野外の広場や庭園などで行われた音楽会のこと。
元来はロンドンで1830年頃から広まったコンサートの形態で、人々は歩き回ったり、お茶を飲んだりしながら音楽を楽しんだ。
(「プロムナード」は「散歩」あるいは「散歩の場所」を意味する。)
現在では野外、屋内を問わず、広い聴衆を対象としたポピュラーなクラシック演奏会 (名曲コンサートなど) を呼ぶことが多い。
中でも有名なのは、イギリスの指揮者ヘンリー・ウッド (1869〜1944) が労働者階級を相手に始めた「ヘンリー・ウッド・プロムナード・コンサート」で、「プロムス」と略されて大変な人気を呼んだ。
= プロムスの歴史 =
- 1895〜
- 指揮者ヘンリー・ウッドが毎年夏、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、肩の凝らない大衆コンサート「ヘンリー・ウッド・プロムナード・コンサート」 (プロムス) を開催。
アリーナ形式のホールでは一階が立ち見席で、プロムナーダー (「プロムス」の聴衆)は気ままにうろうろしながら音楽を楽しめる。
このため、労働者階級が飲み食いしながら気軽に楽しめるクラシック・コンサートとして大人気に。
コンサートは60回近く行われるが、ことに最終日の「ラスト・ナイト」の盛り上がりようは凄まじく、演奏会と言うよりはお祭り騒ぎの様相を呈する。
- 1902
- 国王エドワード7世の提案で、エルガーは自作の行進曲「威風堂々」第1番 ニ長調 Op.39-1 (1901) の中間部の旋律に「希望と栄光の国」という歌詞を付け、6月に「戴冠式頌歌」 Op.44 (1901) の第5曲として初演。
それ以後、「希望と栄光の国」はイギリスの第2の国歌となった。
「プロムス」の「ラスト・ナイト」でも必ずエルガーの行進曲「威風堂々」第1番が演奏され、中間部では聴衆全員が「希望と栄光の国」の歌詞で相和して合唱するのが伝統となった。
- 1927
- ヘンリー卿の要請により、プロムスはBBC (イギリス放送協会) の主催に。
これ以降、コンサート、特に「ラスト・ナイト」が中継され、「プロムス」を有名にする。
- 1944
- 50年間指揮を続けたヘンリー・ウッド卿が死去。
- 1960年代 (36歳頃)
- 指揮者ウィリアム・グロック卿が「プロムス」の人気を再び高める。
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