ウマイヤ朝
Umawiya [アラブ] / Umayya [英]  661〜750
〔別ウィンドウ表示〕
 アラブ族が建設した初期イスラム王朝。「オンマヤ朝」「オンマイヤ朝」とも。14代存続。
 イスラム帝国の正統カリフ時代に続く第2次カリフ制 (世襲制) の王朝であり、アラブ至上主義による武断政治を敷いたため、反乱が絶えなかった。
 シリア系の人々が重要な役を担った。


〔時代〕 661〜750。8世紀初めが黄金時代
〔地域〕 スペイン〜中央アジア
〔首都〕 ダマスクス
〔特色〕 1. イスラム世界の西欧・中央アジアまでの拡大。2. アラブ族中心の支配。
〔名君〕 ムアーウィヤ
〔経済〕 
〔文化〕 

661
 メッカの商業貴族クライシュ族の中でも最も勢力のあるウマイヤ家出身のムアーウィヤが、第4代カリフのアリーから権力を奪取して創始。

 カリフ位は世襲化され、マホメット以来の伝統も多く打ち切られ、初期イスラムの精神は失われる。
 ウマイヤ朝はアラブ民族発展の頂点だったが、ビザンツ帝国の制度やヘレニズムが多分に取り入れられ、統治形態も古代東方流の帝王専制主義と化した。
 そのため異教徒の抵抗は激しく、アラブ人以外のムスリム (イスラム教徒) からの不満も募った。

661−680  初代カリフ ムアーウィア
 都をダマスクスに置き、専制君主として統治。
 またイスラム海軍を創設、ビザンツ帝国を攻撃。東方ではカーブル、ブハラ、サマルカンドを占領。

670
 北アフリカのベルベル諸族の抵抗を押さえるため、カイルワーン (現ケルワン) 市建設。

673
 ビザンツ帝国を攻撃。

674〜678
 ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを連年攻撃。

676
 ブハラ攻撃。

678
 コンスタンティノープル包囲のアラブ軍は、ビザンツが開発した火焔兵器「ギリシア火」で撃退される。

680−683  第2代 ヤジード1世

680年10月10日
 アリーの息子でシーア派第3代イマーム、フサインをカルバラー (ケルベラ) の戦いで破り、シーア派多数を虐殺 (シーア派では殉教と見なし、毎年ムハッラム月の最初の10日間に殉教祭 (アーシューラー) を行う)。

685−705  第5代 アブドゥル・マリク
 シーア派の反乱を鎮圧。
 また、アラビア語を公用語とする (この時すでに多くのシリア人がアラビア語を学んでいた)。
 さらに、それまでササン朝やビザンツ帝国の貨幣を真似ていたのを廃し、純アラブ製の金貨・銀貨を鋳造。

698  カルタゴを占領。

705−715  アル・ワリード1世
 スペイン〜北アフリカ〜中央アジア〜インダス川流域に至る最大版図を実現。
 ホラーサーン総督クタイバ・ビン・ムスリム (任705〜715) はトハリスタン、ブハラ、サマルカンド、ホラズムを征服し、フェルガナの一部も攻略する。
 またムハンマド・ビン・アル・カーシムも東方攻略で活躍。
 イラク総督ハッジャージュ・ビン・ユーフス (661〜714) の部下はアフガニスタン、トランスオクシアナ、インダス川流域を平定。

707
 モロッコ制圧完了。

711
 タンジール知事ターリク・ビン・ジヤードはジブラルタル海峡 (ジブル・アル・ターリク=ターリクの岩) を渡り、イベリア半島に侵入、西ゴート王国を滅ぼす。

711〜718
 ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを連年攻撃。

712
 将軍ムーサー・ビン・ヌサイルによるスペイン征服。
 同年、クタイバ・ビン・ムスリムによるサマルカンド占領 (中央アジア制覇のクライマックス)。

713
 北西インドのシンド地方に侵入。マイトラカ朝を攻撃して弱化させる。

715−717  スライマーン

715
 クタイバ・ビン・ムスリム、スライマーンに反旗を翻し、部下の南アラブ人に殺される。

717〜718
 コンスタンティノープルを包囲攻撃。

718
 オマル2世、コンスタンティノープル占領をあきらめ、ビザンツのレオン3世と休戦条約を結ぶ。

732  トゥール・ポワティエ間の戦い
 イベリア半島からさらにヨーロッパの奥深く侵入しようとしたが、フランク王国の宮宰カール・マルテルに阻まれる。

732
 この年、イスラム帝国は最大版図に達する。
 領土の膨張は止まり、これ以降イスラム帝国は守勢に回る。

740
 アクロイノンでビザンツ帝国に敗北、小アジア西部を放棄。

 膨張し切ったイスラム帝国は、分裂の兆しを見せ、イラン人やベルベル人の民族的自覚 (シュウービーヤ思想) も強まる。

 イラン系のアブー・ムスリムがホラーサーンで反乱を開始 → たちまち多数の内応者が集まり、騒乱状態に。

750
 マルワーン2世はサブ河畔でアッバース家のアブル・アッバースに敗れ、ウマイヤ朝は滅亡。
 ウマイヤ朝のアブドゥル・ラフマーンは危うく虐殺を免れてイベリア半島へ渡り、756年に後ウマイヤ朝 (756〜1031) を開く。
前ページに戻るよ 歴史用語インデックスへ

©1999 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1999/05/08

ご意見・ご希望きかせてね eden@uninet.net.id