| 依頼内容 |
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ベルリオーズの大作、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」Op.17は、超絶技巧のヴァイオリン奏者パガニーニに捧げられています。 というのも、ベルリオーズが経済的に困っていた時、パガニーニが救ってくれたからです。
ベルリオーズが窮地に陥ったのは、最初の歌劇「ベンヴェヌート・チェリーニ」が悲惨な失敗に終わった1838年のことでした。
ベルリオーズは落胆のあまり寝込んでしまいます。 財布も底をつき、あとは破滅を待つだけでした。
友人たちは彼を励まそうと11月に演奏会を企画しましたが、ベルリオーズは体調が戻らず、演奏会に姿を見せませんでした。
忍耐強い周囲の人々は、12月16日にもう一度だけコンサートを企画します。それはベルリオーズにとって本当に最後のチャンスでした。
この日、彼は会場に現れ、「幻想交響曲」そのほかを指揮しまして成功を収めます。
その時、会場に一人の有名ヴァイオリニストの姿がありました。 パガニーニです。 彼は感動で涙を流していました。
翌日、ベルリオーズは一通の手紙を受け取ります。
親愛なる友人へ!ベートーヴェンは死にました。その後継者は、ベルリオーズその人をおいてほかにありません。あなたの素晴らしい作品を実際にこの耳で聴いた私は、お祝いに2万フランをあなたに寄贈することを義務と心得ました。どうぞ是非お納め下さい。同封の小切手をお見せになれば、ローシルト(ロスチャイルド)男爵がお支払いすることになっております。
差出人は、「ニコロ・パガニーニ」。
2万フランといえば1000万円くらいの大金です。
感激したベルリオーズは、長年構想を温めていた劇的交響曲「ロメオとジュリエット」を1839年に一気呵成に書き上げ、11月24日に初演して成功を収めるのです。
実に感動的な話ですが、どうも奇妙な感じがぬぐえません。 というのも、パガニーニは比類のないケチとして知られていたからです。
1831年にパリにやってきたパガニーニは14回の演奏会を開いて12万フランも稼ぎましたが、その間、慈善事業に一文も寄付しようとせず、慈善演奏会への出演も全て断りました。
1832年春、イギリスで80万フラン儲けてパリに戻ってきたパガニーニは、市内にコレラが流行し、貴族たちが郊外に避難しているのを見て、自分もきびすを返してイギリスに戻ってしまいました。
落ちぶれて借金漬けになっていた大女優ハリエッタ・スミスソンの救済コンサートにリスト、ショパン、ベルリオーズなど、パリの有名な音楽家がこぞって参加した時も、パガニーニだけは拒否しました。 フランスのマスコミは、そのような彼を激しく非難しました。
こんなけちんぼな男が、ただ感激したからといってベルリオーズにぽんと2万フランも渡してくれるものでしょうか? 彼がベルリオーズを支援したのは、何か理由があったからではないのでしょうか? そもそも、本当にパガニーニは大金を払ったのでしょうか?
| 調査レポート |
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ご報告申し上げます。
まず、パガニーニが本当に2万フランを払ったのかどうか、彼の金銭出納帳を調べてみました。 すると、意外なことが判明いたしました。
この赤い本には、日常の取るに足らない支出まで漏れなく書き記してあるのに、2万フランの支出に関しては何も書かれていませんでした。
では、パガニーニはお金を払わなかったのでありましょうか? しかし一方で、ベルリオーズが2万フランの大金を受け取ったのは事実であります。 ロスチャイルド銀行にはパガニーニからの支払依頼の手紙が存在します。 その手紙にははっきりこう書いてあります。
この手紙の持参人エクトル・ベルリオーズ氏に、昨日わたしがお宅に預けた2万フランをお渡し下さるようお願い申し上げます。
どう考えればよろしいのでありましょうか?
鍵は、支払依頼の手紙にあります。
ベルリオーズに支払われたのは、パガニーニの個人口座から下ろされたものではなく、前日ロスチャイルド銀行に振り込まれたお金なのであります。
ということは、パガニーニ以外の誰かが、パガニーニを装って2万フランを預け入れた可能性があるのであります。
では、誰が?
この事件の7年後、ある婦人が、ベルリオーズに金を払ったのは自分の夫である、と告白しました。
彼女の旦那の名はアルマンド・ベルタン。 ベルリオーズのパトロンにしてその出版商でもあった人物であります。
この一件は、ショービジネスの何たるかを知り尽くしたベルタン氏によって巧妙に演出されたイベントだったのであります。
つまり、ベルタン氏は、ベルリオーズを売り込むため、2万フランをパガニーニに渡し、彼からベルリオーズに与えてもらった。 その結果……
以上、ご報告申し上げます。