スコータイ美術」として有名。青銅仏が中心で、半跏(はんか)像が多く、細長い顔や目、口等が特徴。
 ラーマカムヘン王の没後は振るわず,南方に興ったアユタヤ朝に1438年臣従した。

13世紀後半〜15世紀
 東南アジア大陸部の主人公はタイ族だった。この時代に彼らの勢力は急拡大し、その後の発展の基礎が築かれる。
 スコータイ朝は1295年以降頻繁にカンボジアのクメール人のアンコール帝国に攻撃を加えている。
 特に14世紀になるとタイ族の進出は怒涛のような勢いで進められる。14世紀半ばに興ったアユタヤ王朝は、1352年、カンボジアの首都を占領し、クメール人を臣属させた。
 タイ族はその後もカンボジアを奪っていく。しかし文化的にはタイ族はクメール人から大きな影響を受けた。

1350〜1767  アユタヤ朝
 タイ族の最も強力な王朝。
 スコータイ朝末期の1350年、ウートーン侯がタイ南部のアユタヤ(Ayutthaya)に王朝を開き、ラーマティボディ1世となった。
 15世紀前半ボロマラーチャー2世のときクメール族のアンコール朝を滅ぼし、北方のスコータイ朝を併合するなど、歴代領土を拡張、チエンマイ、マラッカにも遠征した。
 16世紀にはビルマとの抗争が激化、遂に1569年タウングー朝バインナウン王に臣従。間もなくナレスエン王子が独立。
 17世紀にヨーロッパと国交を開き、ポルトガル人ファウルコンらが活躍。日本の朱印船もアユタヤに来航し、山田長政らも訪れて日本人町(南洋日本人町)が形成された。次いで英蘭の商人や、フランスのルイ14世の使節や宣教師などが到来。ヨーロッパにエキゾティックな「シャム」のイメージを与える。
 18世紀にかけて中国人移住が活発化したが、ヨーロッパ人との争いは絶えず、王位継承の内紛も止まない。
 そこへ、ビルマに成立したアラウンパヤー朝が襲来、アユタヤ朝は1767年に滅亡。

1767〜1782  トンブリー朝
 首都アユタヤ陥落直前に逃れた勇将プラヤ・タクシンは、バンコク市対岸のトンブリーを首都に独立政権を建てる。

1782〜  ラタナコーシン朝 (現王朝)
 プラヤ・タクシンの部将チャオ・プラヤ・チャクリがバンコクを首都として後継王朝を開く(ラタナコーシン朝、またはチャクリ朝、またはバンコク朝)。
 ラーマ5世チュラロンコン(位1868-1910)は、ヨーロッパ列強がアジアに勢力を伸ばすなか,タイ(当時シャム)国家の近代化達成のためのさまざまな改革(チャクリ改革)を実行し独立を貫く。
 19世紀末から英仏に東西から侵略され、国土の一部を失ったが、1904年の英仏協定でタイは緩衝地帯として中立国化され、独立を維持できることとなった。
 1932年の立憲革命で絶対王政は終りを告げ、立憲王国へ移行。
 しかし、こののち軍部は何度もクーデタを起こして独裁政治を行っており、民政の時代においても大きな影響力を保持している。
 1946年に即位したプーミポン国王は在位期間では現在世界最長。外交は反共を基調としながらもASEAN諸国との連帯強化,中国および日本との友好促進に努めている。
 1980年代後半に高度経済成長をとげ、外貨の流入もあって輸出志向型の製造業が発達。
 1990年代にはミャンマー、インドシナ3国に広がる「バーツ経済圏」が形成され、外国からの投資は過熱した。
 1997年7月以降タイの通貨バーツは暴落し、経済危機に陥った。1999年に回復に向かえるかどうかが注目されている。
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©1999 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1999/01/20

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