このたび、私の本が出版されました……



コルンゴルトとその時代 ---“現代”に翻弄された天才作曲家』◆

著者・早崎隆志/みすず書房

1998年3月20日 発行
A5判・約290ページ(作品目録/CDガイド/索引/参考文献など含む)
定価(税抜):5,500円  ISBN: 4-622-04416-1
=お買い求めはお早めに!=

今ここに明らかになる20世紀の天才作曲家の全貌!

 コルンゴルトは20世紀前半に、ウィーンとハリウッドをまたにかけて活躍した作曲家です。

 前半生をウィーンの若き天才オペラ作曲家として過ごした彼は、ユダヤ系だったため、ナチス政権成立後はハリウッドで映画音楽を書いて生計を立てました。
 戦後クラシック界にカムバックしようとした彼は、「映画音楽作曲家」のレッテルを貼られて失敗し、寂しく死んでゆきました。

 しかし、その音楽は忘れ去るにはもったいないほど生き生きとし、甘美で魅力的です。
 コルンゴルトが聴かれないのは、「ハリウッドに魂を売り渡した人間にいい音楽が書けるわけがない」といった偏見に基づいているように思われるのです。
 そうした誤解を解きたいという願いから生まれたのが、『コルンゴルトとその時代』なのです。

 この本では、単にコルンゴルトの生涯を追うのではなく、それを当時の音楽史一般歴史の流れと対比することで、彼が音楽史上どのような位置を占め、そのキャリアが厳しい現代史の中でどのように軌道修正させられていったかを明らかにしようとつとめました。
 と同時に、映画音楽が一般に思われているよりもずっと深くクラシック音楽の伝統と結びついたものであり、すぐれた作品も多く、「映画音楽=低俗」という図式には修正が必要だということも書いたつもりです。

 どの程度の内容に仕上がっているかは読者の皆さんに判断して頂くしかありませんが、音楽、歴史、映画などに興味のある方は一度御覧になって下さい。
 特に、

  • 20世紀における調性音楽のあり方
  • マーラーやリヒャルト・シュトラウス
  • ヒンデミット、ヴァイルらの「新音楽」
  • ナチズムと音楽の関係
  • 映画音楽
  • 前衛芸術と大衆との関わり方
  • 現代史と芸術
などに興味をお持ちの方々には、ぜひ読んでみて頂きたいと思います。

 なお、私のような未熟者が本を出すことが出来たのは、応援して下さった皆さんのおかげです。この場を借りてお礼を申し上げます。


《内容見本1》---目次

はじめに

プロローグ  1910年10月4日

第1部  ウィーンの天才児

1.幼年時代
父親ユリウス・コルンゴルト /コルンゴルトが生まれた頃/ウィーンでの幼年期/マーラーとの出会い

2.神童現る
本格的作曲の開始/ヴェールを脱ぐ天才/「雪だるま」センセーション

3.天才児の光と影
快進撃続く/天才誕生の背景/コルンゴルトの思春期

4.オペラでの勝利
オペラへの挑戦 /「ヴィオランタ」 /コルンゴルトの軍隊生活/オペラでの勝利

第2部  オペラの栄光と挫折

1.「死の都」
『死の都ブリュージュ』/ルーツィとの出会い/恋人たちと革命 /戦後の混乱と百花繚乱の前衛芸術/「空騒ぎ」/「死の都」の圧倒的勝利

2.「ヘリアーネの奇蹟」
インフレと恋人たち /リヒャルト・シュトラウスとの対立/オペレッタとピアノ協奏曲/吹き荒れるジャズ旋風/ルーツィとの結婚/オペラの季節/“新音楽”論争とコルンゴルト/歌劇「ヘリアーネの奇蹟」/「ヘリアーネの奇蹟」vs「ジョニーは演奏する」

3.オペレッタの世界へ
オペレッタとの“浮気”/ラインハルトとの出会い /大恐慌とオペレッタの流行/金融恐慌とコルンゴルト/歌劇への再挑戦/ナチスの政権獲得/ラインハルトの亡命

第3部  ハリウッドの日々

1.新天地へ
初めてのハリウッド/当時のアメリカと映画音楽/『眞夏の夜の夢』の製作 /オペレッタ映画への作曲/『海賊ブラッド』の大ヒット/最初のオスカー/放浪の作曲家

