| 依頼内容 |
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マーラーの晩年の作品---大地の歌、交響曲第9番ニ長調、交響曲第10番(未完)---は、この世への告別を歌い上げた傑作です。
チャイコフスキーの「悲愴」交響曲のように「うああ、悲しい悲しい」と大げさに慟哭せず、むしろ涙を隠し、無理に微笑みすら浮かべながら、それでもこの世のもの全てに対する限りない愛着を注ぎ、胸の張り裂ける思いを抱きつつ、ゆっくりと歩み去ってゆく……それだけに、私はこれらの作品から余計に深い感動を受けるのです。
マーラーがこれらの作品を書いたのは、自分の死に対する予感からだと言われています。
確かに、彼は死に対して迷信的な恐れを抱いていました。
ベートーヴェンもシューベルトもブルックナーも交響曲を9曲書いて死んだことから、「9」という数字を病的に嫌い、交響曲第8番「一千人の交響曲」の次の交響曲に「第9番」の番号を付けることが出来ず、「大地の歌」と名付けたことは、よく知られています。。
しかし、その次に書いた交響曲は純粋な器楽曲だったため「交響曲第9番」と名付けざるを得ませんでした。 そして、それは実際に彼の完成した最後の交響曲になってしまったのでした。
しかし、マーラーが自分の死を予感してこの世への告別を書いたというのは、話としては面白いのですが、予言者でも霊能者でもなかった彼が実際にそんなことを出来たとは思えません。 本当のところ、この諦観に支配された音楽は一体どういう心境から生み出されたものなのでしょうか?
| 調査レポート |
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ご報告申し上げます。
まず結論を申しますと、マーラーが苦悩とあきらめに満ちた音楽を書いたのは、死の予感からでも、この世への愛惜からでもなく、実は、何と、妻の不倫に苦しめられていたからなのであります。
そもそもマーラーと妻アルマとの亀裂は、結婚前の1901年にさかのぼります。
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私の音楽をきみ自身の音楽と考えることは不可能でしょうか。〔中略〕二人の作曲家の結婚というものを、どう考えますか?
要するに、マーラーはこの手紙で、アルマに作曲を禁じたのであります。 ショックを受けたアルマは一晩泣き明かし、母に相談しに行きました。 ところが母は、娘をなだめるどころか、婚約解消を勧めたのであります。 これには逆にアルマがびっくりしたらしく、結局アルマは作曲家マーラーに内助の功を尽くすことで、自分の作曲への憧れを絶つ決心をしたのでありました。
しかし仕事中心のマーラーとの生活は、社交界出身のアルマに過重な負担を強いたようであります。 長女マリア・アンナの急死(1907年7月)や、ウィーンからの離別(同年末)は、夫婦の隙間をさらに広げたのでありましょう。
娘の死と自分の心臓障害の判明から受けた衝撃を癒すため、マーラーは翌1908年に「大地の歌」を書き始めます。 それ以降、マーラーの晩年の創作は次のように行われますが、そこには夫婦の危機がくっきりと刻印されているのであります。
私はあなたの奥様を存じ上げております。 奥様はお父上を敬愛しておられた。 ですから、父親と同じタイプの人だけを求め、愛することができるのです。 あなたはご自分の年齢を恐れていらっしゃいますが、奥様にとっては、まさにそれがあなたの魅力なのです。〔中略〕ところであなたはお母様を愛しておられて、あらゆる女性の中に同じタイプを求めてきました。 お母様は悲しくつらい生涯を送られました。 それを、あなたは無意識のうちに奥様に望んでおられるのです。
これを聞いたマーラーは、今まで妻に必要以上に厳しく接していた自分を反省して、禁じていた妻の作曲を認めたり、彼女の作品を誉めそやしたり、初演予定の交響曲第8番を献呈したりと、あわてて今までの態度を改めます。
アルマもこれに応え、トープラッハにやってきたグロピウスをマーラーの面前で追い返して見せますが、彼女のグロピウスへの情熱は消えることなく、マーラーが第8交響曲の練習で留守にしている間に、ミュンヘンでグロピウスと密会し、さらに数週間後の10月、夫婦でニューヨークへ出発する時も、一人でミュンヘンへ行き、そこでグロピウスとおちあってパリまで一緒に寝台車で行き、パリでも二人で数日過ごしたあと、ようやくシェルブール港へ赴き、単身やってきたマーラーと何喰わぬ顔で一緒になったのであります。
妻が不倫を続けていることを、マーラーが感づかなかったはずはありません。 しかし、50歳のマーラーは、30歳を少し過ぎたばかりのアルマを性的にも満足させてやることは出来ず、彼は妻と若い恋人との仲を黙認せざるを得なかったのであります。
この苦しみは、夏に作曲された彼の交響曲第10番(未完成)の自筆譜への書き込みに、如実に表されております。
例えば、「プルガトリオ(煉獄)」と題された第3楽章には、
「おお、神よ! おお、神よ、なぜあなたは私を見捨てられるのですか?」
と書かれております。
この楽章のアイロニカルな音楽は、音楽学者ド・ラ・グランジュによればマーラー自身の歌曲集「子供の魔法の角笛」の中の「この世の生活」(1893)の引用であり、子供が「母さん、母さん、お腹が空いたよ」と泣きながら餓死するというこの歌を使ったということは、この当時マーラーが一種の退行現象を起こし、妻を母と同一視し始めた証拠なのだそうであります。 事実、この頃からマーラーは妻アルマを「マリー」とか「マリア」とか呼び始めますが、「マリア」とはマーラーの母の名前なのであります。
フィナーレの第5楽章への書き込みに至っては、もはや言葉にならない絶叫で、
「ああ! ああ! ああ! さようなら、さようなら、ああ、ああ、ああ!」とか、
「君のために生きる! 君のために死ぬ! アルムシ!(アルマの愛称)」
などと書き連ねられております。
なお、この交響曲のタイトル・ページの下部は切り取られて紛失しておりますが、ここにも何か書き込みがあり、それがアルマにとって都合の悪いことだったため彼女によって切り取られた可能性がある、と考えられております。
マーラーは翌1911年、衰弱の果てに死亡します。 彼は最後まで美貌の妻アルマを、そして薄幸の母を追い求めたのでありました。 しかしアルマの心はマーラーに戻らず、1915年にグロピウスと再婚するのであります。 もっとも、それ以前の1912年にアルマは表現主義画家オスカー・ココシュカと激しい愛欲の生活に入っており、グロピウスとの結婚は間もなく破綻するのでありますが……まことにアルマは恋多き女性でありました。
マーラー晩年の傑作群が、マザコンの寝取られ男の苦悩の結果だったというのは、何とも俗っぽい結末ではありますが、その俗っぽい苦しみを、あのような俗世を超越した表現に昇華し得たマーラーという人物は、確かに稀有の芸術家であったことには間違いないのであります。
以上、ご報告申し上げます。
《主な参考文献》