インドネシア・ポップス小事典
 
   Evie Tamala  
  【エフィ・タマラ】     顔写真orジャケ写

ダンドゥット歌手]

 現在(1990年代末)のダンドゥット界を代表する女性ダンドゥット歌手。
 甘く媚びるような歌声が特徴。

 エルフィ・スカエシカメリア・マリクリタ・スギアルトに続く世代のダンドゥットのトップ歌手として、彼女は圧倒的な成功を収めている。「ダンドゥットの女王」エルフィ・スカエシに対し、やや若いエフィは「ダンドゥットの王女」とも呼ばれる。
 実際、BI (←Bank Indonesia [=インドネシアの中央銀行]のことか?) までも「王冠のないダンドゥット女王 (Ratu Dangdut Tanpa Mahkota) 」というニック・ネームを奉った。

 しかし、女王に至る道のりは長くつらいものだった。

 エフィは本名をスリャニンシー (Suryaningsih) といい、1969年6月23日に西ジャワ州タシクマラヤ (Tasikmalaya) 県チガロンタン (Cigalontang) 村に生まれた。
 ダンドゥット歌手としてのキャリアは1980年代初期に始まった。当時は「ウチェ・アリフィナ (Uce Arifina) 」と名乗り、タシクマラヤ県の僻地から僻地への巡業して歩いたが、それとて月に一度仕事があるかないかの厳しい毎日だった。
「あの頃の楽しみは演劇鑑賞だったわ。声のトレーニングをしながら未発達の才能を数えていたのよ。」(エフィ)

 忍耐と努力の日々は少しずつ実を結び始めた。そして、OM Sinar Remaja [OM = orkes melayu = マレー・ポップスの楽団)] と共に西ジャワ州バンドゥンで舞台に立った時、転機がやってきた。
 舞台が退けた後、エフィの下に一人の男がやってきた。「すみません、ムフさん (Pak Much = Muchtar B. の親称) がお呼びなんです。お時間は取らせませんから」
 この時エフィは、ムフタール・B (Muchtar B.) が、ダンドゥットの大ヒット・メーカーで、且つプロデューサーの第一人者であることを知らなかった。彼女はただ単に敬意から挨拶をするだけのつもりでムフタールの下に向かった。
 もしこの時、エフィが面倒くさがって会うのを止めていたら、彼女はずっと田舎の歌手でいただろう。
 しかし彼女は会いに行った。そしてムフタールはレコーディング・アーティストとして契約しようと言った。エフィは驚いた。「そんないい話、とても信じることが出来なかったわ」(エフィ)

 エフィは数ヶ月の間ムフタールについて歌の技術を磨いた。容姿にも気を使い、美しさを増すように務めた。売上に貢献するためだった。「ムフさんの言うことに何でも従ったのよ。うふふ」(エフィ)
 ほどなくエフィは生まれて初めて録音室に入り、レコーディングを仕上げた。
 だが結果は悲惨なもので、カセットはほとんど売れなかった。
 さらなる不幸が彼女を見舞った。当時、新作カセットの流通のバロメーターとなっていた国営放送 TVRITelevisi Republik Indonesia = インドネシア共和国テレビ) の音楽番組「Aneka Ria Safari (多種娯楽サファリ) 」への出演が認められなかったのだ。名前が「売れそうにない (tidak komersial) 」という理由だった。
「落ち込んだわ。名前がウチェだというだけで出演を降ろされたのよ」(エフィ)

 だがムフタールは変わらず応援し続けてくれた。
 そして1988年、エフィはセカンド・アルバム「Tang Ting Tong Dher」をリリースした。ムフタール・B.の作品集で、MSC Records の製作だった。但しこのアルバムもエフィの名前で作られてはいない。
 その1年後、彼女は「Dokter Cinta (愛のお医者さん)」という歌を歌った。
 このアルバム第3作は素晴らしい売れ行きを示し、エフィも充分な配当を受け取った。
「私は1,000万ルピアのボーナスをもらって、車を買ったわ。足りない分は分割払いでね」(エフィ)

 その後エフィの人気は落ちることはなかった。「Hari-Hari Cinta (1990)」「Aduh Sayang (1991)」「Cinta Ketok Magic (1992)」「Cinta Parabola (1993)」「Rambut (1994)」といったアルバムは出すたび売れに売れた。
 「Rembulan Malam (1995)」や「Selamat Malam (1996)」に至っては爆発的とも言える売れ行きを示し、歌「Selamat Malam (今晩は)」の売上は100万枚に達した。

 ところで、「Selamat Malam」はエフィの自作曲だった。彼女はこの頃から曲作りも試み始めた。
 それだけではない。録音プロデューサーの仕事にも手を染め、若い次世代歌手を世に送り出す夢に向かって歩みだしている。

 歌の面でも、最近はダンドゥットとポップスの融合を目指しているようだ。
 彼女は、アレンジャーのアリク・アバビルと共に「ロマンチス (ロマンティック)」路線を築き上げ、アルバム「Kasmaran」 (2000) でもポップスに近いサウンドが取り入れられている。ダンドゥットの聴き手を広める意図があるのかも知れない。

 エフィの挑戦はまだ続く。

= 主なヒット曲 =

  • Dokter Cinta (愛のお医者さん) (作:Muchtar B.)
  • Rembulan Malam (夜の月) (作:Aziz Thalib)
  • Cinta Ketok Magic (愛は魔法の小槌) (作:Nano S.)
  • Selamat Malam (今晩は) (作:エフィ・タマラ)
  • Kandas (挫折)……男性歌手 Imron Sadewo とのデュエット。

〜 主なアルバム 〜

  1. (タイトル不明) (1987?)……アルバム第1作。ウチェ・アリフィナ (Uce Arifina) 名義で、Muchtar B.作品を歌っている。売れずに失敗。
  2. Tang Ting Tong Dher (1988)……アルバム第2作。まだウチェ・アリフィナ名義。やはり Muchtar B.が曲を提供。
  3. Dokter Cinta (愛のお医者さん) (1989)
  4. Hari-Hari Cinta (愛の日々) (1990)
  5. Aduh Sayang (ああ、あなた) (1991)
  6. Cinta Ketok Magic (愛は魔法の小槌) (1992)
  7. Cinta Parabola (パラボラの愛) (1993)
  8. Rambut (髪) (1994)
  9. Rembulan Malam (夜の月) (1995)
  10. Selamat Malam (今晩は) (1996)……エフィが初めて曲作りに挑戦した意欲的なアルバム。
  11. Kandas (挫折) (199*)
  12. Aku Rindu Padamu (あなたが恋しい) (199*)
  13. Suara Hati (心の声) (199*)……それまでの大衆ダンドゥット路線から、じっくり聴かせる芸術ダンドゥットへ方向転換を示した実験的アルバム。エフィも声量を抑え、ささやくように繊細な歌を紡ぎ出す。バックも生ピアノ、生ギターなどアコースティックな音でしっとりとしたサウンドを作っている。インドのガザルのような哀愁溢れるヴァイオリン・ソロまで登場。
  14. Kasmaran (恋愛) (2000)……これも通常のダンドゥットの枠にとらわれない変化に富んだ曲作りを聴かせる異色なアルバム。「Demi Cinta (愛のために)」のようにポップに近い曲も含む。イムロン・サデオやフリーズ・アルスディなど、ダンドゥットの世界では知られたミュージシャンも参加。

 この他、ロマ・イラマとのデュエット・アルバムも作っている。

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更新日:2000/11/19

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