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当山は曹洞宗大護山円通寺と称します。
永享年中、龍隠寺二世月江正文禅師の時、龍隠寺が兵火の為堂宇すべてを焼失し、戦の最中人でも資材も集まらず禅師一人の力では再建も及ばず、むなしく寺を出て、しばらく小杉村に退棲しました。そこが今の円通寺の始まりと言われております。(武蔵野風土記より)
寛文年中、龍穏寺二十二世鉄心御州禅師が転派改修をなし示寂後、二十七世馥州高郁禅師が円通寺の法灯を護持しました。因みに高郁禅師は毛呂山町川角井上氏出生で孫弟子に良寛和尚がいます。
円通寺四世大勇慈猛禅師は龍穏寺監寺役(現在の副住職)として、四十八世天産慧苗禅師を補佐し、後に師に勧請し、円通寺伝法開山とし再興しました。
永享年中の月江正文禅師、寛文年中の鉄心御州禅師、天和年中の馥州高郁禅師、天明年中の天産慧苗禅師、大勇慈猛禅師は歴史に残る当寺の名僧です。
円通寺の堂宇は大正十三年焼失の悲運に遭い、昔日の面影を失ってしまいましたが、昭和十一年檀信徒の協力を得て、本堂庫裏、薬師堂を復元して現在に至っています。
境内に安置されている薬師寺如来、石仏延命地蔵尊は往年相当の信仰もあり、その願い叶う事不思議といわれています。
また、「越生七福神」の寿老人が祀られ、健康と長寿を願う老若男女が訪れ、さらに、平成七年には丈余の仁王様一対安置され、「越生の仁王様」として親しまれています。 |
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