パレストリーナ
Giovanni Pierluigi da Palestrina 1525頃〜1594

 16世紀後半にローマで活躍した最も有名な教会音楽作曲家。
 その通模倣様式を中心とする精緻なポリフォニー技法は「パレストリーナ」様式と呼ばれ、ルネサンス音楽の一つの極致を示す。

 ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ (c.1525〜1594) は1550年頃からローマで活動し、驚くほどの大量のミサ曲を作った。またマドリガーレの大家でもあった。
 耳当りが良く、調和を求める彼の音楽は人工的な精密さで仕上げられており、ヴェネツィアやフェラーラの劇的・革新的な音楽とは対照的だ。
 「反宗教改革」の拠点ローマにふさわしい音楽と言えよう。

 その音楽語法は通模倣様式が中心であり、同時代の他の作曲家のような劇的表現や半音階書法は極力避けられている。ラッススなどと較べても、ポリフォニックな要素が強い。
 しかし一方ではパレストリーナの模倣は厳格ではなく、全体の和声効果を良くするために旋律を変えたりしている。そのためハーモニー上は主和音、属和音、下属和音といった近代の和声感覚 (機能和声) に近い。
 このように、見かけは古風でも、パレストリーナの音楽には近世・近代の刻印が押されている。

 彼は1572〜1580年に二人の息子と最愛の妻を次々と失くし、失意のどん底に沈んで創作活動も止まってしまうが、1581年に裕福な毛皮商の未亡人と再婚して一転大金持ちとなり、経済的な心配が解消したので、創作力も回復し、以後死ぬまで作曲に精を出した。

1525頃
 ローマ近郊のパレストリーナの町に生まれる。
 彼自身の名は「ジョヴァンニ・ピエルルイジ」であり、「パレストリーナ」は出身地名である。

1537
 ローマの聖マリア・マッジョーレ大聖堂の聖歌隊員として歌う。

1544
 故郷パレストリーナの聖堂のオルガニストとして活動。

1551年9月
 教皇ユリウス3世がパレストリーナをサン・ピエトロ大聖堂内のジューリア礼拝堂の楽長に抜擢。
 これよりパレストリーナの活躍始まる。

1554
 「ミサ曲集 第1巻」 (1554刊) 出版。
 初期の作品では定旋律ミサなど、伝統的なフランドル楽派の技法が堅実に展開されている。
 それは当時でも保守的で、時代遅れの感すら与えた。
 だが、宗教改革の嵐が吹きすさぶこの時代においては、伝統派の人々にとってとてつもないホープの登場に見えただろう。

1555〜1560
 ラッススの後任として、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂の楽長をつとめる。

1555
 教皇ユリウス3世により、無審査でシスティナ礼拝堂歌手に。

1556
 厳格な新教皇パウルス4世によって、パレストリーナを含む妻帯者3人が、わずかな年金でシスティナ礼拝堂歌手を解雇された。

1560
 少年時代に過ごした聖マリア・マッジョーレ大聖堂の楽長に。

 この頃、パレストリーナの名声はヨーロッパ中に響き渡り、各方面からひっきりなしに勧誘が行われるように。

1564〜
 枢機卿イッポリト・デステ2世の子弟教育に当たる。
 これが縁で枢機卿と親密になる。

1566〜
 イエズス会の教育機関セミナリオ・ロマーノで教鞭を執る。

1567〜
 ドイツ皇帝マクシミリアン2世、マントヴァ公爵グリエルモ・ゴンザーガらの熱心な勧誘を振り払い、枢機卿イッポリト・デステ2世に正式に仕える。

1571
 ジューリア礼拝堂の楽長ジョヴァンニ・アニムッチャ (c.1500〜1571) が亡くなったため、教皇ピウス5世はパレストリーナを後任に任命。

1572〜1580
 伝染病で二人の息子をなくし、遂には最愛の妻ルクレツィアの命まで奪われてしまう。
 創作活動も停滞し、一時は僧侶になる決心を固めたパレストリーナだが・・・

1581
 妻の死の7ヶ月後、裕福な毛皮商の未亡人ヴィルジニア・ドルモーリと再婚。
 パレストリーナは期せずして教皇庁御用達の毛皮商店のおやじとなってしまった。

 経済的にも精神的にも安定したので、その後次々と曲集を出版。
 後期の作品ではパロディ・ミサが増大。

1594年初め
 約69歳で病死。
 葬儀にはローマの全聖歌隊が参加、代表的作曲家たちが1曲ずつ追悼歌を捧げた。
 教皇クレメンス8世はパレストリーナの全作品の出版を企てたが、遺児のイジニオが辞退したので実現しなかった。
皆川達夫 『西洋音楽史 中世・ルネサンス』 (音楽之友社 1986年) より
「 パレストリーナの音楽は、同時代の改革的な試みを意識的に排除し、むしろ過去のルネサンス・ポリフォニーのもろもろの要素を、トレントの公会議の精神にかなうべく“人為的に純粋化”して作り上げられた音楽である。それはけっしてルネサンス音楽の典型ではありえないし、また次代の音楽の担い手ともなりえないものであった。」
前ページに戻るよ 音楽用語インデックスへ

©1998-2003 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:2002/04/01; 2003/01/19

ご意見・ご希望きかせてね eden@tcat.ne.jp