2.亡命
「カトリーン」上演の夢/『ロビンフッドの冒険』の作曲/亡命/『ロビンフッドの冒険』のスコア/第2次世界大戦の勃発/『シー・ホーク』

3.コルンゴルトと映画音楽
コルンゴルトの映画音楽作曲術/コルンゴルトの地位と業績/他の大作曲家とハリウッド/ヨーロッパのシンフォニック・スコア/ユダヤ教音楽の作曲/『嵐の青春』と太平洋戦争の勃発

4.二つの世界の狭間で
ブロードウェイでの成功 /カリフォルニアのユダヤ系ドイツ人コロニー/ラインハルトの死/二つの世界の狭間で

第4部  純音楽へ戻る

1.クラシック作曲の再開
演奏会用音楽への復帰/映画音楽との訣別/ヴァイオリン協奏曲の初演

2.ウィーン−−夢と挫折
着々と進むウィーン復帰計画/“死の都”ウィーン

3.失意の晩年
憤怒の交響曲/最後の作品群/最後のヨーロッパ訪問/コルンゴルトの死

4.コルンゴルトの残したもの
コルンゴルトの音楽の特性/もうひとつの1920年代/後退か完成か? /「音楽は音楽です」/現代に翻弄された天才作曲家

エピローグ  コルンゴルト・ルネサンス

おわりに

参考文献/作品目録/コルンゴルト作品CD作品ガイド/索引


《内容見本2》---はじめに

 モーツァルト(1756〜1791)は、5歳でメヌエットを作曲し、8歳で交響曲を書き、11歳でオラトリオを仕上げて「神童」と呼ばれた。ただ、その作品は年齢にふさわしい素朴な筆致を示している。
 では、爛熟した後期ロマン派和声を駆使しながら、7歳で歌曲やワルツ、9歳でカンタータ、11歳でバレー音楽を書き上げた少年がいたとしたら、何と呼んだらいいのだろうか? まさか、そんな人間がいるわけはない−−と多くの人々は考えるだろう。だが、いたのである。しかも、この20世紀のウィーンに!

 彼の名はエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold 1897〜1957)。9歳の時のカンタータ「水の精、黄金」はマーラーに「天才だ!」とうめかせ、11歳で書いたバレー・パントマイム「雪だるま」はウィーン宮廷歌劇場でワインガルトナー指揮ウィーン・フィルによって初演されてセンセーションを巻き起こした。12歳の作ピアノ・ソナタ第1番はリヒャルト・シュトラウスを戦慄させ、13歳の時のピアノ・ソナタ第2番 Op.2はシュナーベルによりヨーロッパ中に紹介された。14歳のコルンゴルトは大指揮者ニキシュの委嘱を受けて劇的序曲 Op.4を書き上げ、13〜15歳で完成させた大作「シンフォニエッタ」Op.5は当時の巨匠たちに盛んに取り上げられた。

 16〜18歳にかけて書いた2つの一幕オペラ、「ポリクラテスの指環」Op.7と「ヴィオランタ」Op.8は1916年にブルーノ・ワルターの指揮で同時初演され、プッチーニの絶賛を浴びた。オペラ作曲家としての名声を不動のものとした名作「死の都」Op.12を書き上げた時、コルンゴルトはまだ22歳だった。
 1927年に最高傑作と自負するオペラ「ヘリアーネの奇蹟」Op.20が初演された時、彼の名声は頂点に達していた。ウィーン市から芸術勲章を授けられ、オーストリア大統領からは「充分な敬意をもって」ウィーン音楽大学の名誉教授の称号を贈られた。1932年には大新聞『新ウィーン日報』のアンケートでシェーンベルクと並んで存命する最大の作曲家に選ばれた。

 しかし、1923年以来オペレッタの編曲を続け、また1934年からハリウッドで映画音楽の仕事も手掛けるうちに、彼の評判には陰りが出始める。そこで心血を注いで5作目のオペラ「カトリーン」を書き上げ、1938年にウィーンで初演しようとした正にその時、ナチス・ドイツ軍がオーストリアに侵入し、この国を併合する。初演は流れ、コルンゴルトはそのままハリウッドで映画音楽を書きながら亡命生活を続けるほかなかった。『風雲児アドヴァース』(1936)と『ロビンフッドの冒険』(1938)はアカデミー作曲賞を受賞する。

 1945年、第2次世界大戦が終わると共に、コルンゴルトは純音楽の作曲に復帰し、弦楽四重奏曲第3番 Op.34、ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.35、弦楽合奏のための交響的セレナード Op.39、交響曲嬰ヘ調 Op.40 など数々の傑作をものしたが、「映画音楽作曲家」のレッテルを貼られたコルンゴルトは、戦後のクラシック界からは認められず、夢にまで見たウィーン帰国も失敗に終わった。“ウィーンの神童”はカリフォルニアへ帰り、1957年に死ぬまでそこで不遇な晩年を送ったのである。

