= 日本に最初に紹介されたダンドゥット =
日本に最初に紹介されたダンドゥットは、歌手Su'Udiahが歌った名曲「Bungah Dahlia」だと言われている。
この曲は1970年代末にGOLDEN HANDというスラバヤのカセット会社から発売され、ヒットとなったが、これを日本に紹介したのは、1980年代初めの日本のラジオ番組「スネークマンショー」だった。
今ではオリジナルのカセットを探すことは不可能に近いが、「スネークマンショー」のコンピレーション・アルバム「YANKOMARITAI」は1992年に再発売されているので、入手可能かも。
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大衆音楽の王者として庶民の人気を集めるポップス系ダンス(ディスコ)歌謡曲。
「ダンドゥット」の名称は、特徴的な打楽器のリズムを模写した擬音「ダン!」「ドゥッ!」から来ている。
インド風太鼓「クンダン (kendang) 」と西ジャワ州スンダ地方の竹笛「スリン」、それにぎんぎんのエレキ・ギター、エレキ・マンドレンと、軽いキーボードの音をバックに、インド風コブシの効いたエスニックなヴォーカルが、べたべたな歌を歌う。
最初聴いて拒否反応を起こす人も多いが、はまると、他に代用となる音楽がないだけに、抜け出すのが大変。
1970年代マレー地方の伝統ポピュラー音楽オルケス・ムラユ (Orkes Melayu = OM) とロックを掛け合わせたもの。ポップ・ムラユ(マレー系ポップス)とロックを結合してダンドゥットを大成したのは、元祖ダンドゥット歌手ロマ・イラマの功績。
ダンドゥット歌唱は、明らかにインド〜アラブ歌謡の強い影響を受けているが、一方ではジャワのプシンデン (ガムラン合奏の女性歌手) など、インドネシアの土俗要素も溶け込んでいる。
また、歌詞には「貧乏」とか「家庭の不幸」とかを読み込み、生活に追われる一般大衆を取り込む曲作りをしている。
1980年代には市民権を獲得、ロマ・イラマの他、エルフィ・スカエシやカメリア・マリクのような女性歌手の大スターを生み出した。
1990年代にはスーパースター、エフィ・タマラ (女性) を筆頭に、Meggi Z (男性) その他の第2世代の歌手陣が登場。
1995年には、インドネシア独立50周年を記念して、それまでで最大のダンドゥット・コンサート「スマラク・ダンドゥット」がジャカルタで行われた。当時の官房長官ムルディオノ他政治家や財界の要人も多数参加、庶民と共にダンドゥットを踊り、楽しんだ。
ただ一方では、創始者ロマ・イラマがダンドゥットに託した社会的メッセージは、最近は聞かれなくなり、単なる下層の若者のラヴ・ソングになり、また他のポップスのジャンルとのクロスオーヴァーも起こっている。
ダンドゥットには地方変種がある。
例えば、ガムランの音階と音型、それに「プシンデン」と呼ばれる女性ガムラン歌手独特の裏声発生を応用した「ダンドゥット・ジャワ」がある。
また、尺八に似たかすれた音を出すミナンカバウ族の竹笛サルアンを使ったものは、「サルアン・ダンドゥット」と呼ばれる。ローカル色の強いチープな音作りのものが多く、逆にそれが魅力ともなっている。
西ジャワのディスコではチャ・チャ・チャと結合され、「チャ・ドゥット」というものが生み出されている。
さらに最近の傾向として(いや、最近に限らないのだが)、様々な他ジャンルの音楽スタイルの美味しいところを何でもいいから貪欲に取り込んでいこうとするヴァイタリティが旺盛である。
例えばErna Sariの「Kangen」にはハウス・ミュージックのダンス・リミックス的な編集を施したガムラン風ダンドゥットだし、同じ彼女の「Disco Jaipong Melati」は、呼んで字の如く西ジャワ州 (特にバンドゥン) で盛んな踊りジャイポンガンの音楽のディスコ・ヴァージョンをダンドゥットにしてしまっている。
それどころか、1998年には有名な「コーヒー・ルンバ」をそのままダンドゥット化した「コピ・ダンドゥット (コーヒー・ダンドゥット)」が大ヒットしたし、女性歌手Gebby Pareraの歌う「Dermaga Cinta」は、何と映画『タイタニック』の主題歌「My Heart will go on」 (ジェームズ・ホーナー作曲) をただそのままダンドゥットにしたものだ(ちゃんと版権は払っているのかな?)。
この「何でもあり」の貪欲さが、ダンドゥットをまた新しい音楽スタイルへ導いてゆくだろう。
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