依頼内容

 シベリウスはフィンランドの生んだ偉大な作曲家ですが、その晩年は極めて不可解な創作の空白期なのです。 

 シベリウスが最後の交響曲第7番を完成したのは1924年、彼が58歳の時でした。 シベリウスの交響曲は一作ごとに密度を高めており、この第7交響曲も大変凝縮した内容の傑作です。 当然、続く第8交響曲に期待が持たれました。

 ところが、第8交響曲はいつまで経っても完成しませんでした。 不思議なことに、シベリウスの創作活動は交響曲第7番や交響詩「タピオラ」、劇音楽「テンペスト」が書かれた1924〜1926年頃をピークとして急速に低下し、数年後には何も生み出さなくなってしまいます。

1924年  交響曲第7番ハ長調Op.105 ほか ピアノ小品集1作品
1925年  劇音楽「テンペスト」Op.109 ほか ピアノ、ヴァイオリン、合唱曲など6作品
1926年  交響詩「タピオラ」Op.112 ほか 合唱曲1作品
1927年  フリーメーソンの音楽Op.113 ほか 合唱曲1作品
1928年  作品なし
1929年  3つのヴァイオリン小品Op.116(作品番号の付いた最後の作品)* ほか ヴァイオリン、ピアノ、合唱曲5作品
* 1980年代に発見され、1991年にシベリウス協会によって公認された「ヴァイオリンと弦楽合奏のための組曲」にはOp.117が与えられていますが、これもこの頃の作曲と考えられています。

 こうして、1929年を最後に、実質上シベリウスの創作は停止してしまいます。
 彼はその後1957年に死ぬまで92歳まで長生きしたから、残る28年間は、何も作曲しなかったのです。 一体これはどういうことでしょう? なぜ、シベリウスはふっつりと作曲の筆を折ってしまったのでしょうか?



調査レポート

 ご報告申し上げます。


 実を言いますと、シベリウスの創作力の急速な減退は、今でも謎のままなのであります。

 経済的事情からではありません。 シベリウスは生前から圧倒的名声に包まれ、フィンランド政府から終身年金をもらう身分でありました。 1925年にはシベリウスの生誕60周年が大々的に祝われ、フィンランド大統領からは白ばら十字勲章が贈られ、国民からの寄付27万マルッカを受け、終身年金も10万マルッカに増額されているのであります。

 そのような恵まれた生活環境にいながら、なぜ突然作品を生み出さなくなったのか、謎は深まるばかりであります。

 とは言え、謎を解く手掛かりとなりそうなものがなくはありません。 それを検証してみたいと思うのであります。

 沈黙の期間中、シベリウスは何も音符を書かなかったわけではありません。 旧作の編曲などは細々とやっておりました。 それに、さまざまな証言によりますと、彼は決して怠けていたわけではなく、毎日規則正しく机に向かっておりました。

 では机に向かって何をしていたのか。 
 幻の第8交響曲を作曲していた、というのが大方の推測であります。
 
 シベリウスは1920年代後半を第8交響曲の作曲に費やしたと思われる節があります。

 1932-33年のシーズンに、セルゲイ・クーセヴィツキー指揮するボストン交響楽団は世界で初めてシベリウスの交響曲の全曲演奏を行いましたが、そこでは「第8交響曲」の初演も行われると予告されておりました。 
 同じ1932年、イギリスに設立されたシベリウス録音協会は会員にシベリウスの全作品のレコードを届ける企画を開始しましたが、そこでもやはり「第8交響曲」が予定に入っていたのであります。

 結局、この時は第8交響曲は間に合いませんでした。 しかし新作交響曲は1940年頃にいったん完成したという説があります。

 1945年、イギリスの指揮者ベイジル・カメロンはシベリウスから次のような手紙を受け取りました。

 私の「第8交響曲」は何回も完成しているのですが、まだ満足の行く出来ではありません。 時が来れば喜んでお渡し致しましょう。

 シベリウスはトマス・ビーチャムにも同様の約束をしているのであります。
 しかし今回もまた交響曲のスコアは指揮者たちの手元に届けられることはありませんでした。

 カメロンはのちに、交響曲のスコアがシベリウスの家に置いてあるのを見たと主張しました。 しかし1957年シベリウスが死んだ時、「交響曲第8番」の楽譜は残されていませんでした。
  あるアメリカの音楽家は、「シベリウスの娘の一人から聞いた話だが、シベリウスは確かに第8交響曲を完成していた。 しかし彼女は遺言に従って譜面を燃してしまったのだ」と語っています。 シベリウスの娘婿の指揮者ユッシ・ヤラスも「シベリウスは交響曲を書いたが、自己批判が強くて破棄を繰り返したので完成しなかった」と証言しています。
 実際、未亡人アイノによれば、シベリウスは「1940年代に数多くの自筆譜を燃やした」のであり、1945年8月には秘書のサンテリ・レヴァスに「第8交響曲の書き上げた部分を全部燃やしてしまったよ」と語っているのです。

 晩年の大半の時間を費やしながら、シベリウスが結局第8交響曲を破棄してしまったのはなぜでありましょうか?

 シベリウスは昔から作品に対する自己批判が強く、晩年になるにつれてそれが高じたのは確かであります。 彼が最後の管弦楽曲の一つ、交響詩「タピオラ」の手稿譜をブライトコップフ・ウント・ヘルテル社に送った際も、さらに手を加えたいから返してくれと後から出版社に頼んでいるのであります。

 しかし、老シベリウスの自己批判を極端なまでに強め、ついには第8交響曲を発表する勇気を萎えさせ、破棄させてしまったのは、新作交響曲に対する世間の過度の期待だったのではありますまいか。 この説は伝記作家ハロルド・E・ジョンソンほかが採用しております。

 「交響曲第8番はいつ出来ますか?」---絶え間なく発せられる無神経なこの問いが、内気で孤独な芸術家にどれほどの重圧となっていたことでありましょう。 それがかえってこの大音楽家を行き詰まらせたとすれば、何とも皮肉な結果というほかはないのであります。
 以上、ご報告申し上げます。お疲れさま……


《主な参考文献》詳しく知りたい人は読んでみよう!

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©1997 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1997/9/27

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