 天才児として出発し、一時はウィーン・オペラ界の彗星と期待されたコルンゴルトは、結局ハリウッドに魂を売り渡し、二流作曲家として生涯を終えた---という解釈が一般的である。だが、本当にそうなのだろうか? 彼の映画音楽や戦後の作品には価値はないのだろうか? 渡米後コルンゴルトは駄目になったと考える人々は、それらを実際に聴いて判断しているのだろうか?……
 どうもそうは思えない。コルンゴルトの創作力はハリウッド時代を含めて衰えたことなど一度もない。確かに語り口は時に甘いほど分かりやすくなったが、チャイコフスキーの例からも分かるように、甘美だからといって音楽的価値がないとは言えない。コルンゴルトの場合も、戦前の作品よりむしろ戦後の作品の方が、簡潔で引き締まっている場合が多い。
 コルンゴルトが非難されるのは、作品そのものではなく、セリエリスムに代表される当時の“進歩的”な音楽語法に背を向けてひたすら自らのロマンティシズムを追い続けた彼のスタイルに原因がある。当時絶対的な権力を握っていた前衛派の人々から見れば、20世紀の今日に、あんな時代錯誤の保守的な音楽を書き続ける音楽家がいることは許せなかったのである。

 偏狭なモダニズムによるコルンゴルト批判が不当であるように、コルンゴルトを「ウルトラ・モダニスト」と呼んだり、貴族的ウィーン文化の守護者に祭り上げたりした戦前のウィーンでの批評も的を得ていない。コルンゴルトの評価は、その時その時の歴史の手垢にまみれている。本書では、コルンゴルトを巡る歴史状況にも言及しながら、そうした手垢を洗い落とし、「現代」という時代に翻弄されたこの“天才”作曲家の真の姿に迫ってみたい。また、コルンゴルトの生涯と作品の変遷を辿ることで、20世紀という特殊な時代が音楽に深く刻み込んだ様々な陰影---政治と音楽のナイーヴな関係、ヨーロッパ亡命者がアメリカで経験する音楽文化摩擦、映画という新しい“総合芸術”と音楽家たちの出会いなど---が浮かび上がってくるであろう。

 何よりも、本書によって一人でも多くの人がコルンゴルトの音楽に興味を持ち、聴いて頂くことが、筆者の最大の願いである。ナチスと前衛音楽に“抹殺”され、その後も映画音楽に対する偏見によって黙殺され続けたコルンゴルトは、欧米では最近ようやく再評価の兆しが見えてきたが、日本ではまだその端緒も見えていない。彼の、クラシック作品でも良い、映画音楽でも良い、何か彼の作品を実際に耳にしてもらえれば、生きる喜びに溢れるコルンゴルトの音楽に魅了されることは間違いない。前衛の嵐が去り、スタイルや作曲技法にこだわらず、音楽そのものの良さを誰はばかることなく主張することが出来るようになった今こそ、コルンゴルトの音楽に注目すべき時である。

 なお、本書での外国人名・地名表記は原則として原語の発音によっているが、慣習的にそれと異なる表記がなされる場合は慣習に従った。だから例えば「ヴィーン」「ヴァーグナー」は「ウィーン」「ワーグナー」と書いている。

《内容見本3》---プロローグ 1910年10月4日

 1910年10月4日---
 この日はオーストリア=ハンガリー二重帝国の老皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(位1848〜1916)の命名祝日であった。だから、この晩にウィーン宮廷歌劇場で催されるガラ・コンサートには、上流貴族たちも政府関係者も、ことごとく詰めかけた。貴賓席にはベルギー国王アルベール1世(位1909〜1934)の姿も見える。もちろん皇帝陛下ご自身の御臨席も賜っていた。ウィーン宮廷歌劇場は各界の名士たちで満席となった。
 この日の演目は、高名な音楽評論家ユリウス・コルンゴルトの次男エーリヒの処女作、バレー・パントマイム「雪だるま(Der Schneemann)」だった。歌劇場の総監督フェリックス・ワインガルトナーが上演を許可し、指揮はフランツ・シャルクが、独奏ヴァイオリンはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター、アルノルト・ロゼが受け持つという。
 エーリヒが天才作曲家であるという噂は誰の耳にも入っていた。だが疑り深いウィーンの人々は、誰もその噂を額面通り受け取ろうとはしなかった。---ユリウス・コルンゴルトはワインガルトナーやシャルクと仲が悪かったら、彼らがユリウスの息子の作品を宮廷歌劇場で上演するというのは奇妙だが、ユリウスはウィーンで最も影響力のある批評家だから、何らかのコネを用いて上演するように圧力をかけたのだろう。まったく、親の七光りで道楽息子の凡作が伝統ある宮廷歌劇場の舞台を飾ってしまうのだから、音楽評論家も大した商売だ---シニカルなウィーン貴族たちは興味半分、冷笑半分で大した期待も持たずに開幕を待っていた。
 前奏曲が始まった。
 何という可憐な音楽なのだろう!---人々は耳を疑った。

