進化論的求刑論告
早崎 隆志
K・マサダという男が時間管理局の職員に連れられて警視庁にやってきたのは、イラクで政変が噂され始めた、あの7月8日のことだった。
「私は時間旅行中に殺人を犯しました」マサダは担当の刑事に言った。
「誰を殺したんだ?」刑事はきいた。
「アウストラロピテクスを一人……いや、一頭……」
初公判---
検察側は冒頭陳述で、アウストラロピテクス(猿人)は人類の祖先であり、アウトスラロピテクスを殺したことは現生人類を殺したことに等しいとし、有罪を主張した。
これに対し弁護側は、アウストラロピテクスは、ホモ・エレクトゥス(原人)→ホモ・サピエンスの順で進化したヒト科ホモ属とは別の属を形成する可能性が強く、今やアウストラロピテクスを現生人類の直系の祖先と考える人類学者など一人もいないとした上で、どんなに「人類」の範囲を広げてもホモ・エレクトゥスまでであり、我々と属のレベルで異なるアウストラロピテクスを殺傷してもせいぜい器物損壊罪どまりであり、殺人罪にはならないと主張した。
傍聴席の人々の大部分は弁護側の主張に共感したようだった。
第二回公判---
やや不利になった検察側は、新しい証拠を提出した。 それは殺されたアウストラロピテクスの頭蓋骨だった。
「この丸みを帯びた頭骨をご覧下さい。 脳容積は優に七百ccを越え、眼窩上隆起も弱まっております。 これらの特徴は、アウトスラロピテクスというよりもホモ・エレクトゥスのものです」
これを聞いて弁護側は叫んだ。「裁判長、検察側は世迷いごとを言っております。 K・マサダが訪れたのは、195万年前のオルドヴァイ正イヴェント期よりも古い、後期鮮新世であります。 そんな時代にホモ・エレクトゥスがいるわけがありません」
「何も私たちは、これが北京原人やジャワ原人と同じホモ・エレクトゥスだと言うつもりはありません」 検察側は大声で言い返した。「これはホモ・ハビリスであります」
一瞬傍聴席がどよめいた。
弁護側は再び叫んだ。「確かにホモ・ハビリスはアウトスラロピテクスより進化しているが、所詮アウトスラロピテクスの進歩型に過ぎない」
「その学説は百年古い」検察側はぴしゃりと言った。「学界では、ホモ・ハビリスを最古のホモ・エレクトゥスと考えるのが常識になっている。 つまり、ホモ・ハビリスはアウトスラロピテクス属ではなくホモ属に含まれるのだ。 よって被告の殺人罪は成立する」
傍聴席は今度こそ大きくどよめいた。 裁判長の「静粛に!」という叫びも効果がなかった。
第三回公判---
一転して有利な立場となった検察側は、被害者がホモ・ハビリスであることをさらに綿密に論証し、現在サピエンス種と同じホモ属に入るハビリス種に対しても現生人類と同等の法的権利と保護が与えられてしかるべきだと述べて着席した。
代わって立ち上がった弁護側は、いやに静かな口調で喋り始めた。「重大な事実が判明いたしました。 現在イラク政府内で異変が起きていることは皆さんご承知の通りですが、その異変の真相とは、大統領のサダム・フセイン氏をはじめ、同国の政府首脳の大部分が突如として消失してしまった、ということなのです。 そして、消えたイラク政府要人たちの祖先をたどっていくと、何とあの、K・マサダが殺害したアウストラロピテクスないしホモ・ハビリスに至るのであります。 つまり、マサダが先祖の猿人または原人を殺したために、その子孫の数千人が存在しなくなってしまったのです」
弁護側は裁判長に向き直った。「これはもはや刑事事件として当法廷が裁ける問題ではありません。 高度な政治判断を必要とする事件であり、行政府に任すべき問題です。 我々は、K・マサダが有罪か無罪かといった追求を、断念せざるを得ないのであります」
「では、その消えたイラク政府首脳たち---殺されたホモ・ハビリスの子孫たち---に対しても殺人罪が適用されるではないか」 検察側はなおも食い下がった。
「殺人とは生きている者を殺すことです」 弁護側ははねつけるように言った。「そもそも生まれなかった者に対し、いかに殺人を犯すことができるのでしょうか」
こうして、この裁判は打ち切りとなった。 なお、K・マサダがアメリカの国民的英雄に祭り上げられたことは言うまでもない。
二日後、時間管理局の職員が血相を変えて警視庁に飛び込んできた。
「K・マサダがまた勝手に過去へ行ってしまった!」
「ほう。 今度は北京原人を殺して中国首脳を消すつもりかな」 担当の刑事はニヤニヤしながら言った。
「そんな生やさしいもんじゃない」 時間管理局員は唇をぶるぶる震わせた。「奴は殺虫剤を持って原始地球の海へ……」
(1992年頃/1997年改訂)

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更新日:1997/11/24
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