 「雪だるま」は、前奏曲と間奏曲を含む1幕2場の本格的な舞台音楽で、40分もかかる大曲である。付加音や変化和音、増3和音などを多用する爛熟した後期ロマン派ハーモニー、情景を生き生きと描き出す表出力と巧みなライトモティーフ用法、シンフォニックな展開、そして歌心に溢れた魅惑的な旋律美など、コルンゴルトの個性は早くもこの作品で、ほぼ完成した形で示されている。教師のツェムリンスキーが手を加えたのは管弦楽編曲だけで、それ以外は全てコルンゴルトが独力で仕上げたものである。
 夢見るように甘くロマンティックな前奏曲に続いて、第1場では、クリスマスの町のにぎわいや、ヒロインのコロンビーヌ、無骨者の叔父パンタロン、若く貧しいヴァイオリニン奏者ピエロなどの登場人物が活写される。コロンビーヌに恋するピエロはパンタロンに追い払われるが、酔っぱらったパンタロンが雪だるまにお辞儀をしているのを見て一計を案じ、雪だるまに化けて、心ゆくまでコロンビーヌを見つめる。
 華麗なワルツ調の間奏曲をはさみ、第2場はパンタロン家の2階が舞台となる。雪だるまばかり見つめるコロンビーヌに腹を立てたパンタロンは、皮肉を込めて雪だるまを家に招待するが、雪だるまは本当に動き出して部屋にやってくる。腰を抜かしたパンタロンは手下に命じて攻撃させるが効果なく、あきらめて酒を飲み始める。やがて雪だるまが一体ではなく何体も見えるようになる。「雪だるまの主題」によるフーガが始まり、パンタロンは長椅子に倒れ込む。 「雪だるま」による勝利のワルツとなり、続いて「雪だるま」と「コロンビーヌの主題」が愛の会話を交わし、二人は手に手を携えて去っていく。目を覚ましたパンタロンは召使いから一部始終を聞き、怒り心頭に発して、広場の雪だるま(これは本物)に体当たりして壊す。アッチェレランドしたパンタロンの主題が急にピアニッシモになり、雪だるまのワルツが一瞬再現されるが、すぐに強奏で曲を終える。
 幕。

 全曲が終わると、会場には割れんばかりの拍手が響き渡った。圧倒的な成功であった。拍手と歓声に促されて、作曲者が舞台に呼び出された。そのとき観客が目にしたのは、信じられない光景だった。
 会場の歓呼に答えて何回もお辞儀をしているのは、ぽっちゃりとした丸顔にくりっとした目をした、まだ13歳のかわいい少年ではないか!
 だが観客の大部分は、この子が実際にこの曲を書いたのはさらに2年前、つまり11歳の時だったということを、まだ知らなかった。
 11歳の子供に、どうやってこんな曲が書けたのだろう? どうしてこのような天才児が、この時代の、しかもウィーンに現れたのだろう?
 それを知るために、まずはコルンゴルトが生まれた時代へ遡ってみよう。

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★著者より---定価が高くてすいません!★

 本の定価が高いのは、著者としても心苦しいところです。

 しかしこれは、昨今の厳しい出版情勢の下では、致し方ないことなのです。
 そもそも一介のサラリーマンが、名前も聞いたことのないような作曲家の本を商業出版するということ自体、普通では考えられないことです。 にも関わらず、みすず書房の方々は並々ならぬご努力を費やされ、大変シックな、美しい本に仕立てて下さいました。

 そういうわけですから、定価については、諸般の事情をご勘案の上、どうかご理解頂きますよう、お願い致します。
 コルンゴルトの生涯と作品は実に興味深いので、この定価でも決して読者の方々に損をさせることはないと信じています。 是非、一人でも多くの方が購入され(図書館で借りるのではなく……)、このプロジェクトをサポートして頂けますよう、切に祈っています。

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更新日:1999/01/19

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